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展望

科学的社会主義の展望  2023年1月~6月


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●月刊「科学的社会主義」No.302 2023年6月号
     2023年自治体選挙から考えさせられたこと
                              社会主義協会代表   石川一郎

 1 我が足元では
 我が戦列にある同志の皆さまは今次選挙にどう関わられたのか、統一自治体選挙区外在住のため、傍観者にならざるを得なかったのか、様々であったと思う。
 私が所属する新社会党山形県本部に於いて県議選では自前候補はおらず、定員9に10人が立候補の山形市選挙区、定員5に7人が立候補した酒田市選挙区、定員3に4人立候補の寒河江市・西村山郡選挙区で、女性新人候補それぞれ1名を推薦し戦った。山形市選挙区の候補者は市議一期目・40代前半・社民党から立憲民主党.NPOで「ひきこもり」支援活動を広く行い市議選で5位当選し、その勢いを駆って県議選に初挑戦した。酒田市選挙区の候補者は市議4期目・60代前半・無所属、防災士の資格があり3期連続3位当選を経て県議初挑戦。寒河江市・西村山郡選挙区は大江町町議1期目・40代前半・無所属、福島県郡山市から原発避難者で大江町に移住し夫と共に農業に従事、町議選に初挑戦しトップ当選を果たした候補者であった。
 先の参院選岡崎彩子候補とはそれぞれ面談し、応援を要請した面々である。酒田市選挙区の候補者は自らの意思で立候補し、完全無所属を貫き新社会党酒田支部委員長が請われて、選対本部副委員長に就き見事3位当選を果たした。寒河江市・西村山郡選挙区は現職が元全逓出身で社民党から立憲民主に移り高齢(80歳)をもって勇退、後釜として彼女を指名した。ところがこれに反発して国民民主党の現職寒河江市議が立候補し、平和センターグループの非自民勢力が分断される選挙戦となったが、無所属を通して2位当選を果たした。山形市選挙区の候補者は県会選挙を戦うには資金・組織がどうしても必要とし、平和センターガループ=立憲民主党に入らざるを得ないと、立憲民主公認候補で戦い8位当選を果たした。
 市町村議会選挙は約半数が統一自治体選挙から外れており、結果として現職議員3人がいる米沢市のみの戦いになり、全県応援はポスター掲示のみで地元支部と平和センターグループで戦い勝利した。
 山形県は非自民の女性知事である。参議院山形1名区は非自民が連続して議席を獲得している。そして「知事を囲む女性議員の会」がある。先の参院選で岡崎彩子候補の支持拡大を図るため、この会の中からこの人ならばと前述の3人に的を絞り岡崎彩子候補との面談を策し、濃淡はあったものの応援を約して頂いた。偶然、この人たちが県議会に初挑戦する事になったことから、応援を申し出て簡潔な政策協定を結び推薦に至ったものである。
 今後県本部として定期的に県政に関わる政策協議・勉強会を企画し我が戦列との関係性を強めて行かなければ絵に描いた餅で党勢に何ら益しないことになる。

 2 党が関わった選挙区数86をどう考えるか
 週刊新社会4月19日号に統一自治体選前半の結果が記載されているが、県議選熊本県荒尾市選挙区公認候補が議席を奪還、推薦した新潟県上越市選挙区、柏崎市刈羽選挙区、高知県高知市選挙区、徳島県三好第1選挙区、それに前述の山形県3選挙区で当選を果たした。政令市は兵庫で果敢に戦われたが公認候補が一勝一敗、現職1名を含む推薦候補2人が敗れた。後半の市町村議会選挙結果については週刊新社会5月3日号の記載に委ねるが、これらを改めて読む限り新社会党が支持・推薦で関わった県・府会議員選挙区は24、政令都市議員選挙区は9、市議会選挙区は49、町・村議会選挙区は4、これを合計すると86自治体選挙区で公認・推薦候補で戦ったことになる。
 手続き的な形として支持・推薦はしなかったが、党員が非自民系候補者の選挙応援をした選挙区はもっとあると思うが、この86という数をどう考えるかである。
 日本には市が772、町が743、村が183これに20の政令指定都市が区制を敷いておりこれが187区ある。これを合算すると1905選挙区となる。更に47都道府県議会の選挙区数を加えると1952になる。統一から外れている選挙区を半数と概算して我々が統一自治体選挙に関わった86で計算すると8・7%程度しか関わっていないことになる。(ザッと拾った数なので誤差は容赦願いたい)

 3 平面的提起から立体的・深堀した提起へ
 我々が国政選挙を戦う事と地方自治体選挙を戦う事は表裏一体のことである。地方議員を増やしそれから国政選挙に向かうべきと言う論者もいるが、国政を戦う中で地方議員の必要性を肌身を通して感ずるし、自治体選挙を戦う中で国政選挙を戦う必要性をこれまた肌身を通して感じる。
 党は今まで自治体選挙と地方議員の重要性を方針の中で提起してきたが、それは平面的で、立体的かつ深堀りした提起になっていただろうか。高齢化している党員の中から候補者発掘は無理なのだから、ならばどうするという具体的方針提起があって良いのではないか。
 その地方・地域で党と労働者・市民との関り、非自民系立憲野党との関りなど様々で一律に論ぜられないのは当然としても様々の事例を提示しながら、これを参考に自前候補をだすも良し、無所属候補を出すも良し、他党候補で政策課題を共闘できる候補者応援も良しで積極的に地域で支持・推薦と言う形を作って選挙に関われとの方針提起をすべきと思う。議会制民主主義具現の「選挙と言う戦場」で我々の政治を実現する為、その基礎自治体である「地方自治体選挙」にもっと注力しなければならない。党と党員は声を大きくした発信と発言はするが選挙を含む具体的実践活動と行動が伴わなければ実態が伴わない犬の遠吠えで終わることになる。
 あれもダメ、これもダメではなく関われそうな候補者を嗅ぎ分けて統一教会では無いが選挙に関り我々の影響力と自身の力量を高めることに努力すべき思う。

 4 ジェンダーフリーを生き残りの基調に
 新社会党は女性党首を戴いている。先の参院選では女性候補を担ぎ戦った。新社会党は身をもってジェンダーフリー・女性を議会におくる役割を積極的に担っては如何だろうか。特に意識したわけではないが、私か2006年議員勇退後の後継者は女性であり、現役で病没後の後継者も女性を擁立し、一期目の半分を終わろうとしている。
 今次県議会選挙で前述の3女性候補を山形県本部は推薦し戦い、勝利した。女性が置かれている社会環境は立候補するに当たって男性とは違う側面からの困難が多々あるものの別な見方をすれば党とか労働組合とか会社とかそういう面でのしがらみは薄く、決意に至れば純粋に生活実感に立った良し悪し、善悪に対する判断は男性に優るものがある。まだまだ幾多の呪縛と重しが女性の議会進出を妨げてはいるが、国内外の世論と相まって女性自身の自我はこれら有形・無形の束縛を跳ねのけて行くに違いない。新社会党はきれいごとを排し、なりふり構わず次世代に生き残る手段を考えなければならない。「ジェンダーフリー」にベクトルを併せそれを基調とした政策展開に脱皮し、そこから活路を見出しては如何かと考える。その柱に女性の議会進出を据えるのは当然の事である。だが、新社会党の足元を見れば紛れもなくドップリ男社会であるから、ここからの意識改革か始まりとなる。

 5 当選、その瞬間から次の選挙は始まる
 極端に言えば当選の瞬間から、再選に向け対有権者、対後援会、労働組合のある人は対労組との関係に心を砕かなければならない。非自民系首長でその与党に立つ議員は別にして自民系市長の場合、野党の立場から市政批判を厳しく行いつつも、一方では市民から寄せられる生活環境整備などの要求にどう応えるか、予算を握る執行部との緩急付けた駆け引きが極めて重要になる。自治体労働者から議員になった人は地方自治法を基に行財政の見方・仕組みをある程度分かっていると思うが、一般市民から議員になった人の多くは概念的には分ったとしても具体的にはほぽ解らないと思う。分厚い予算書や決算書それに伴う説明書、条例改正などを読み解くのには一定の時間(一期4年は要する)がかかる。その勉強もしながら住民から寄せられる具体的要望の解決、年4回開催定例議会における一般質問とその草稿など議会活動に追われる。
 しかし、この議員活動で満足していたら次の選挙で再選は難しいことになる。誠実に行っている議員活動を有権者に知らしめる議会報告などのニュース発行と頒布、それを駅頭や新聞折込のみで済ましてはならない。居住する町内会・学区内を歩いて戸別配布する。町を戸別に歩けば在宅者、通行者と面談の機会はあるし、相談を受けることもある。歩くことによって学童の登下校時危険個所や交通安全、河川、道路の危険個所などの課題も見えてくる、昔から言われるどぶ板議員である。
 又、①ひきこもり・不登校の問題、②障がい児者のケアと生き甲斐支援の問題、③生活困窮者・就労困難者の問題、④老々介護と老後生活の問題、⑤少女・女性を性産業から守る課題、など日常の営みから生じる悩み苦しみに耳を澄まし、目を凝らし人々と会話をすれば見えてくるものがある。これら社会課題に議員、党員は積極的に関わって悩み苦しんでいる人たちの輪に入る、もしくは自らが輪を創る活動を通して悩み・苦しみに共感・共有の中から解決・前進を図りながら支持基盤を構築する。又、どぶ板議員として地域課題をそこに住む住民と一緒になって汗を流し、解決する活動を通して地域後援会を組織して行くことが大事と考える。議会での発言などの議員活動を「表」とすれば地域課題・社会課題に取り組む活動を「裏」と見立てれば、即ち表裏一体の活動が求められる。
 慣れ親しんだ労働組合に依存した選挙戰から自前での戦いを行うにはこれらを徹底し実践するしか道はない。労働組合が右に揺れれば右、左に揺れれば左では有権者の信頼は得られない。
     (いしかわ いちろう)


●月刊「科学的社会主義」No.301 2023年5月号
    「反戦準備」の呼びかけに答えて
                                社会主義協会代表   石河康国

 静かな日常とかけ離れたところで、しかし日常を破壊しかねないような事態が進行している。この名状しがたい嫌な感覚は、「戦争が廊下の奥に立つてゐた」という句を生んだ戦前の人びとのそれと通底しているのかもしれない。
 3月半ば、政府が強いたのか沖縄県は「有事」を想定した避難計画の検討をした。まず先島諸島(与那国、石垣、宮古)住民11万人と観光客1万人を九州に避難させる。飛行機と船舶で一日最大2万人の避難を想定。沖縄本島などの137万人は屋内退避とする、というものである。「有事」となれば自衛隊の空港・港湾施設使用が最優先されるだろう。また九州で「避難民」をどう受け入れるのだろうか。要は「有事」にしては絶対にならないことを逆証したのである。
 与那国島では「有事」になる前に島外に出ていく住民に、避難の旅費や生活費を援助する基金の設立も検討されている。一方、23年度予算案には自衛隊施設の「強靭化」費用が計上されている。防衛省は日本中の自衛隊基地司令部などをミサイル攻撃に備えて地下化していくが、その第一弾の経費だ。沖縄・南西諸島だけではない。東京新宿にある自衛隊市ヶ谷駐屯地もいずれ対象となる。
 法政大学元総長の田中優子さんが1月15日の『東京新聞』に「反戦準備」というタイトルで寄稿をした。「反戦の準備をしよう。戦争の用意がどこでどうされているのか伝えるべきだろう。戦争が何をもたらすのか伝えることも必要。あとは歌で、短い言葉で、行動で、そしてやがて、一揆の日がやってくる。何より心の準備が必要だ」とあった。
 「反戦準備」と言われても考え込む方もいるだろう。敵対国相互の経済依存関係はそうは分断できない。中国が大量のミサイルを配備しているとはいえ、台湾に攻め込むとは考えにくい。流布されている2027年「台湾侵攻」説はフレームアップにすぎない。私もそう思う。しかしフレームアップにはそうなっても構わないという邪な意図が潜むものだ。
 中国が好んで戦争をするはずがない。けれども挑発を重ねていつ「有事」になってもおかしくないような緊張を東アジアにつくりだそうと米国が意図しているとしたらどうだろう。中国も特殊な条件下での武力行使の可能性は排除していない。ウクライナ戦争はロシアの侵攻によっておきた。けれども「戦争は外交の失敗である」という。残虐非道なプーチン政権であるならばなおさら、最大限・細心の外交努力が問われたはずである。こういう意見は「お花畑」と揶揄される昨今であるが、現実を直視すればいい。戦争になれば多大の犠牲者と発展途上国の飢餓状態をもたらしているにも拘らず、停戦すらできない。戦争は外交を無力にする。こういう事態はロシアも米国も想定できなかったとは言わせない。
 ところで今米国が、日本を主役としてNATO諸国も引き込み、大量のミサイルなどで中国への軍事包囲網を形成している姿をみると、ウクライナ戦争への反省がないどころか、はるかに凄惨な事態すら承知の上の所業としか思えない。
 しかも国連憲章違反の侵攻にさらされたウクライナとは異なり、国連の確認からしても中国ー台湾関係は内政問題なのである。いまだにホンジュラスなど台湾と断交し中国と国交を樹立する国がある。中国が香港やウイグル自治区で抑圧行為をなしたからといって、内政問題の解決に他国が軍事力で介入することが通用すれば、それこそ国際秩序は何でもありの世界になってしまう。

     *
 しかし、はたして米国は大変な犠牲をこうむる戦争にふみこむのだろうか。ベトナム戦争はもとよりイラク戦争の結末は米国のトラウマになっているとも考えられる。米国内で対中戦争慎重論が高まり、政権の好戦的姿勢に歯止めをかけるかもしれない。
 だが、沖縄の反戦運動の中心メンバーは「米軍は戦わない。自衛隊に戦わせる」と語る。なるほど、「安保三文書」と直後の日米首脳会談で合意されたのは「日米同盟の現代化」であった。すなわち、「拡大抑止力」(米国の核兵器による威嚇)で日本の「安全を保障」し、宇宙衛星などの情報を提供するから、前線では自衛隊に戦争の主力をになわせるという戦法だ。南西諸島に配備する中距離ミサイルはすべてが自衛隊のもので、台湾周辺の先島諸島などで前線にたつのは特別に編成された2千人足らずの米海兵連隊でしかない。しかもこの連隊は攻撃しつつ反撃を避けて転々とするという。また嘉手納基地の主力戦闘機隊は「有事」となればグアムに退避する。
 一方、米軍の弾薬類の保管場所は南西諸島や九州などの自衛隊基地におかれる。戦争では正面戦で犠牲をだすよりは、敵の補給路をたたくのが有効だ。敵の反撃で甚大な被害をこうむるのは米国ではなく日本であり、「専守防衛」の名のもとに自衛隊が戦いの主力となることは明白である。国会では「集団的自衛権」行使や「先制攻撃」回避の判断基準をめぐっての議論がされているが、「台湾有事」が現実となれば、この種の議論は机上の議論と化すであろう。
 米国の「核抑止力」のおかげで、中国は日本への攻撃を控えるだろうという見方もある。「ウクライナは核武装していないから攻め込まれた」という見方と同根である。しかし、昨年フランスのマクロン大統領が、ウクライナが核攻撃されてもフランスの核は使わないと口にしてNATO内で顰蹙をかった。けれども当然のことだと思う。自国が壊滅する事態に直面してはじめて最終手段として核兵器の使用に踏み切るものであろう。「台湾有事」で日本が甚大な被害をこうむろうとも、米国本土が壊滅の危機に直面しない限り「核抑止力」を行使するとは考えられない。国会で時おり「本当に米国は日本の安全を保障するのか」という質問がなされたり、日本独自の核武装論が深層で根強いのにもそれなりの訳がある。

     *
 米国は「アジア人をアジア人とたたかわせ」て自らの犠牲を最小限にする方策を考えているとしても、対中国ではなぜこれほどに積極的に緊張を高めるのだろうか。
 仮にキューバに中国のミサイルが配備されたら米国はどうするだろう。1962年のキューバ危機を思い出してみよう。米国の侵攻の危険にさらされていたキューバにソ連のミサイルが運び込まれたというだけで米国は怒り、米ソの核戦争勃発かと世界中が縮み上がった。幸い、キューバからのミサイル撤去とソ連を狙うトルコの米軍ミサイル撤去で妥協し事なきを得た。米国は日本だけでなくNATOまで動員し、「核抑止力」を誇示し、「キューバ危機」の数十倍のスケールで、中国に軍事的プレッシャーをかけているのである。
 いったい米国はどうしてしまったのだろうか。ふりかえれば、まさかトランプが大統領になるとはわれわれも予想できなかった。異様な極右宗教集団や排外主義者に支持された、非理性的な煽動家を熱狂的に押し出した米国社会の病弊の深刻さを見せつけられた。トランプ政権は中国敵視に走ったが、それでも半導体などをめぐる「経済戦争」が主であり、朝鮮戦争終結に踏み込もうとした。ハイテン大統領が当選したときには、米国に民主主義が戻ったと誰もが歓迎した。バイデン政権が、「自由で開かれたインド・太平洋」という米国流を強いながら、これほどに中国挑発を始めるとはまさかであった。中国との「経済戦争」は「軍事対決」色を強め、その点では民主党も共和党も競い合っている。
 60年代初めのキューバ危機は乗り切って米ソの「平和的共存」は維持された。70年代初めの米中国交正常化によって米国をはじめとする国際社会は中国を友好的に迎え入れようとした。それから半世紀以上を経た今日、ソ連と比べ格段に弱体化したロシアであるにもかかわらずウクライナ戦争が避けられなかったのは何故か。経済的な依存関係が格段に強まっているにもかかわらず、米国と中国が「新冷戦」状態になったのは何故か。社会主義体制の崩壊以降の新自由主義による世界制覇が生み出した諸矛盾が、新たな歴史的局面をむかえたのかもしれない。考究すべきことであろう。それは「まさか」が続く得体のしれない世界の変容を解明し、われわれの覚悟を定めるために必要な仕事である。

     *
 ところで「まさか」にもいろいろある。多少の防衛力増強はまさか戦争への道とはならないだろうという「気休め」のまさかもある。これは理屈ではたやすく論破できるが、意外と根強いのである。失礼ながら立憲民主党の幹部諸候ですらこの「気休め」にたっているように見える。そうでないとするならば、「ミサイルの長射程化」や南西諸島での「地下施設整備」などを求めるはずがない。思い起こせば「専守防衛」も、最小限度の「防衛力」であれば大丈夫だという「気休め」の積み重ねで強大な軍備にまで肥大化した。「最小限度」とは相対的な、限界のない無意味な規定なのである。
 中国や朝鮮も、日本の軍拡が一定限度をこえていないと判断していた限りでは、自国の軍拡の動因は主には米国に対する「抑止力」の必要であった。しかし「安保三文書」は限度を完全に超え、太平洋戦争敗北以来数十年間雌伏してきた日本が、アジアに「普通の国」として覇権を振るう宣言なのであり、戦争の危険をリアルにするのである。
 まさかそんなことにはなるまいと願いたい。だが43兆円の防衛費とは、戦争を予定した備えをする経費である。戦争を惹起し得る経費である。「最小限度の専守防衛力」の論理は「抑止力」の保有に転化するが、「抑止力」の論理は「限度」という制約をどの国にも課さない。朝鮮が核武装を強化するとすれば、米日韓の「核の傘」への抑止力なのである。この現実から目を背け、気休めの「まさか」に安住する、あらゆる「防衛力」強化論は「お花畑」であろう。
     (いしこ やすくに)  


●月刊「科学的社会主義」No.300 2023年4月号
    格差と貧困の克服は喫緊の課題!
                            社会主義協会 事務局長   福田 実

  はじめに
 NHKが本年のオックスファム報告書の内容を報道した(23年1月19日)。一部を紹介する。
 『新型コロナウイルスの感染拡大が世界経済にも深刻な影 響を広げる中、世界の上位1%の富裕層が増やした資産は残る99%の人の2倍に上る』。「貧困の撲滅に取り組んでいるオックスファムが(*23年1月 *印は筆者・以下同じ)16日、報告書で示した内容は衝撃的です。(中略)『過去25’年間で初めて世界の貧困は増加した』『超富裕層は、劇的に豊かになっている』。貧困の増加の理由として、報告書では新型コロナウイルスに加えてインフレの影響をあげ『2022年、世界の少なくとも17億人について、インフレが賃金の増加を上回った』としています。」と。

  1 もう少し、世界の格差と貧困を見る
 様々な機関からオックスファムの報告がされているので以下紹介する。
 「世界各国の政府は『富裕層つぶし』の政策によって富裕層の数を減らす必要があるとオックスファムは指摘した。最も裕福な人々が、コロナウイルスのパンデミックが始まった2020年以降に創出された42兆ドル(約5380兆円)のうち3分の2を手にしたとしている。これは、残りの99%の人々が新たに蓄えることができた富の2倍だ」「オックスファムの調査によると、裕福な人の収入の多くは不労所得で資産に対するリターンによるものだが、平均の課税率は18%で、給料や賃金に対する最高税率の半分強に過ぎない」「クレディ・スイスによれば、世界の資産に占める上位1%の富裕層のシェアは昨年、22年連続で上昇。21年は世界の富の45・6%を上位1%の富裕層が保有した」等々。
 なお2022年にはオックスファムは以下の様に報告している。「世界トップ10人の富豪の総資産は2020年3月の7000億ドル(約80兆円)から、2021年11月には1兆5000億ドル(約172兆円)に膨らんだ」「上位10人の大富豪だけで世界の下位40%にあたる31億人よりも多くの資産を保有」と。他方、次のことも紹介している。「医療の受けにくさ、飢え、ジェンダーを背景とした暴力、気候破綻が、4秒ごとに一人の死をもたらした(*毎日2万1000人)」と。(さらに国連の資料では「1日1・9ドル以下で暮らす極度の貧困者は7億960万人」「世界の10人に一人が飢餓に苦しんでいる」「3人に一人が充分な食糧を定期的に得られていない」と言う(*以上2020年の実態)。
 アメリカの実態を見てみよう。
 「アメリカで上位10%に入る世界の富は、1989年から2019年で約60兆ドル(約8700兆円)増えた。一方、下位半分の世帯は、同期間でわずか1兆ドル(約140兆円)増だった。これは、米国連邦議会予算局のレポートで上院議員のバーニー・サンダースが要請した。このレポートはアメリカにおける富の分配がいかに偏っているか、そしていかに富裕層だけが豊かになったかを示すものだ」「実際、1989年に上位10%が占めていた富は全体の63%だった。それが2019年には72%に急増している。さらに詳しく見ると、上位1%が全体の3分の1を占めている」と。
 「民主主義国家」を標榜する国々の実態もアメリカと似たようなものだろう。

  2 日本の格差と貧困の実態
 まず、超富裕層の実態を見る。東洋経済(22年10月)は、「配当含む収入多い経営者ランキング」を紹介している。それによると、上位10人の平均年収は56億5540万円。そこで国税庁「令和3年分民間給与実態調査結果(22年9月)」等を参考に比較する。「1年を通じて勤務した給与所得者(*含・役員)」5270万人で、平均給与443万円である。正社員の平均給与は508万円(男570万、女389万)、正社員以外は198万円(男267万、女162万)である。
 上位10人の一年間の平均年収は、正規労働者の1113年分、正社員以外の2876年分とほぼ同額なのである。
 他方、2019年の調査によると2018年の日本の相対的貧困率は15・7%(可処分所得127万円以下。約2000万人近く)、子供は17%(7人に1人、約300万人弱)、大人の単身世帯は48・3%、母子世帯は51・4%を占める。『データブック2023』より)
 本誌、23年2月号の特集は「現代日本の貧困」であった。学生・高齢者の貧困、生活保護制度の問題、外国人労働者の人権、生活の危機等々に触れている。日本の現状を映し出している。貧困問題は、経済的な問題に限らず、ストレス・精神的な健康(うつ病等)、人間関係(ソーシャル・キャピタル)の希薄に反映するとは橋本健二さんの指摘である。
 今話題になっている日本の男女格差を数値化したジェンダーギャップ指数は、2021年は146カ国中で120位である。特に経済・政治分野では最悪に位置する。

  3 岸田首相の施政方針演説での「格差と貧困は?」
 施政方針演説(23年1月23日)では、「格差問題」は「単語でのみ」2カ所出てくる。しかし、説明も具体策も一切ない「空文句」。「日本の経済格差は『深刻』88%」(読売世論調査22年3月27日)という国民意識を空文句で騙そうとしているのだ。
 「4、新しい資本主義」で、「構造的な賃上げ」「物価上昇を超える賃上げ」にも触れている。しかし「企業が収益をあげて、労働者にその果実」が基調だからトリクルダウンは無く、逆に格差が拡大し、実質賃金が低下した「アベノミクス」の焼直しと言える。
 「希望する非正規雇用の方の正規化(中略)加速します」と言うが、加速して増えてきたのは正規でなく非正規である。平然と嘘を言っている。もし本気ならば正規化への法的具体策を国・地方自治体から始めることなどを表明すべきである。
 世界的に課題になっている「貧困問題」には「貧困」の一言もない。この解決には、格差の是正が必要である。「最低賃金等賃金の大幅な引き上げ」と「税制による応能負担(累進税の強化)」は不可欠であるが、これらに一切触れていないのだ。つまりやる気はないのである。

  4 格差と貧困の克服のために
 所得格差の是正と税制の抜本的改革が必要である。ここでは税制に焦点を当てる。
 再度、オックスファムの報告をみる。オックスファムは、富裕層に有利な法人税減税、付加価値税や消費税など低中所得層への負担が重い逆進的な税制を批判している。コロナ禍の下で、物価高騰にかこつけ「惨事に便乗して暴利をむさぼる富裕層への税制が必要だ」とも指摘する(23年1月)。
 22年にはこう指摘した。「世界的危機の中でも、私たちの不公平な経済システムは大富豪に極めて多額の収入をもたらしたが、最も貧しい人たちを守りはしなかった」「このシステムには大きな欠陥がある」「富裕層の資産に対する課税を増やし、皆保険制度や社会的保護への支出を増やすなどの取組みを、政治家は進めるべきだ」と。
 では日本はどうか? 不公平な税制をただすと47兆2779億円が新たな増収になる(不公平な税制をただす会の試算)。この試算額には、法人税が1989年40・0%の課税から2020年23・2%へと大幅減税されたことはカウントされていない(89年法人税収入19兆円→二2020年11兆円へ)。それでも47兆円である。勤労国民が創ってきた巨万の富は有るのである。その一例が内部留保だ。10年連続で過去最高を更新し、20年度484兆円から21年度は32兆円(6・6%)増加し。516兆4750億円になった。勤労国民の汗の結晶が内部留保に貯めこまれているのだ。
 全国の小中学校の給食費無料化に必要な予算は4386億円、大学授業料の無償化に必要な予算は1・8兆円、公的保険医療費の自己負担(1~3割)ゼロに必要な金額は5兆1837億円、と試算されている。
 政府・日銀の円安政策をおおもととする物価高騰に苦しむ全国民に15万円を給付しても20兆円であり、内部留保に特例的に4%課税すればできるのである。

  5 結語
 時々、筆者が紹介しているが、格差と貧困層の拡大の中での宇都宮健児弁護士の言葉である。「税制や財政は経済の発展や一部の大企業を潤すためのものではなく、社会が直面している共同の困難に対処し、全ての人が人間らしく生きることを支えることにこそ、その存在意義がある(憲法13条・25条)」「限られた税収しかないこと、財政難であることを理由に社会保障を削減するのではなく、全ての人に人間らしい生活を保障するためにどれだけの税収が必要か、どのような税制が必要かを考えることが大切である」と。
 つまり、全ての人の人権を保障する社会保障のための税制の応能負担(累進税)を強化して財源をつくれということだ。付け加えれば、憲法破壊の異次元の軍備増強の財源と言われる国債も、剰余金・所得税・法人税・税外収入も、本来は国民の生活支援と社会保障充実に使うべきものだ。
 私共の前進が図れない中で思うのは、拙文で時々紹介する向坂逸郎の「レーニン伝」の中のクループスカヤの「レーニンの思い出」の一文である。
 「この時期(*ペテルブルグ時代のレーニンが)やったことは、英雄的な行為ではなくて、大衆と緊密な結合をつくりだすことであり、大衆に近づくことであった。われわれは、大衆が最も望んでいることを言葉に表すことを学ばねばならなかった。われわれが大衆を理解し、また大衆がわれわれを理解するようにするのを学ばねばならなかった。大衆をわれわれの側へ獲得することが目標だった」。
 深く味わい、実行したいものである。
     (ふくだ みのる)


●月刊「科学的社会主義」No.299 2023年3月号
      今こそ平和憲法を世界へ
                            社会主義協会事務局次長   津野公男

 地政学の流行
 最近、書店には「地政学」的視点で世界や世界の武力紛争を論じる書物が並んでいる。地政学とは何かという表題の本さえある。剣呑(けんのん。危険や不安を感じている様子)ムードをかきたてるのに一役買っている。
 ウィキペディアでは、「19世紀から20世紀にかけて形成された伝統的地政学は国家有機体説と環境決定論を理論的基盤とし、ドイツ、日本、アメリカ合衆国などにおいて、自国の利益を拡張するための方法論的道具として用いられてきた。第二次世界大戦後の国際社会おいて、地政学という言葉はナチス・ドイツの侵略行為との結びつきから忌避されてきた…」、「国家有機体説では、国家は自らの生存圈を拡張しようとする、国家の成長は小国の合併によって進行する、国境は国家の周辺的器官であり、国家の成長と防御の担い手であり、国家という有機体の変化のすべてに携わる等々」と説明されている。ようするに「強国」に都合のよい、徹底的に侵略的な理論である。
 また、流行の「緩衝地帯」論、すなわちウクライナはNATOとロシアの間の緩衝地帯であって、にもかかわらずウクライナが「西側」に近づこうとするからロシアが怒ったのだと説明される。過去にはロシアと日本に挟まれた朝鮮半島が緩衝地帯と位置付けられていて、日本は朝鮮半島に出兵、併合した。お分かりのように、地政学でいう緩衝地帯と断定された国は自国の主権など主張できず絶えず両隣の強国のいいままになるしかないということになる。
 お隣が、剣呑だからと言って、「国」は引っ越しできないのであるから迷惑極まりない理論である。地政学、あるいはパワーポリティクス的な観点で世界をどう分析してみても平和は到来しない。

 国境を越えた連帯こそがもとめられている
 戦争に対して労働者階級・勤労市民はいかなる態度をとるべきか。『共産党宣言』では、「(ブルジョワジーから)さらに共産主義者にたいして、祖国を、国民性を廃棄しようとする、という非難が加えられている。労働者は祖国をもたない。彼らのもっていないものを、彼らから奪うことはできない」(岩波文庫、65頁)と述べられている。『宣言』の結びにおける、「万国の労働者よ団結せよ」の呼びかけ、その理念は労働者階級の解放闘争においても、また「宣言」が書かれた後の帝国主義戦争の時代における反戦闘争においても貫かれて来たものである。
 日本では、日露戦争の開始直後、『平民新聞』(18号、1904年3月)に、幸徳秋水の『与露国社会党書』が掲載され、戦争は日露両帝国の支配層が企てたものであり、それは両国の社会主義者や国民の共通の敵である…という趣旨とともに、「マルクスの『万国の労働者よ団結せよ』の一語は、真に今日に於いて実現せしめざる可らず、希くば我等諸君と極力此事に従わん」と記されている。他方、これを受けて、欧米の社会民主党各党は機関紙に転載し、またロシア社会民主労働党の機関紙「イスクラ」は転載とともに、連帯の記事を載せている。もちろん、非戦の論陣を張り続けた『平民新聞』は当局の弾圧のもとで廃刊に追い込まれ、これだけが原因ではないが、この7年後には幸徳秋水は日本の歴史上最大のフレームアップ、「大逆事件」で刑死している。また、1904年8月にアムステルダムで開催された第ニインタナショナル第6回大会において、参加していたプレハーノフと片山潜が握手したシーンは社会主義者の国際連帯を象徴するものとして今も語り継がれている。
 しかし、いまウクライナに侵攻している当事国であるロシアの社会主義を名乗る政党からは、このような声は聞こえない。それどころか、戦争遂行のプーチンをとりまく体制翼賛的位置を占めている。弾圧にも屈せず、「戦争に協力したとは言われたくない」(あるインタビューから)と、多くの市民が戦争反対のスローガンを掲げて闘っているにもかかわらず。
 そして、この国際連帯が劇的に破られた不幸な歴史もある。「マルクス主義のカレンダーでは、1914年8月4日という日付は歴史を二つに分けた分水嶺とされている…」(ネトル著『ローザ・ルクセンブルク』)。社会民主党が、帝国議会本会議で「戦時公債」に賛成を表明した日である。社会主義者が戦争に賛成するというありえないことが起こったのであった。そして、フランスにすでに宣戦布告していたドイツは、同日、永世中立国ベルギーに侵攻した。
 もちろん第ニインタナショナルのなかでは、戦争を回避するための努力が続けられており、「ゼネラルストライキ」の提案もなされていた。1913年9月のドイツ社会民主党大会のなかでもローザ・ルクセンブルクらから「大衆ストライキ」が提案されていた。また、同年に行われたフランスの国政選挙では、ジョレス率いる社会党が急進党と協定を結び、両党合わせて4割を超える議席を獲得していた。しかし他方では、たとえばオーストリア社民党などからは高まる民族(主義的)的たかまりはどうしようもないという認識も表明されてはいる。このような反戦機運の高まりにもかかわらずドイツ社民党の、とくに右派による消極的態度によって欧州各地でのゼネストは実らず、フランスの党と労働組合の大反戦集会に合わせて開催しようとされた第ニインタナショナル・パリ大会が、ジョレスが暗殺されたことで開催できず、以降一挙に戦争に突き進でいく。
 ひるがえってみて、今はどうか。国際的な社会主義運動もほぼズタズタ、国際的な労働組合の声明も聞かない。聞こえてこないのは私の耳のせいかもしれないが、あったとしても、あまりにも声が小さいのだろう。

 曲解された「憲法前文」
 「積極的平和主義」は、防衛官僚の久保氏が、「日本の平和主義は非武装中立とかいうように我が国は何もしないという、受動的・消極的なもので、世界の平和創出のために何かをするという能動的、積極的平和主義に転換しなければならない」(骨子)と言い出したことに始まる。
 それが引き継がれた小沢調査会の提言では、「日本さえ平和であればよいという『一国平和主義』の考え、日本が軍事的活動を行わないことが国際平和に寄与するという『消極的平和主義』の考えを否定し、憲法前文の『いずれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならない』とあるように国連平和維持軍等、自衛隊の海外派遣も考えよ」(骨子)とされ、自衛隊の海外派遣に道を開く理論に発展した。後述するように、この「憲法前文の解釈は、意図的・悪意に満ちたものである。
 以降どんどんエスカレートし、安倍政権のもとで、積極的平和主義の名の下の「国家安全保障戦略」に、そして集団自衛権行使の「安保関連法案につながっていく。最近では、仮想敵が我が国に攻撃を加えれば、相応の被害を被ることを分からせるだけの軍事力増強を図ることが、平和の維持の核心であるかのように言われている。

 「憲法前文」は消極的平和主義ではない
 やや古い書籍であるが、まさにこの小沢提言の背景にある湾岸戦争の時期に出版された、『日本国憲法を読む』(柏書房1993年出版)のなかで、C・ダグラス・ラミスが「日本のラディカルな憲法」という論文を書いている。
 30年前の主張とは言え、ロシアのウクライナ侵攻によってまさかと思われた第二次世界大戦後最大の戦争がつづき、世界を覆っていた軍拡競争がウクライナ危機によって一段と加速されている現在、もちろんそのなかにあって急速な軍備増強を進めようとしている我が国にあって、この本から学ぶものは多い。
 その末尾には、「日本政府は、憲法の前文に従って憲法の原則を海外に普及させるために努力することをせず、その代わりに日本の国民に考え方を変えて、争い合うこの世界のゆがんだ『常識』に順応するよう要求している。これは大いなる悲劇である…、冷戦がはじまって以来今ほど、世界の世論が日本人の平和主義の声に耳を傾けようとしている時代はない。しかし、彼らはその声を政府の代弁者からは決して聞けないだろう。こうした背景からここに英文の日本国憲法が刊行されることになったのである」とある。
 日本国憲法前文には「日本国民は、恒久の平和を念願し…、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」とある。平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼するということは、ただ手をこまねいて、受動的・消極的な態度では勝ち取れないことは言うまでもない。先にあげた、政府や好戦派の人たちの「積極的平和主義」では、肝心の今取り上げた部分はおそらく故意に抜け落とされている。

 国家を超えた連帯こそ緊急の課題
 最後に、C・ダグラス・スミス氏が引用している、アメリカの政治学者ジョン・H・ジャーの一文(「現代国家の正当性」)を紹介しよう。
 「巨大な兵器と途方もない兵力にもかかわらず、あるいはむしろそれゆえに…現代国家は他の現代国家の攻撃にたいし自国の国民の生命と財産を全く防衛しえないのである。その国家がなしうるのは、的確な報復だけであり…、国家が安全の保障人であるという幻想を打ち破るために努力することが、今日唯一のもっとも重要な「政治教育の任務である」と。
 私たちが頼りとするところは、国家に対する幻想から目覚めた草の根的な、かつ国家・国境を越えた反戦の活動、闘いである。先にも述べたような、かつてのような国際的な社会主義政党、労働組合の連携が見られないなかでは核兵器禁止条約締結に成功した「I CAN」のような草の根的な連携から始めていくべきかもしれない。そして、それに合流する社会主義政党や非戦を表明する政党、労働組合を増やしていくしかない。
 いうまでもなく、このような決意を表明するからには、自国の一切の戦争行為、軍拡などの戦争につながる企てを阻止する闘いがともなわなければなちない。
     (つのきみお)


●月刊「科学的社会主義」No.298 2023年2月号
      岸田首相のエネルギー政策批判
                            社会主義協会 理論部長   野崎佳伸

 昨年、今村稔顧問よりいただいた賀状に「なにか想定外のことが起こらぬともかぎりません」とあった。図星であった。時代が大きく変わろうとしている。為政者だけにその変化を委ねていてはならない。昨年9月の安倍国葬儀反対の闘いは自公長期政権のおごり高ぶりを根底から揺るがした。自民党と旧統一教会との癒着ぶりの徹底究明を今年も継続し、統一自治体選挙で形にしたいと思う。またプーチンによるウクライナ侵略戦争を一刻も早くやめさせなくてはならない。長引かせれば我が国の好戦的政治家の思う壺にはまる。
 昨年12月、臨時国会閉会を待ち望んだかのように岸田文雄首相はやりたい放題にふるまった。16日には敵基地攻撃能力の保有、防衛費を向こう5年間で17兆円積み増し43兆円とする安保三文書の改定を閣議決定した。だがそこに財源として盛られるはずの増税分については口をつぐみ、具体策を24年度以降に先送りするとして増税隠しを図った。次いで22日には、原発の60年超運転や建て替えを柱とする「脱炭素基本方針」を決定した。23日に閣議決定した当初予算案には軍事費の財源の一部に、一転して「建設国債発行」で充てるとした。今や岸田首相は「たぬき(田抜き)の岸田」=岸元首相の再来である。国会閉会中のドサクサに重要事項をあたふたと決める手法を繰り返すのなら「宏池会」を返上し狡知会、いや狡恥会と称するべきである。内閣支持率が政権発足後最低を更新したのは当然である。ただし、世論調査の結果はまた「防衛力強化」「反撃能力の保有」「次世代型原発への建て替え」に関しては支持・賛成が多数を占め、自民党への支持率はなお高率、とも示す。世論が揺れるのは野党が揺れているからである。。しかし防衛費のための増税には多くの国民が納得していない。私たちの努力が試されている。
 安保三文書の改訂がいかに馬鹿げたものであるか、そのラジカルな批判については本号所載の土岐直彦論文に譲り、ここでは岸田首相のGX(グリーントランスフォーメーション)のまやかしについてふれておきたい。
 先述したように政府は12月22日、「GX実行会議」で脱炭素社会の実現に向けて、と称して「基本方針」をまとめた。原案を作成したのは経済産業省である。本年2月までに法案提出を目指すとした。発生後12年も経過しない福島第一原発事故の反省と教訓を、ロシアのウクライナ侵略を奇貨として投げ捨てる行為は狡恥会にはふさわしい手法ではある。しかし問題は他にもある。原発関連以外の、気候危機に対処するための本来の脱炭素方針は本気度が全く伝わらない。政府は10年間で官民150兆円投入と規模を誇るが、投資先案件はほぼ未確定であり、民間資金が集まるかも見通しにくいとされる。とりあえず原発を再稼働させたい電力会社や産業界、「原子カムラ」の面々、更にガソリン車の延命をできるだけ図りたい自動車工業会や化石燃料会社の意向を優先したものにほかならない。そしてそこには将来の核兵器保持という野望が隠されているに違いない。筆者は第56回協会総会議案(国内経済)に向けて次のとおり草案を提出した。
 「しかし原発建て替えは長期的な世界の趨勢に反するばかりか、それには兆円単位の莫大な建設費と期間、安全確保費用を要するので、電気事業者も必ずしも積極的とは言えない。それに比し既存事業者にしてみれば、「再稼働」は余程ありがたいはずだ。「運転期間最長60年」の枠組みを外したのも、電気事業者や日本経団連の期待に応え、あるいは背中を押したものと考えられる。だがこの短期間での大転換を3・11被災者、国民にどう説明するというのか。
 原発頼みはコストが低下し続ける「再生可能エネルギーへの転換」の本気度を削ぐ。これまでの実績がそれを証明している。例えば太陽光パネル。2004年の日本メーカーのシェアは世界の4割程度を占めていたが現在ではゼロである。洋上・陸上風力発電機のシェアも無いに等しい。電気自動車向けリチウムイオン電池のシェアは13年に6割程度占めていたのが今では(21年)パナソニックの12%程度のみ。中国・韓国勢に圧倒されている。その電気自動車本体も日産自動車が14年にはシェアトップだったものが、米・中・欧州勢の後塵を拝している。太陽光パネル以外のいずれも、アベノミクスの第三の矢「民間投資を喚起する成長戦略」の時代に結果した事態なのである」と。
 日本の発電量に占める再生エネは21年にやっと20%を超えたばかりである。水力、バイオ、地熱、風力、太陽光を含む自然エネルギーの国別電源構成では日本は、欧州諸国のみならず、中国やブラジル、カナダ、チリにも後れを取っている(IEA=国際エネルギー機関による21年時点のデータ)。ここではEV(電気自動車)関連に絞って新しい知見を追記しておく。
 年を挟んだこの1ヵ月程度の間にEVに関する報道がかなり目立った。東京新聞デジタルは12月(以下、同じ)13日に「EV世界市場、日本メーカー影薄く 上位10社に「三社連合」のみ…攻勢強める海外勢、日本に相次ぎ進出」と題して要旨、次のように報じた。「世界のEV市場で、日本の自動車メーカーが出遅れている。22年上半期の世界のEV販売台数は、首位の米国テスラをはじめ中国企業など海外勢が席巻。上位10社に入る日本勢は、日産・三菱・ルノーによる「三社連合」のみだった。各国はガソリン車の販売禁止などEV普及を促進する政策を進めており、近い将来、車業界の勢力図が塗り変わる可能性がある。日本勢はガソリン車を含む車全体の販売では、首位のトヨタをはじめ上位10社に4社が入ったが、EV単独の販売台数ではトヨタとホンダがそれぞれ1万台超でランク外。海外と比べ「日本の動きは数年ずれている」(輸入車メーカー幹部)。日本勢の影が薄い中、海外メーカーは日本に相次いで進出。現代自動車は5月に「アイオニック5」の販売を開始。VWも11月に「アイディー4」を発売した。BYDは23年1月末に「アットスリー」の受注を始める」。
 次に日経新聞デジタルの29日の報道では「22年のEVの世界販売に占める割合は中国のメーカーが4割を占める見込み。米国メーカーが3割、欧州が2割となる一方、日本メーカーは5%以下になる。ハイブリッド車(HV)を日本が重視しているのが主因だが、拡大するEV市場での存在感がさらに低下しかねない。22年1~11月の世界のEV販売台数は約680万台だった。既に21年暦年の約1・5倍の水準となっている。自動車全体の販売に占めるEVの比率も約6%から約10%に高まった。日本の主要メーカーは約20万台で2~3%だった。中国や米国がシェアを伸ばした要因の一つは脱炭素化の加速で、走行中に二酸化炭素を排出しないEVの価値が高まった。EVはガソリン車より部品点数が少なくテスラやBYDなど新興勢が台頭しやすかった。
 欧州の各国政府も後押しし、HVを含めたガソリン車を30年代に販売禁止にする目標を相次ぎ公表している。一方、日本政府はEVや水素を使う燃料電池車(FCV)などとともにHVを優遇している」と指摘する。
 現状、日本のクルマ・メーカーはHVでは世界市場で圧倒的シェアを誇るが、欧米では2030年代を境に販売を禁止するガソリン車にHVやPHV(プラグインーハイブリット車)を含むとしている。しかし日本政府が2035年までに新車販売に占める電動車の割合を100%とすると表明した中にはHVとPHVが含まれており、世界標準とはかけ離れる。
 まだある。23日の日経デジタルは「アジア23年のヒット予測 EV普及元年、低価格競う」として次のように報じた。「アジアで強力な低価格EVが現れた。夕夕自動車(インド)が23年1月以降に納車を予定する「ティアゴ」だ。最初の1万台限定で約135万円からと、同社の既存EVに比べて大幅に安くした。価格の衝撃は大きく、同社によると10月の予約開始の初日だけで1万台を超える注文が殺到した。
 インドネシアでは中国勢と韓国勢が低価格で競っている。上汽通用五菱汽車が、8月に世界市場向け小型車「エアev」を発売した。価格は約200万円からと、現代自動車の主力モデル「アイオニック5」の3割程度に抑えた。エアevの販売シェアが7割以上と市場をけん引する。11月にバリ島で開かれた20ヵ国・地域首脳会議(G20サミット)では、公用車として300台が使われ、存在感を一段と高めた。
 ベトナムのピンクループも大胆なEV転換を掲げた。11月末からは米国に輸出を始めた。価格は米テスラの約半分に設定した。そのテスラはタイ市場への正式参入を決めた。主力の「モデル3」の価格はこれまで並行輸入で約1100万円かかったが、約700万円からと大幅に下がる。
 中国勢も需要が見込める東南アジアに目を向け始めた。22年からEVの海外展開を本格的に始め、すでにシンガポールで高い人気だ。韓国では現代自のアイオニックシリーズが国内や欧州などで好調で、インドネシアでも若年層を狙った販売促進に力を入れる。台風の目となりそうなのが、台湾の自動車大手、裕隆汽車製造(ユーロン)だ。同社が開発・生産を手掛ける初の個人向けEVの納車を23年後半から始める予定だ」。
 EV用急速充電器でも後れをとる。日本経済新聞は昨年5月にそれを指摘していたが、本年1月4日には日本政府が23年度中にも対策を取ると報じた。GXは菅義偉前首相からのうたい文句であったはずだが、なんというスピード感の無さであろうか。なお、斎藤幸平氏が『人新世の「資本論」』でEVの二酸化炭素削減効果を軽視していることに対する明日香壽川氏の批判(『グリーン・ニューディール』231頁)を筆者は支持する。
 EVへの転換は気候危機対策のひとつに過ぎない。しかし日本経済の屋台骨である自動車産業に対する影響は甚大である。対処を誤れば大量の失業者を国内外の工場や関連会社で生み出しかねない。「最後にして最大のグリーン敗戦」と言うべきであろう。岸田のGXはどこまで危機感を持っているのだろうか。戦争ごっこに明け暮れ、電源を原発頼みに固執して気候危機にも背を向ける。即刻ご退陣いただこう。
     (のざき よしのぶ)


●月刊「科学的社会主義」No.297 2023年1月号
      社会主義後援会を終えて
                            社会主義協会 代表   河村洋二

 12回目の四国連鎖社会主義講演会
 新年あけましておめでとうございます。今年2023年は昨年の参議院選挙の余勢をかりて統一自治体選挙の必勝を目指して、全国の皆さんとともに頑張りぬきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 さて、協会活動の強化定着のため2001年から始めた四国での連鎖社会主義講演会は、昨年10月に徳島市、高松市、松山市、高知市で開催してきました。
 昨年は、日本共産党創立100周年。ということは第一次共産党結党(1922年7月15日)の経緯からして労農派も創立100年にあたるのではないかということで「労農派マルクス主義の源流100年と現代」というテーマで石河康国代表を講師に行いました。講演会には、約100名(昨年より少し減)の参加がありました。
 参加者アンケートの特徴点は、参加者の約半分が70才以上の年金生活者で一番多かったことです。60歳以上でくくると実に68%に達しました。40歳以下は23%で、昨年の36%から13ポイントも減少、今回も高齢化を克服できませんでした。
 「あなたの周りで一番大きな話題、問題になっていること」は、との問いに「コロナ問題」が21%、「インフレ物価高」13%、「年金、医療、健康、介護」問題と「低賃金」が10%、「憲法九条改憲」9%、「ロシア・ウクライナ戦争」8%、「旧統一教会問題」7%と続きました。九条改憲の危機の割には関心が高くないので心配です。

 社会主義日本に賛成は79%、わからない19%
 「社会主義と聞いて頭に浮かぶこと、思いつくこと」はということで「社会主義に対するイメージ」を尋ねたところ、「労働者が主人公」が20%でトップでした。次いで、「平等公平」14%、「反戦・平和」12%、「社会党」11%でした。「自由がない」、「独裁、弾圧」はいずれも1%と意外に少なく、マスコミ報道は誇大宣伝の疑いが濃いと思いました。
 「社会主義政党として認識されている国内政党」は新社会党64%、社民党17%、共産党14%でした。
 「日本が社会主義国になること」に「賛成は79%」で昨年より8ポイント減、「反対1%」、「わからない19%」で昨年より10%増えました。原因は、「わからない派」は11名と昨年とほぼ同数なのに、参加者の減少(20名弱)で賛成派が減り、「わからない派」を相対的に押し上げた結果とみることができます。

 「労農派(社会党系)と講座派(共産党系)」がヒット
 今回の講演会テーマは「労農派マルクス主義の源流100年と現代」でしたが、むつかしいということで石河代表は、講演レジュメのタイトルを「労農派(社会党系)と講座派(共産党系)」とし、ロシア・ウクライナ戦争で、まさに焦眉の問題となっている「非武装中立」についての労農派と講座派の違いを考えることによって労農派の正当性を明らかにする試みとなりました。
 しかしそれは講演会参加者の「ロシア・ウクライナ戦争をどう考えたらいいのかわからない」とか「非武装で国が守れるのか」、「非武装中立は世間では受けない。理想論だ」といった疑問、質問にピッタリ応えるものとなりました。「武力による自衛はしないという考え方は、自分にとって新しい考え方でした」、「日本の防衛力の増強について改めて考え直した。山川均の整然とした非武装中立の考え方はすばらしい」、「敵基地を攻撃しても破滅は避けられない。非武装中立は今日的にもますます輝いています」等々、参加者にとって非常に説得力のあるものとなりました。

 改憲、増税、軍事費倍増そして戦争へ
 石河代表は、総評の平和四原則や山川均の「非武装中立論」を紹介しながら講演を行いました。
 (1)今年(2022年)2月にロシアがウクライナに侵攻し大変な事態になった。戦争は始めると終われない。太平洋戦争もなかなか終われなかった。そのうちに310万人が亡くなった。
 (2)政府・自民党は、日本をウクライナにさせてはならないと国民を扇動し、この機に乗じて、①軍事費をGDP比2%に(現状の2倍、10兆円越え)、②敵基地攻撃能力の保有、③トマホーク500発配備、④防衛産業の育成、⑤安保三文書改定、⑥増税、を打ち出しました。戦後安保体制の大転換です。中国を仮想敵国とし、台湾有事は日本の有事と煽り、九条改憲を実現し、米軍と一緒にたたかおうとしています。
 これに対し野党がブレています。立憲民主党は日米同盟基軸です。「敵基地攻撃、私は賛成です」(衆院・玄葉光一郎)、「南西諸島の核シェルター整備を急げ」(岡田幹事長)ですから危ない。共産党も今年、志位委員長が「いざという時(急迫不正の侵略)は自衛隊も活用します」と喋ってしまった。揺れているわけです。
 (3)「非武装中立論」の元祖=理論的支柱が、山川均(労農派)でした。
 山川は「武力で国防ができるか?」ということについて「最小限度の自衛のためといえども、原子力兵器に対して最小限度なのだ。最小限度などというのは言葉のアヤというもので実際には(我が国の経済財政の許す)最大限の軍備のことなのだ」(1950年)と応え、武装論に反対しています。また「侵略されるから再軍備すべし」という主張には、「武装状態と非武装状態とどちらが危険度が大きいかといえば武装することからくる危険(軍拡競争)がはるかに大きい」(1951年)と反論しています。
 さらに「世界の平和は、すべての国々が独力で自国を守る軍隊を持たないから脅かされているのではなくて、むしろ少数の国(米英仏ソなど)が、そういう軍隊を持っていること(軍拡競争)によって、脅かされている」(1951年)と軍事大国を非難しています。
 そして、「最終防衛方法は核抑止力保持でしかないから軍拡競争は『核兵器』に行き着く」と核抑止力は核兵器所有に繋がることを警告しています。さらには「攻めてこられたらどうする」との問いに「自衛隊で勝てるのか」、「原発は防衛できるのか」と反論し、(攻められたらどうするかを考えるより)「攻められぬために最大限の努力(平和外交)をするほかない」と平和外交、平和協力、食料、農業、医療、災害支援の重要性を訴えています。
 (4)「敵基地攻撃能力の保有」の必要性について政府、防衛相は、何処から飛んでくるかわからない、しかも音速に近いスピードで「北朝鮮」「中国」から飛んでくるミサイルを撃ち落とすことは不可能と、これまでの説明を180度転換しました。Jアラートなど何の役にも立たないことを明らかにしました。かくなる上は敵の基地や中枢機能をたたくことによって国の安全保障を確保しなければならないと言っています。
 一方、核爆発に匹敵し、国内に54基もある原発を守る原発安全保障には何の対策も方法も示していません。福島原発事故の処理状況を見るにつけ、やるべきことはそっちだと思います。米軍の要請に合わせて「トマホークだ」、「台湾有事だ」、「サイバー対策だ」、「宇宙戦争だ」と戦争で儲かる人々が勇ましくはしやいでいますが、私たち庶民、国民にとっては核戦争やいのちの危機、増税による生活破壊でしかありません。改憲阻止、非武装中立の声を一段と大きくしなければなりません。

 じっくり「非武装中立論」の研究討論を
 参加者の声は、「今一度、非武装中立論を広げていきたい」、「山川均の奥深い、思慮深い(非武装中立論)勉強になりました」、「非武装中立の思想をもった国会議員(新社会党)を出そう」、「現代起こっていることに重ねて話してくれたので非武装中立の態度が非常によくわかった」、「労農派や非武装中立について理解が深まりました」、「非武装中立が必要ということを改めて確認した」など、感動の感想がたくさんありました。
 講演会を終えてわかったことが大きく二つあります。
 一つは「非武装中立論」をじっくり聞いたり考えた人は少なかったようです。また憲法九条(非武装中立)が広島や長崎の原爆が作り出したあまりにも悲惨な経験から生まれたことは知っていても、それを守るために反自衛隊闘争や当時の社会党や総評が「平和(講和)四原則」を確立していくために激しい論争があったことを初めて知ったという方が大半だったからです。ロシア・ウクライナ戦争を参考に、私たちが戦争の加害者にも被害者にもならないためにどうすればいいのか。この機会に「非武装中立論」をじっくり磨き上げなけれぱならないということがわかりました。
 もう一つは、講演会がマンネリになったり、全協会員の運動になっていないということです。各会場とも長く講演会をやってきてそれなりに人は集まるので、惰性の運動になっていることがわかりました。しかし初めて事務局長の任についたYさん(愛媛)はいろんな仲間や職場に声をかけ、これまでで最高の参加者がありました。マンネリを打破しなければといけないということがわかります。
 今年2023年は、全協会員が参加する活気と元気、やる気が見える「青年!社会主義講演会」にしていきたい思います。
 ともに頑張りましよう。
     (かわむら ようじ)




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