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展望

科学的社会主義の展望  2024年7月~12月


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●月刊「科学的社会主義」No.318 2024年10月号
     衆院選に臨む
                         社会主義協会事務局長   福田実

 はじめに
 8月14日(水)岸田首相の退陣表明(総裁選辞退表明)があった。低支持率が続く中、「岸田では衆院選を闘えない」との党内外の圧力であろう。しかし、それは、権力維持のために「表紙」を変えるだけのものであり、自民党の金権体質も、安倍政権以降の政治も変わらない。

 1 退陣表明の背景と癒着の裏側
 岸田首相は退陣の記者会見で自ら「旧統一教会との癒着」「裏金問題」に触れていたが、それが低支持率が続いた理由でもある。さらに言えば、多くの人々の困難な生活(実質賃金は97年以降74万円減少)・厳しい職場の下で、それらの不誠実な対応が有権者の怒りを買った。
 「裏金問題」で言えば、企業・団体献金は禁止せず、パーティー券購入も禁止せず、今も続いている。例えば、「軍備拡大」。防衛省の2025年度予算概算要求は8兆5389億円。岸田自公政権は「防衛力整備計画」で253年度~27年度の5年間で43兆円を決定し、当初予算だけでも飛躍的に増えた。23年度は約6兆8千億円、24年度は約7兆9千億円と膨らんだ。23年度予算以降は概算要求より当初予算の方が多いし、補正予算もあるから一層膨らむ。
 その裏には財界との癒着もある。自民党の企業団体献金の受皿である国民政治協会への献金額は毎年約25億円だが、その中で軍需企業の献金は三菱重工・日立製作所など9社10年間で25億円超という(*)。こうした献金が「軍需産業支援法」「防衛装備移転三原則の緩和」に繋がる。自民党も財界(軍需産業)も大助かりだ。
 岸田政権の「原発推進」の裏では軍需企業と同様に「献金」がある。「原子力産業協会会員企業から自民党(国民政治協会)への献金」は10年間で70億円超という(笠井亮衆議院事務所作(*))。日立製作所・三菱重工等々の大企業が連なる。

 2 「表紙」を変えても「内容」は期待できず
 さて、内閣の低支持率の中で、首相という「表紙」を替えて選挙を乗切り、階級支配を保持するのは自民党の「常套手段」である。直近では「安倍→菅」「菅→岸田」である。そして、いつも多くのマスメディアが候補者の「一挙一動」を垂れ流し、自民党への「信頼」を取戻させる役割を果たしてきた。
 問題は「表紙」でなく「内容」である。企業・団体献金の禁止は望めないし、パーティー券購入(利益率80%台)禁止も望めない。現に、岸田内閣の鈴木俊一財務相・武見敬三厚生労働相・松本剛明総務省・中村裕之衆議院議員・世耕弘成前参院幹事長が今年7・8月に開催している。
 パーティー券収入に関して、本誌24年4月号で次の様に紹介した。「自民党の政治資金パーティー収入はどうか。政治収支報告書による22年度分の自民党6派閥の収入は9億2323万円とある。今問題になっているキックバック「裏金」は当然含まれていない」。加えて、一回で1千万円以上を集める「特定パーティー」による国会議員の収入は少なくとも計52億円で9割超を自民党議員が占める(約47億円)という」と。(共同通信23年12月)
 特定パーティーでないもの、地方議員のパーティー券収入を含めれば莫大な収入が推測される。つまり、これらは自民党と財界・大企業等の癒着だし、資本階級の支配を保持するための「共同作業」でもある。その献金’・パーティー券購入費の大部分は、働く者からの搾取に寄る。
 裏金事件での自民党の処分は85人の内39名であるし、何に使ったのか等の実態解明もしないし、派閥の解散も旧森山派、岸田派のみである。
 11名の総裁候補者のこの問題の対応はどうか。朝日新聞(24年8月30日)は「政治とカネ 見えない本気 自民党総裁選にらみ議論停滞 派閥は活発化」の見出しで批判的な報道をしている。
 「AERAdot」(8月27日)で古賀茂明さん(政策ラボ代表、元経済産業省官僚)は次の様に指摘する。「このように見てくると、どの候補も(前半で11名の総裁選候補を辛口でコメント)、結局は、自民党議員の多数の賛同を得なければならないので、政治資金改革を本気で進めることはできないだろうということがわかる。石破氏が勝利して改革の旗を振ったとしても、総選挙の顔としての役割を終えれば、おそらく党内の反対で改革は頓挫するとみる方が現実的だろう。ただし、小泉氏や石破氏が新総裁になれば、国民は一時的に、自民党は変わる!という夢を見ることになりそうだ。夢見心地のままで解散総選挙となれば、政権交代は起きずに自民党政治の継続と言うことになる。そうすれば、まさに、岸田首相は『自民党の救世主』になるのだ」と。
 また、「新しい資本主義(金融所得課税の是正など)」を掲げながら、「アベノミクス」を継承し、格差を拡大した岸田政権の経済政策への批判もないし、円安・物価高の対応政策も見えない。改憲は推進の立場だ。そもそも11名は安倍・菅・岸田政権の悪政を推進した面々でもある。
 新社会党の「衆院選・参院選挙政策」を踏まえ、内閣だけでなく、自民党・改憲派総体の批判を強めたいものである。

 3 立憲野党の状況と世論調査
  立憲民主党は代表選挙が9月23日(月)投票で行われる。岸田内閣の低支持率が続く中での世論調査では政権交代を望む声も過半数近くあった。候補者の中では、立憲政党と言えない維新・国民や連合に色目を使う者もいる。つまり「市民と立憲野党」共闘がいま揺らいでいる。主体的にも、客観的にも、衆院選は厳しい情勢と思わざるを得ない。
 岸田内閣の8月の世論調査では、支持は19・4%(時事)~28%(日経)で全社が3割に届かなかった。退陣後も大きな変動はない。しかし。政党支持率はどうか。「選挙ドツトコム」の調査(8月17・18日)では、自民党の支持率が電話調査で29・5%(前月より+3・6%)。過去一年間で最も高いという。この傾向は毎日新聞の世論調査(8月24・25日)でも確認され、支持率は29%(前月より+8%)である。朝日では支持率26%であった。それらの理由は「期待感」である。
 「選挙ドットコム」調査での「次期衆議院比例投票先」では自民32・0%(+7・2%)である。支持政党なしは41・4%。自民と公明の合計支持率は32・6%、立憲四野党は17・7%である。単純にいえば、「支持政党なし(浮動票)」41・1%の内、自・公より15%以上の差で得票しないと勝利はない。

 4 衆議院選での最大目標は改憲阻止の議席確保
 岸田は退陣表明で、「憲法改正については自衛隊の明記と緊急事態条項」と触れ、実現を訴えた。政党支持率で見たように立憲野党の情勢は厳しい。今後(9月初旬以降)はもっと厳しくなると予想される。マスメディアは9月27日まで、自民党総裁選の情報をさらに垂れ流す。新総裁が決まればその「人となり」を大報道するだろう。自民党は「表紙替え」の内容を暴露されないうちに解散・総選挙に踏み切るだろう。
 総選挙最大の争点として「憲法改正」が浮上する可能性もある。仮に選挙結果が、改憲派が3分の2議席を獲得すれば、来春の通常国会において、自民党等改憲派の「改正案」→国会提出→国民投票の流れになる。この際も、マスメディアは、一部を除いて、改憲推進の報道に終始される可能性が強い。こうした流れを止めるためには、立憲四野党の3分の1超の議席確保が最重要課題になる。21年の衆議院選、22年の参院選の結果は次の通りであった。衆院選結果の議席(除・無所属)は改憲四会派は、衆院465議席の345議席3分の2は310議席)を占め、改憲発議を可能にした。ただし、僅差での立憲派の敗北は33選挙区あった。
 参院選は改憲派が非改選と合わせ参院248議席の内177議席(3分の2は166議席)を獲得し、衆参で3分の2を占めた。この参院選では岸田内閣の支持率が最も高い時期であった。次期国政選挙まで改憲可能な「黄金の3年間」といわれたが、立憲野党の抵抗・市民の反対運動、低支持率もあり、発議はできなかった。

 5 社民党を支え、参院選へ
 さて、国政政策で新社会党と一番近い存在である社民党はいつの選挙でも「崖っぷち」の選挙と評される。社民党の得票率は2019年7月の参院選で2・09%、辛うじて政党要件をクリアした。しかし、21年10月の衆院選では1・77%であった。しかし、新社会党が岡崎彩子さんを「社民党比例名簿推薦枠」で闘った22年7月の参院選では2・36%得票した。新社会党等との「共闘効果は40万票」(服部幹事長)と言われた。
 新社会党と社民党の「2024年選挙政策協定書」では「平和憲法の非戦・非武装の理念に基づき、全ての戦争準備に反対」「消費税減税・応能負担」「非正規の正規雇用の転換」等々が並ぶ。自民党・財界と真正面から対立する政策でもある。さらに衆議院選は25年参院選の甲斐正康さんに繋がる。その参院選は、衆院選に続いて改憲勢力の3分の2体制を崩す闘いとなる。衆院選で社民党を支えるために汗を流し、かつ、自・公政権と闘う新社会党の存在と政策を広げ、展望を切り拓きたいものだ。

(注*)赤旗(24年8月14日及び8月26日)。なお、立憲の辻元清美議員は三菱重工の20~22年の献金額は9900万円との答弁を得ている。(東京、24年3月5日)
     (ふくだ みのる)


●月刊「科学的社会主義」No.317 2024年9月号
     山川菊栄とロナルド・ボーア
                         社会主義協会 理論部長   野崎佳伸

 🔳最初の出会い
 山川菊栄が1951年の6月末をもって労働省婦人青少年局長を解任されたのち、他の4人の女性と共に渡英したのはその年の11月のことであった。そして翌年の5月まで英国各地を視察し、労働党や労働組合の会合を見聞し、女性労働の実情も視察した。その後パリ、ローマを駆け抜けて6月にはユーゴスラビアに渡り視察、インド、タイを経て7月に帰国した。ところで、渡英中にロンドンで山川一行の通訳を務めたのが、後に知日家として知られることになったロナルド・ドーアであって、これを知った時、少し驚いたと共に、嬉しくもなった。筆者はかねてよりのドーアのファンであるから。
 ドーア最後の日本語版図書『幻滅―外国人社会学者が見た戦後日本70年』(藤原書店 2014年刊)に、わずか2頁のみであるが、その折の記述がある。簡単に紹介すると「当時、イギリスは社会保障制度の草分け国として、世界中で名が通っていた。大内兵衛を会長とする社会保障審議会の1950年の報告が、日本の福祉国家建設のバイブルとなったのだが、イギリスの制度を詳しく紹介する報告書だった。その背景があって山川局長(この時は局長の座にはなかった―筆者注)が英国に視察に来て、少年労働者の労働条件という本業のほかに、当時の日本の労働者の中で問題になっていた、炭鉱労働者の珪肺症対策も片手間に調査した。一緒にウェールズの聞き取りに行った時、彼女があたたかく歓迎されて感激していたことを思い出す」(この時の写真が『20世紀をあゆむ』大和書房1978年刊の巻頭に掲載されている―筆者注)。
 「私が日本に来てからは、よく藤沢のお家に遊びに行った。均さんはもっぱらバラを栽培しながら、現役の政治思想家の中で、自分の弟子・後輩に当たる向坂逸郎などの指導に当たっていた。向坂氏は、あまりカチカチの理論ずくで、感心しなかったが、山川夫婦は亡くなるまで、尊敬した友人であった」。ドーアは後に多くの日本の左翼リベラル知識人と交流を持つが、マルキストで友人としたのは山川夫婦だけではなかろうか。なお、山川夫妻の書き残したものにはドーアの名前は無いようである。

 🔳「卑怯な闇討ち」
 ここで山川菊栄の婦人局長の就任と解任劇をふりかえっておこう。『新装増補山川菊栄集 評論編』の第7巻(岩波書店2011年)の鈴木裕子氏の解題などによれば、1947年の戦後第2回総選挙で日本社会党は第一党となり、片山哲を首班とする連立内閣が成立。同内閣は労働省を設置し、その一局として婦人青少年局がおかれ、菊栄が初代局長に就任した。菊栄自身の記述によれば「私は第一次大戦直後できた合衆国労働省婦人局統計調査資料を太平洋戦争の始まる時まで約20年間寄贈され、日本でもああいう仕事ができるのはよいことと思ったので簡単に引き受けました」。就任は同年の9月1日。片山内閣はその後倒れ、後を継いだ芦田内閣も短命で、1948年10月からは吉田茂の長期政権となった。その間の菊栄の苦闘は自身の「自由党下の労働官僚」(初出『社会主義』51年8月号。前掲書121頁)に詳しいが、それによれば、菊栄が局長に留まった最大の理由は、出来たばかりの労働基準法が早くも改悪される懸念があったからのようである。その菊栄を解任する吉田内閣のとった手法は実に姑息なものであった。菊栄は局長であるにもかかわらず、1950年1月15日に「高級官吏試験」を受けさせられた。それは鈴木氏の解題によれば「千題以上の問題がほとんど全部○×式」または5択式だったようで、試験直後に菊栄は憤懣やるかたない風で「寝ていた方がまし―高級官吏試験に受験して」という短文を『図書新聞』によせた(107頁)。翌年の「6月29日、秘書課長が突然現れ(試験不合格の理由をもって―筆者注)、昨年7月25日付の人事院の通知を渡し、明日が退職期限だと通告しました。…秘書課長は1年間通知を私に渡さなかった理由を私に詰問されて答えられずに去りました。ただ前任者の当時からと答えたのでそれが労働省に早くから来ていたということになります。」(前掲「自由党下の労働官僚」)。菊栄が「卑怯な闇討ち」と題したのも当然であろう。
 さて菊栄の英国訪問についてもう少し語っておきたい。菊栄は解任直後に「野に帰って」という短文を朝日新聞に寄せたが、その中で在任中の「昨春も某方面から渡米の話もあった」が辞退し、「ただ一意女子年少者の地位向上に努めてきました。」と記している。ところが解任後、イギリス政府(11月には第二次チャーチル政権になっていたが、前月までの労働党アトリー政権によるものであろう)から招聘を受けて初めての外遊をし、渡英中に「英国労働党みたまま」を雑誌『世界』52年6月号に寄稿し、帰国後には「西から東への旅」を同誌11月号に寄せている。中でもユーゴについては同情的な記事を書いていた(いずれも前掲書所収)。後者には「英国が封建的慣習や古風な形式をすて、…腕一本で働く人ばかりの国になってほしいと思います。…この資本主義の先進国が、社会保障制だけで足ぶみせず、力強く社会主義に向かって進む足を休めないことを後進国は望まずにいられません。」という記述もある。
 下野したイギリス労働党の左右対立を在英中に見聞し、また東西冷戦が深化し、日本では前年にサンフランシスコ片面講和を調印し、「逆コース」という言がはやった時代であった。

 🔳ドーア、「親日」から日本型新自由主義とのたたかいへ
 英国人ロナルド・ドーア(1925~2018)が初来日したのは1950年2月で、一年半ほど滞在したが、山川菊栄一行がロンドンに着いたころには帰国していたようである。以下の記述は前掲ドーアの『幻滅』による。この本は「日本の実態の変化」と自分の「それに対する言動の対応」を、「実態叙述の章・我が心の遍歴の章を、かわるがわるに置くことにした」構成になっており、半ば自伝でもある。
 ドーアは1947年に留学資格を取ったが、占領軍がビザをくれず、「マッカーサーのおかげで、ロンドンで過ごしたその3年のあいだに、学位は日本文学専門でしたが、自分には文学評論家より社会構造の研究者が向いているとだんだん意識するようになった」という(231頁)。そして初来日のとき、早くも吉田健一(茂の「放蕩息子」)や中野好夫と知り合い、彼らに高い評価を与えている。また後には加藤周一、都留重人、鶴見和子、鶴見俊輔、丸山眞男、川島武宜、桑原武夫らと親しくなったと記している。また1955年には再来日し、日本の農地改革を研究テーマとして山形、島根、山梨におのおの1ヵ月半、逗留した。その時には東畑精一の世話になり、大来佐武郎、永井道雄とも交流している。
 さてドーアの対日観を転換させたのは中曽根内閣発足以降の「憂うべき右傾化」であり、米国帰りの日本の「洗脳世代」が「構造改革」という「インチキなスローガンの下で日本を作りかえようとしてきたこと」による。その間に彼は経済学の素養を独学で学んだのだと思われる。またドーアは「私は50年代にはあくまで学者のつもりでいて」「学者兼公共知識人になったのは1989年だった。」「そして学者を辞めて挑戦的知識人になっだのは、今世紀に入ってから」であり、学者が最も尊敬されるべき職業であると考える人物を「うぬぼれ」と一笑している(78頁)。
 ドーアが日本型新自由主義に初めて参戦したのはおそらく橋本内閣が発足したばかりの時に『中央公論』に投稿した「橋本行革と新自由主義への疑問」であろう。ドーアは「その行革のイデオロギー的基盤と思われた、同友会の「市場主義宣言」を攻撃する論文であった」と述懐している(196頁)。そしてこの論文の結論的要点を二つ振り返っている。一つは日本で「公益」の概念が薄くなってきていること。公益追及を使命とする「官僚」に対するバッシングがこの論文発表の直後から始められた。2つ目は「同友会によれば、一方で効率と公平、機会均等、他方で、結果平等とのトレード・オフ関係がある。競争を抑えて後者を重んじるあまり、日本経済に高価格・高コストが定着していること。しかし、競争と効率の関係はそう簡単なものではない」としてイギリスの保険業界の経験をあげて批判している(198頁)。
 ドーアは戦後経済史の転換点をバブルの崩壊ではなく、1997年とみている。なぜなら、バブル崩壊後にとられた不景気対策は、相変わらずケインズ的なものだったからである(173頁)。そしてその転換に「非常に大きな役割を果たしたのは、アメリカの直接の圧力」=日米構造協議であったと指摘する(176頁)。そして「官尊民卑の時代から、民尊官卑の時代への移行が、ここで始まった」と結論する(186頁)。
 ドーアはその後、本格的な研究書『日本型資本主義と市場主義の衝突』を2000年に英語で書き上げ、和訳は翌年に東洋経済新報社から刊行された。新書版では『働くということ』(中公新書2005年)、『誰のための会社にするか』(岩波新書2006)、『金融が乗っ取る世界経済』(中公新書2011)、『日本の転機―米中の狭間でどう生き残るか』(ちくま新書2012)などを出版し、2007年頃には雑誌『世界』誌上で伊東光晴と何度か意見を交わした。
 最後に、ドーアは1993年に「憲法が不都合なら正直に改正しなさい。今の憲法を踏みにじるよりいい、という趣旨の本を書いて、多くの左寄りのいわゆる「護憲派」の友だちを失いました。…最近も憲法九条修正絶対反対の運動を起こした知人に「どうして防衛姿勢だけとるの。憲法改悪反対・憲法改良推進会を作らないの?と聞いたらショックだったみたい。とにかく、返事が来ません。そういう運動を推進することは、今の安倍内閣時代にはもう遅いでしょうが…云々」とも書いている(236頁)。いかにも、このような提起は、更に岸田政権へと進み、安保三文書が改定された今となっては、時すでに遅しと言わざるをえない。


●月刊「科学的社会主義」No.316 2024年8月号
     右翼ポピュリズムの跳梁
                         社会主義協会事務局長   津野公男

 右翼ポピュリスムが驚異的に票を伸ばした都知事選挙
 東京都知事選挙は選挙戦初期から予想されたように、現職の小池百合子が勝利した。全国の富を吸い上げている財政豊かな東京では、子育て支援、都立大学の授業料無償化など政府を超える政策展開が可能であり、その点では現職ゆえの「実績」を背景に手堅く支持者をまとめた小池候補の有利な闘いであった。他方、蓮舫氏の陣営は広く共闘体制を組み闘うことができたが及ばなかった。
 都知事選挙で目を引いたのは石丸候補の躍進である。彼にまともな政策があったのかどうかは甚だしく疑問だが、自民党の裏金問題などに対する政治不信を梃子に、というよりは既成の政治勢力に対する政治不信を煽り立てる手法で、もちろん票の出方からも分かるように、拡大する格差社会で不満を募らせる若者層の支持を軸に驚異的な票を獲得した。政策らしきものは「経済強国」、そのため東京を強くする、神宮外苑再開発工事は成長政策のゆえに継続というものであった。もともと広島県安芸高田市長であった彼は議会でのパワハラ発言で告発されているが、維新のワンフレーズ的で何の根拠もないが、さも確信ありげに発する発言、SNSの駆使などによって、方向感覚はないけれどただ不満を募らせる若者の票をかき集めたのである。世代別の支持率を見ると石丸候補は20歳代で42%、30歳台で37%、40歳台で30%、50歳代で27%。蓮舫氏が石丸を越えるのは60歳代からである(出口調査)。この結果をやっぱりSNSだ(もちろん若者の多くが新聞を読まない、テレビも見なくなっているのでSNS対策は必須であるが)などと総括しては何にもなるまい。若者と結びつくことに失敗している「左翼」や「護憲派」は、この敗北から学ぶしかない。欧州の選挙でもこのような傾向、右翼ポピュリスムの躍進が見られ、先進国に共通の現象である。なお、知事選と合わせて行われた9選挙区の都議補欠選挙では自民は5議席から2議席へと大きく議席を減らし、自民党への逆風の強さを物語っている。そして、立憲民主党は1議席で、都民ファースト3や無所属2、諸派(元都民ファースト)1が伸びている。

 右派躍進の欧州議会
 今年は主要国で選挙が集中している。最近では欧州議会選挙、イギリスの総選挙、フランス下院選挙とともにインドやイランでも選挙が行われている。秋には候補者差し替え議論が出ているアメリカ大統領選挙が控えており、いずれも今後の世界の流れに大きな影響を与えるものである。新自由主義とグローバリズム、そのもとでの格差拡大やインフレ進行下での不満の拡大、少子高齢化、気候変動に対する政策対立と選挙戦が激化する条件はそろっている。
 このように右翼ポピュリズムが政争のネタを見つけ、変幻自在の大衆受けする政策を編み出すのは容易い。
 選挙前に予想されていたものと大きく異なる結果になったのはイランの大統領選挙で、女性のスカーフ問題などであれだけ強権的な政策を取ることのできた政権が反対派の勝利を許してしまったことだ。強制的に解散させられたが、ウクライナに派遣されているロシア兵士(本当は、戦場ですでに死んでいるのかも知れない)の妻たちの勇敢な闘いも心を打つものがある。結局どんなにゆるぎない支配を誇っているかのように見える政権も、民衆の不満を権力でもって押さえつけることはできないということだ。今は不安が募ることもあるが、勇気を貰えることもある。
 6月(6~9日)に投票が行われた欧州議会選挙(前回より定数が増えて720議席)では大きく右派が躍進した。
 中道右派と目される欧州人民党(EPP)が13議席伸ばして198議席(獲得議席割合26.25%)で、最大会派となった。右派(一部極右を含む)と目される「欧州保守改革グループ」は、所属するイタリアのメローニ首相率いる「イタリアの同胞」の大勝で14議席増やし83議席、右派極右と目される「アイデンティティと民主主義」が、所属するフランスの国民連合の躍進によって9議席増やして58議席になっている。さらに、無所属扱いとされているグループはほとんど右派極右派である。周知の「ドイツのための選択肢」は15議席、ハンガリーの市民同盟11議席などである。
 大きく議席を減らしたのは欧州緑の党・欧州自由同盟(Greens)で、20議席減らし51席になった。欧州で気候変動に関する諸政策の推進に対する逆流が起こっているということだ。フランスで7議席失い、ドイツで9議席失っている。ドイツでは、旧来のエンジン車の新車販売原則禁止のEU政策変更を主張する「ドイツのための選択肢」が4議席増やし15議席を獲得し、第二党となっている。環境派の票が崩れたとみられる。
 中道左派の社会・民主主義進歩連盟(S&D)は3議席減らしたが、136議席を確保し第二勢力となった。左派急進派と目される欧州統一左派・北欧緑左派連盟(Left)は2議席増やして39議席となっている。
 なお、中道・親EUと見られる欧州刷新(Renew)は28議席も減らし74議席となった。このグループに属するマクロン大統領率いるルネッサンスの大敗北の影響である。
 このように右派の躍進、緑など左派の後退で右傾化の進んだEUではあるが、中道右派と見られる欧州人民党は親EUであることから、これを加えると右派、EU懐疑派に対抗する過半数は維持できているのでバラバラになる危機は免れると思われるが、最大の難問である移民難民問題、ウクライナ支援、気候変動問題等をめぐる対立が激化する可能性がある。なお、これを執筆している間に無所属と目されるグループの参加や組み換えが起こっているので今後これらの数値には変動があるが、右派の躍進、環境派、中道の後退が著しいことは確かだ。

 極右に打ち勝った新人民戦線(フランス)
 フランスでは、かつて「ユダヤ人排斥」や「広島・長崎の原爆投下などたいしたことはない」などと吹聴していたルペン率いるネオ・ファシズム党=国民戦線があったが、その第三女であるマリーヌ・ルペンが後を継ぎ、党名も国民連合に変え、父親時代の悪魔的な政策を隠し、またEU離脱、NATO離脱などの過激な主張も引っ込め、マクロンの進める新自由主義的政策(富裕層減税、年金支給年齢の引き上げ等)で苦しむ国民の不満を巧みに組織し、急速に伸びてきた(現党首はジョルダン・バルデラ。看板の掛け替えを行っているが実際はルペンの党である)。まさに、石丸現象と同じような右翼ポピュリズム拡大のパターンである。
 国民連合は欧州議会選挙で31%を獲得し、7議席増の30議席(ちなみに大統領与党は10議席減の13議席、社会党は7議席増の13議席、「不服従のフランス」3議席増の9議席等)と圧勝であった。
 フランスではこの結果を受けて、マクロン大統領がやおら議会解散、総選挙に打って出た。大統領の任期は2027年5月まで残っている(憲法では2期10年まで)ので、たとえ選挙で敗北しても大統領の地位は維持できる。フランスの選挙制度の関係で、第一回選挙で過半数を取る候補者がいない場合には上位2候補と12.5%以上獲得候補者によって決選投票が行われるため、3位以下の候補(政党)をとりさげる選挙協力が図られるのが常であり、ここで右派を抑え込むことができるとの読み(危険な賭け)であった。1回目の投票では、予想通り右派が躍進し第1党となり、急速に危機感が強まった。しかし、7日に行われた決選投票では左派連合と与党連合間の選挙協力が進み、左派連合「新人民戦線」(内訳は、「不服従のフランス」74議席、社会党59議席、緑の党28議席、フランス共産党9議席、その他12議席)が182議席を獲得し、第1党となった。与党連合は168議席、国民連合143議席、その他84議席(定数577)となり、左派連合と与党連合を合わせると過半数を超える350議席を獲得し、極右派を抑え込むことに成功した。「不服従のフランス」は、マクロン大統領の進める新自由主義政策にもっともはげしく闘っている党であり、政策も富裕層への増税を訴えている。したがって新自由主義を掲げるマクロンと左派連合の間には大きな対立はあるものの、右翼に対して敢然闘う反ファッショ人民戦線の歴史がよみがえったかのようである。また、首相は第一党から選ばれるのが慣例で左派連合から選ばれるのが順当であるが、名うての策士であるマクロンを相手にするのであるから組閣には時間がかかる。

 労働党の地滑り的勝利(イギリス)
 イギリスでは7月4日の総選挙で労働党が地滑り的な大勝利を収めた。獲得議席は209議席増やして411議席で、単独過半数を制した。主な他党の議席を見ると、政権与党であった保守党は251議席減らして121議席に、自由民主党は64議席増やして72議席、スコットランド国民党は39議席減らして9議席など、大波乱の選挙結果であった。なお、イスラエル批判をしたとして除名されていた前労働党党首コービン氏のグループが、コービンを含めて5人当選していることは注目に値する。逆な見方では、それだけ欧州ではユダヤ批判が禁句となっているということでもある。
 なお政権与党の敗因は、EU離脱を強行して以来の誤った政策、コロナ下でのパーティーなどの不祥事によって、インフレの下で厳しい生活を強いられている国民を無視しているとの批判である。保守党支持者も雪崩を打つように労働党に投票したのである。他方あえて言えば、国民の生活を守るということしか訴えていない労働党の政策が今後どう展開されるのかが問われている。この点では裏金問題で支持を失っていて、ほぼ敗北確定の自民党政権を引き継ぐ日本の野党の今後の政策、闘い方も問われている。
     (つの きみお)


●月刊「科学的社会主義」No.315 2024年7月号
      消滅可能性自治体にいきる
                         社会主義協会代表   石川一郎

 民間有識者でつくる「人口戦略会議」は4月24日、2050年を一つの区切りとして全国自治体の持続可能性を分析し、結果を発表した。それによると、全国1741市区町村のうち744自治体(全体の43%)が「消滅可能性自治体」に該当するというものだった。私の住む鶴岡市もその中にある。因みに2020鶴岡市人口は12万2347人(うち若年女性9744人)、30年後の2050年人口は7万6968人(うち若年女性4761人)で、若年女性人口減少率は51.1%と推計している。2014年日本創生会議(増田寛也座長)が同様の手法で2010年~40年までを分析し「消滅可能性都市」を公表した時、衝撃的ではあったものの高を括っていた向きもあったが、この10年間の著しい人口減少を目の当たりにして今回の発表は信ぴょう性のある身近なことと深刻に受け止めざるを得なかった。
 若者の心情として都市圈の高等教育機関に進みたい、華やかな都市圈で働き、一度は都市圈に住みたいとの願望があるのに加え、働く場=企業の不足である。地方は競って国土の均衡ある発展を図る高速交通網整備により人・物・金の移動時間短縮と物流コストの低減、ビジネス及び観光などの誘客に不可欠として空港整備、高等教育機関=大学誘致・新設などに力を振り絞ってきた。そして企業誘致による働く場創出、学ぶ場づくり、郊外に大規模小売店・スーパーを核に魅力あるショッピングモールなど都市的機能整備に力を注いだものの、前述の如く消滅可能性自治体ということである。
 40年前あたりを思い浮かべるとこの地域も新幹線は無い、高速道は無い、空港は無い、「陸の孤島」だというキャンベーンから始まり、地域の大きな政治課題が高速交通網の整備であった。まずは一県一空港の壁を突破し山形空港と庄内空港着工に漕ぎつけ、1991年庄内空港が開業した。そして高速道は1本(山形自動車道~東北自動車道)がほぼ繋がり、もう1本(日本海自動車道~関越自動車道)は40.8㎞が未整備区間になっているが早晩繋がる見込みである。新潟駅止まりの上越新幹線を羽越線沿いに鶴岡、酒田駅までの延伸が運動として取り組まれている。このように高速交通網や高等教育機関、ショッピング環境などハード面はそれなりに整備されて来たが、東京など大都市圈への流出に歯止めは効かなかった。即ち国政における東京一極集中の是正、地方創生・地方振興策が何ら実効性を持たなかったということである。更にソフト面においては全国に共通する深刻な問題が地方に及んでいるが、その一例をあげる。

 1.医療、介護、福祉の包括的ケアシステムが崩壊寸前
 開業医が高齢化し70歳ころにはクリニックを閉院、地域の医師会会員が年々減少し学校医・産業医の受け手が不足し始めている。日曜・休日診療所の閉鎖が始まっている。地域の中核病院(市立病院)の医師高齢化と、退職のあと補充が利かず、心筋梗塞・脳卒中などを治療する医師が不足し、一分一秒を争う救命患者を30分以上の遠隔病院まで搬送させ、途中で絶命に至るケースが増えている。お産を診る産科医の高齢化で閉院が続いており、このままでは地元でお産が出来なくなる不安とともに親元での里帰りお産が断られ始めている。地方から医師や医療機関が消え始めているのだ。
 各地方は田園都市構想、定住圈構想や既述のハード面の整備や政策展開はそれなりにやってきた。その上でUターン・Iターンなどで地域移住・定住を呼びかけているが、安心してそこに住みたくなる身近な、しかも生きる上で切実な生活課題・インフラが危機にあるということである。
 例を挙げれば、
① 保育園、こどもの遊び場などの整備、安心してお産のできる産院と行政による産後フォローと小児科医、小中高における教育環境など子供を産み育てやすい環境整備である。
② 何時心筋梗塞や脳卒中に襲われるかもしれないが、医師が不在で遠隔地に搬送されなければならない。これでは安心して生活は出来ない。
③ 急性期に基幹病院に入院治療し、回復期に転院する回復期病院が減り続けている。でも出て行けと言われたらどうすればよい。
④ 回復期の病院から退院を言われたが独居のため不安だ、老人保健施設など次なる施設に空きがあるか。
⑤ 要介護3になった。老人保健施設から比較的費用のかからない特別養護老人ホームに入りたいが、待機期間はどれくらいか。
⑥ 家族もいるので病院から自宅に戻るが訪問介護ステーションなどフォローしてくれる機能はあるか。
 2021年から南庄内(鶴岡市を核に近隣2町)の医療崩壊を危惧する医師有志と介護施設、障がい者施設、地域包括センター、行政などに身を置く有志により私的研究会をつくり、市民向け6回の「講演会」や議会請願、その延長線上に現在「南庄内の医療、介護、福祉を考える会」を設置し、庄内保健所分所長を座長に月一のペースで勉強会を行っている。
 医療、介護、福祉を網羅した安心ネット「地域包括ケアシステム」の核は医療であり、これが崩壊したのではこのシステムは機能しない。いずれ市立荘内病院を核とした「地域医療連携推進法人」立ち上げによって医療崩壊を食い止めなければならない。

 2.コミュニティ循環経済ネットワーク構想
 東北地方各県の基盤産業は農業である。この農業で食えない・生きられないから離農、後継者は他産業へ流出する。この状況に抗して東北地方という特性を生かした視点から「コミュニティ」を基礎に生活防衛を再考、再構築する必要がある。既に医療・消費生活協同組合が先駆的に取り組んでいる。この生活協同組合の考え方を基礎に自治体をも取り込んだ構想である。
 持続可能な地産地消、地域循環経済を言われて久しいが現実は進んでいない。ならば国の施策待ちではなく地域から地方から実践を行っては如何だろうか。
 (1) コミュニティ電力会社設立と発電・売電ネットワーク
 自然エネルギー活用の一環として太陽光発電施設を大規模に作り電力会社に売電し利益を得ようと企んだ人たちは、いま廃業・撤退を余儀なくされている。発電・送電・配電を一元的に持つ「大手電力10社=原子力発電会社」は政権与党自民党と一心同体であることを忘れてはならない。代替自然エネルギーの国際世論と国内世論を見つつ、送電網とその容量が不足だなどの難癖をつけて買い控え、売電単価(FIT)の引き下げを行い、更なる原発依存を目論んでいる。
 要は売買の土俵を政府と一体に恣意的に延び縮みさせているのだ。当初高い単価設定で儲かると思って投資したら見事に梯子を外されたのである。火力、原子力発電に頼らない再生エネルギーと言ってもその中身は様々であり、私たちが推進するのは海上や山岳地帯で自然を壊したり、また人体に負の影響が懸念される発電方式ではない。太陽光パネルも改良が飛躍的に進み、従来のパネルから窓ガラスに遮光ネット代わりに張り付け可能なフィルム型や屈折可能フィルムなどが開発され、登場間近のようだ。
 そこで、市区町村レベルか都道府県単位による電力自給を「生活協同組合」という枠組みで実現できないか、その視点でもう一度生協という組織を見詰め直してみたい。
① 各家庭による太陽光発電の推進と自家使用
② 工場の屋根や耕作農地の上での太陽光発電とコミュニティへの売電
③ 配電線(6600V)が近い場所での小水力発電とコミュニティヘの売電
 これら自然エネルギーは国と一心同体の電力会社に売電するのではなく、また送電網(6600V以上)を使わないで直接配電線(6600V以下)に接続し各家庭、200㎞以下業務用・自家用電気設備使用のオフィスや工場に売電する方式 (2) コミュニティ飼料による「養鶏、養豚、酪農・肉牛飼料の生産と販売」
① 耕作放棄地を作らず、農業で生計が立つよう転作補助金を活用した飼料用米、大豆、飼料用子実トウモロコシ、牧草などの栽培、加工食品・食べ残し食品残渣からのエコフィード製造
② 鶏も豚も牛も飼料の栄養価・品質が一定しないと育成、肉質に影響する。畜産農家が外国からの穀物飼料に依存しないコミュニティを基盤とした飼料原料供給
③ 主食用米生産を抑制する10a当たりの飼料用米、転作大豆、子実トウモロコシ、牧草栽培への転作補助額は農家にとって販売ルートが確立されれば採算ベースにのる。
④ 栽培する畑地・水田が地形的に配電線に近接している地形であれば農地の上にソーラーパネルを設置し売電によりトリプル収入になる。
⑤ 生産した飼料を栽培農家ごと一次処理後、提携飼料会社に委託加工させこれを畜産農家が飼料として購入する。この枠組み・事業を農事組合法人方式で構想できないか。

 既存の経済・商業慣行と循環に抗って地産地消=コミュニティ循環経済を「消費生活協同組合」、「農事組合法人」方式で進め、これに自治体を巻き込んで連携する。国依存から出来ることは自活するとの強い理念と覚悟を持って進めなければ実現は難しい。ハード面の整備も必要だがソフト面の充実と抱負化ならば私たち住民が知恵と汗を流し実現することは可能だ。消滅自治体に生きる者として国政・自公政権批判と論評のみではなく、誰かが何かをしてくれる他人依存の姿勢から主体として自ら生きる為の手段と方法を模索、提案、それを具体的実践に結び付けたい。
     (いしかわ いちろう)




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