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展望

科学的社会主義の展望 2018年1月~6月


2019年7月~12月  2019年1月~6月  2018年7月~12月   2018年1月~6月


●月刊「科学的社会主義」No.242 2018年6月号
  時代の病相と官僚の腐敗
                          社会主義協会代表  今村 稔

 わが国に官僚あり
 今を去る40余年前、わが国はロッキード事件で政・官・財界が大揺れに揺れていた。1976年7月に起った前首相・田中角栄の逮捕はその頂点をなしていた。いったい日本はこの先どうなるのか、という動揺が際限なく広がる中で、数年にわたって総評を中心とする労働攻勢とわたり合って、ふてぶてしくさえあった当時の日経連会長・桜田武(日清紡会長)は、以下のようなコメントを明らかにしていた。
 〝そもそもわが国の安定を支えているものは、世界的に有能な官僚群と信頼性抜群の司法・警察組織、さらには経営者が労働者を押えこんでつくりだしている職場の安全帯である〟
 数年にわたって春闘の大幅賃上げが続き、都道府県段階や政令指定都市をはじめとする大都市において革新首長が次々に実現していくという情勢の中で、日経連会長は階級支配の安定の鍵を、職場の安定帯と並んで信頼するに足る有能な官僚の存在に見出していたのである。
 時をほぼ同じくして、自民党の幹事長、総務会長を歴任していた中曽根康弘(10年足らずの後には彼自身も首相の座につくのであるが)は、官僚について以下のような懸念を表わしていた。〝(彼自身もかつては内務官僚の経験をもつのであるが)日本の官僚は、自らの出世双六の上りを知事もしくはそれ以上と見定めている。保守政権はそれらを彼らに保証してきたが、昨今のように革新連合選挙で革新知事が簇生するようになると、官僚の保守政権に対する信頼・忠誠に揺らぎが生じ、革新勢力に対する色目遣いを試みる官僚層が現われないとも限らない。″
 日本の権力支配構造にヒビを入れさせないためには、革新運動の連合・統一の気運の成長を何としても阻止しなければならない、と強く中曽根は心に刻んでいる。残念ながらその後の事態は、社会党が主張していた全野党路線は社公協議によって歪められ、労働者階級の成長を促していた反合理化職場闘争の方針は、押し寄せる行革の国家的波濤によって機能不全に追い込まれていった。
 桜田、中曽根の間にニュアンスの違いはあるにしても、当時の権力中枢が、官僚群の堅固・優秀さを階級支配のキーポイントと見撤していたことは明らかである。

 国民という錘
 40年の時間の隔てがあるとはいえ、桜田、中曽根が称賛の意を込めて言及した官僚の有り様が、現在、マスメディアに報ぜられている体たらくになるとは? 無論、この劣化、腐敗を促したものとしては、官僚独自のものよりも、はるかに巨大な時代の流れ、それにまとわりつくかのような政治、経済、社会の劣化、腐敗の作用が働いたことは当然である。
 官僚が権力に仕える存在であることは、古今変わりはない。奴隷のごとく奉仕する場合もあろうし、権力と国民の関係が危機に瀕することを防ごうと努める場合もあろう。かつて「護送船団方式」という言葉が日本の官僚の特徴を示すものであったように、官僚は権力の愚挙、暴挙を未然に防ぐ存在でもあるかのように評されてきた。
 憲法第15条2項「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」の規定は、これまでは官僚にとって権力の度をこした無理強いに抗拒する盾ともなったであろうし、「殿、御乱心」を許さない給持でもあったであろう。
 強い自負をもつ官僚たちは、上に対する抗拒が可能であるのも、矜持を貫きうるのも、自らの能力によると受けとっていたであろう。憲法第15条がその盾となりうることまでは感じても、足元に国民大衆の力があるからだということにまでは思いが及ばない。権力を指向する自信家の常である。官僚といえども民主主義の時代には自己の存立基盤は絶えず民主主義によって洗われる。このことを理解していた官僚は、希代の官房長官と評判された後藤田正晴だったかも知れない。1980年代後半、わが国の政治・経済は、国家独占資本主義の「秩序維持優先」をかなぐり捨て、「人間尊重」の仮面を引き剥いて、万能となった競争による富の蓄積を至上とする新自由主義に突入し、猫源をきわめた。
 秩序とバランスを「巧み」に操るパイロットと見徹されていたわが国の官僚群は、規制改革、岩盤規制破壊の発破役へと役替えを言い渡された。秩序、バランス、正義など時代遅れの衣裳は脱ぎ捨てて駆けだすことが求められ、自らの存立基盤に少なくとも民主主義が必要だなどと考えることは止め、新自由主義的利潤追求の先頭に立つことを求められた。
 たとえ憲法に定められていようとも全体の奉仕者などということに足をとられることなく、新自由主義官僚群に生まれかわれと求められ、手法もモラルも人材も確立しえないままに事態に適応しようとして混乱の真中にひき起こされたのが、今、政、官界で吹き荒れている事態であろう。
 まさに、新自由主義が引き起こしている混乱、劣化、腐乱である。官邸、財務省、厚労省……等々の腐敗は特別・極端な例ではあるが、官にとどまらず、神戸製鋼、三菱マテリアル、JR西日本、リニア建設関係各社等々、多くの製造業各社の検査偽装、不正談合など、不正・腐敗の広い裾野に連なっていく。
 このような腐敗の現象は社会全体をおおうように現出しており、われわれはこのように新自由主義の腐敗を全体的におさえておかなければならないが、その中でも森友・加計等の底知れぬ不正とそれにかかわる官邸、財務省等の不誠実が国民の怒りを増幅していることに眼を向けなければならない。
 国民の怒りは、くすぶりはしても燃え上がる炎にはなり難く、力感をもつ行動に転化され難い状況がここしばらくつづいていたが、ようやく発火点に向う動きが感じられる。長い間、消極的な雰囲気に支配されてきた国民の意識にとって、発火点を感じることは、消極性の垣根を積極性へと飛ぶことを促すであろう。
 われわれに与えられている契機を逃すことなく、安倍政権の追及、打倒に力を集中しよう。国民に一歩前に踏み出すことを強く呼びかけていこう。政治に背を向けていた国民が、主体性を覚醒させるかもしれない機会を逸してはならない

時代がすすめる人間の崩壊
 いま、われわれの前で露呈されつつある政官界の限りなく崩壊に近い劣化の諸現象には言葉を失う。政権に蝟集する人々は、世俗的には最も優秀、有能な人々と見做されているが、その人々がまるでわざと底抜け苦笑劇を演じているようである。普通の常識をもつ人ならば、嘘をつく場合、だましきれるかどうか、自らの「嘘の質」を考えるであろう。自らの嘘の組み立てや精密さを厳しく点検するであろう。嘘を現実と思わせるストーリーをつくりあげるであろう。
 ところが霞が関や永田町の人達は現実の生活感覚の欠如のゆえか、大きくかけ離れてしまった「常識」のゆえか、信じてもらえるはずのない嘘が通ると思い込んだり、舌の根が乾かぬうちにバレてしまう嘘を痛痒も感じることなく重ねだりするのである。またセクハラは犯罪ではないと平気でいうように、世間がどう受けとめているかを考える基準はもち合せていないようである。
 冒頭にふれたように40年前の「期待された」官僚に比べて、かくも堕落した現代の官僚の出現は何ゆえであろうか。さまざまな理由をあげることができようが、国家独占資本主義時代の官僚は、建前としては階級対立を緩和するということを、任務の一部と心得ていたのに対して、現在の官僚に求められているのは、「働き方改革」にみられるように、労働者の権利の削減、労働条件の切り下げの推進である。また社会保障の抑え込みである。新自由主義の旗振りという役割を求められ、それに適応しようとする腰高・勇み足が現在の混乱であろうか。さらに、かつての官僚が国民の要求をさえ自己の存立基盤にしているかのように見せたのに、現在の(新自由主義)官僚にはその素振さえ見せない。自分たちの立ち位置を100%権力側としているからであろう。
 このような政治や官僚の変化、堕落を、もちろんわれわれは許すわけにはいかないが、40年ほど前のように社会党・総評ブロックを中心とした大衆的エネルギーの活性こ高揚があったならば、このような政治の醜悪化はありえたであろうかという反省を忘れるわけにはいかない。たとえば一人のエリート官僚が育っていく教育の道のりを考えてみよう。エリー卜高校が脚光をあびているようだが、そこでは人間の力、社会の力を身につけていくことにいれかわって、競争に打ち勝つテクニックの習得、優秀な行政ロボットの組立て等々が幅をきかすように浸潤してきている。高校の頃から、人間、連帯、社会の変革などの価値はどんどん低位に押し下げられ、競争、技術、上昇などが当然の如く頭脳の大部分を占める。
 いま世間を賑わせているエリート官僚は、こうした教育の第一期卒業生ではないか。
 腐敗した政治権力に癒着したエリート官僚の振舞いは新自由主義の舞台に設えられた演技である。われわれにとって、新自由主義とたたかうという不断の足場固めを強く意識していかなければならない。
 新自由主義がもたらしている言語道断の政治を、われわれの鏡に映しだしてみよう。競争万能にわれわれ自身が連帯を衰弱させたり、怠惰のゆえもあって変革の意欲を封印したり、めまぐるしい技術の進展に圧倒されて思考停止におちいったりという、新自由主義による傷口が映しだされていないか。
 森友や加計という「わかり易い」政治腐敗糾弾は大衆の心に作用して、大衆に一歩前への前進を促している。われわれは、あわせて入りこんだ新自由主義の傷を癒し、健康な身体をと旦昃すたたかいにしよう。  (いまむら みのる)


●月刊「科学的社会主義」No.241 2018年5月号
  99%のための政治を
                          社会主義協会事務局長   福田 実

 1、世界で最も豊かな8人が世界の貧しい半分の36億人に匹敵する資産を所有
 まず、国際協力団体「オックスファム」の2017年版(2014年1月16日)と2018年版の報告(2018年1月22日)を見て格差・貧困の実態と背景を考えたい。
 2017年版では標記の言葉と共に、次のことが紹介されている。「1988年から2011年にかけて、世界人口の最も貧しい一割の人々の収入増は65ドルにすぎませんでしたが、同時期に最も豊かな一割の人々の収入増は、11,800ドル、彼らのおおよそ182倍も増加しています」「納めるべき税金はなるべく回避する。支払うべき賃金はなるべく抑える。カネの力で政治を動かし、経済のルールを自分たちの都合の良いように書き換える。こうした方針をとる大企業や大富豪が、格差の拡大を加速させています」「世界は今、九九%のための経済を必要としています。経済を私たちの手に取り戻し、『ヒューマン・エコノミー(人間らしい経済)』を実現しなければなりません」云々と。
 2018年版報告書では「資産ではなく労働に報酬を」と題して、オックスファム・インターナショナル事務局長ウィニー・ビヤニマ氏の発言が紹介されている。「昨年生み出された富の82%を世界の最も豊かな1%が独占。世界の貧しい半分の37億人が手にした富の割合は1%未満でした」「世界の億万長者の資産は、2010年以降、毎年平均して13%増加しています。一方で、一般的な労働者の賃金収入は、毎年平均して2%しか増加していません」「世界のグローバル企業CEOの報酬水準は突出しています。例えば、バングラディシュの繊維工場で働く労働者が一生をかけて稼ぐ賃金に相当する報酬を、世界の5大グローバルファッションブランドのCEOは、たった4日間で手にしていることになります」。
 「オックスファムは各国政府へ次のことを提言します。■株主への配当や経営層への報酬を制限し、全ての労働者に対して、最低賃金が生活賃金であることを保証すること(中略)■富裕層が相応の税金をきちんと納税するための施策を導入すること。累進課税制度の導入と租税回避のための取り組みを加速させること」「億万長者の増加は、経済的な繁栄の現れではなく、破綻した経済システムの症状です。私たちが日々着る洋服を作り、使う携帯を組み立て、食べるものを作る人たちは、安価で安定した消費財を確保するため、企業や裕福な投資家の利益増大のため、搾取されているのです」「人々は、変化を求めています」云々と。

 2、日本の上位40位の合計資産は下位世帯の52.5%に匹敵
 日本の実態はどうなのか? フォーブスが報道(17年4月)した「日本の長者番付上位10位」の合計資産は、1位の孫正義氏(ソフトバンク)の約2兆2640億円をはじめ10位までの合計額は9兆8840億円である。前年と比較して1兆3000億円増加している。(『データブック2018』)富裕層上位40位までみると、17年の資産合計額は15兆9260億円で、12年の7兆6605億円の2倍超も増加している。12年の40位までの合計資産は下位世帯の27.9%に匹敵していたが、17年のそれは52.5%と匹敵する。(『KOKKO』編集者、井上伸氏)
 他方、労働者の実質賃金は2015年平均を100とすると、1997年の109.5以降下がり始め16年は95.3である。実に17.2ポイントも下かっている。正規労働者の平均賃金は486万9千円であるが、2061万人に増加した非正規労働者(うち「1年を通じて勤務した給与所得者」)の平均賃金は172万1千円であり、正規と非正規の差は315万円にもなる。この収入に、消費者物価の上昇があり、社会保険料や税金が差し引かれると、実際に使えるお金(可処分所得)は大幅に引き下がるのである。
 こうした働く者の苦難の中で、大企業や富裕者は「この世の春」を謳っている。働く者の汗の結晶でもある大企業の「内部留保」は417兆円である。5500万人の労働者で割れば1人当たり約760万円の拠出となる。17年の配当金は12兆8000億円で過去最高である。役員報酬は1位のSANKYOで平均5億8150万円、100位のヤマハ発動機で平均6722万円にもなる。
 財界(資本家階級)は貪欲である。法人実効税率は1995年時の50%を引き下げ続け、安倍政権で29.74%に
し、いまは[25%程度]を要求する。租税特別措置法の拡‐充など様々な減税、安倍政権のエセ「働き改革」、日米同盟の強化など安全保障体制の強化なども要求する。TPP11も高く評価している。逆に、消費税は「予定通り10%へ」「社会保障の抑制」等々も要求している。

 3、私たちの展望―社会主義協会新テーゼ
 いままで述べた情勢を私たちの『協会新テーゼ』では次のように触れている。
 「多国籍資本は、一国の経済、地域の安定・発展を一顧だにしない。そのため、本国では国内の切り捨てられる部門との矛盾が拡大し、進出した地域では資本の活動の自由を要求して現地人民との矛盾が激化する。大競争のもと、多国籍資本は地球規模での最適地生産を求めて激しく移動し、労働条件の切り下げ競争は、本国であるか進出先であるかを問わず、地球規模で広かっている。海外権益の防衛を理由として、多国籍企業本国の軍事大国化かすすみ、アメリカ主導の軍事同盟が強められている」「今や資本主義体制の下では、人類が達成した生産力は過剰なままで有り、人々の生活水準を引き上げるのではなく、世界のどこかでバブルを生み出し、そして破裂させるだけである。世界人口の2割が資源の8割を消費する一方で、世界の半分は飢えている。これらはまた、民族間・宗教間の摩擦を生み出す土台である。不断に生み出される社会に対する不満や怒りを排外主義・ナショナリズムに転化するのは支配階級の常道である。これら資本主義の矛盾を止揚する体制こそが、社会主義である。社会主義の成就なくして、人類の恐怖と貧困、生存の不確かさからの解放はない」と。
 オックスファムは毎年1月開催のダボス会議に先がけて報告書を発表し、ダボス会議に参加する世界の政財界等のリーダーの「良心」に呼びかけている。それはオックスファムの「貧困を克服しようとする人々を支援し、貧困を生み出す状況を変えるための活動」に必要である。
 私たちはそのためにも、真に99%のための政治・経済を追求する。99%の団結の強さに比例してのみ、資本家階級は譲歩する。そして私たちはその先を考え、進む。

 4、「アベ政治を許さない」
 安倍首相の改憲策動は18年、19年が正念場である。「発議」「国民投票」が予想されるが、この問題と正面から対峙できるのは「市民と野党の共闘」以外にない。だから、全国の仲間が、市民と野党との共闘に力を注いでいる。
 3月16~18日の報道各社の世論調査では、森友学園疑惑における真相隠ぺい(特に決済文書の改ざん問題)は、安倍内閣の支持率を30%台に急落させ、支持と不支持を逆転させた。働き方改革の世論調査(朝日新聞18年3月19日)では、「安倍内閣が進める働き方改革に『期待する』は、1月調査の46%から28%に減り、『期待しない』は、44%から61%に増加」と報道されている。「アペノミクスによる景気回復の実感はない」は85%に達している(JNN世論調査17年10月)。今回の安倍政権支持率の大幅な低下は、森友疑惑の「文書改ざん」が大きな要因と報道されているが、裁量労働制における「データ偽造」、そして「原発再稼働」など世論を無視した政治も影響している(そして防衛省の「イラク派兵部隊日報隠蔽」も浮占。
 ところで、全国で活用された「アベ政治を許さない」の文字は今年2月に亡くなった金子兜太さん(かねことうたさん)が揮毫したものである。「安倍9条改憲NO!」も含めて、最大の対立軸が「安倍政治」を「許すか許さないか」である。ここでの市民と野党の団結・強化が必要であるし、私たちも含めその立場で闘っている。当面の大衆の最大の願いに最大限応えてこそ。新社会党の組織力・財政力・影響力を大きくすることができる。
 私たちの任務はそれに留まらない。「自民党政権」を終わらせ、「憲法を生かす連合政権の樹立」、そしていまは、大きな対立軸でなくても、富の偏在を根本的にただす視点と活動が必要と思う。
 幸い、その努力を先進的に行っている仲間もいるし、それに学ぼうとする仲間は全国にいる。例えば、過日の社会主義協会総会等で、(随分前の話でしたが)熊本の取り組み紹介「向坂逸郎氏の講演会を小学校体育館で構え、戸別訪問を行い700名~750名の参加者が集まってくれた」があった。近畿ブロックでの社会主義ゼミナール開催に向けた取り組みと成果の報告「150人の目標、SNSの活用(知らない人20名)、135名結集、外から55名など」があった。可能な限り大きく構え、成功のために議論・計画・行動を行い、そこの教訓を次回に生かす作風である。何もしなければ失敗はない、教訓もないし、前進もあり得ない。理論の正しさは実践によってのみ検証される。
 徳島の「駅で電車を待つ高校生へのアンケート」の取り組みと「結果から元気をもらった」報告。千葉県長生村議選を控えた候補者の「村民アンケートからの政策づくり」‐も学ぶことが多い。
 再掲載だが、「我々は、大衆が最も望んでいることを言葉に現すことを学ばねばならなかった。我々が大衆を理解し、また大衆が我々を理解するようにするのを学ばねばならなかった。大衆を我々の側へ獲得するのが目標だった」(クルプスカヤ『レーニンの思い出』)を吟味しつつ、99%のために議論し、計画し、大胆に行動しよう。  (ふくだ みのる)


●月刊「科学的社会主義」No.240 2018年4月号
  反貧困・格差拡大反対の闘いが共同戦線を強める
                          社会主義協会事務局次長   津野公男

 「働き方改革」を巡る国会議論は、法案成立を誘導するための恣意的かつずさんで強引に作成したデータに不正があったことで政府が立ち往生し、「裁量労働」法制を切り離しての提案となりそうである。反対運動も広がりを見せていたが、敵側のオウンゴールに近い展開である。しかし、高度プロフェッショナル層(年収1075万円以上の層)にたいする「裁量労働制」は残されて再提案されると見られている。ともかく腹立たしい限りの、自公の数を頼んでのやりたい放題の政局である。
 しかし、なぜ自民党政権が支持されるのか。野党が弱いゆえの消去法的支持に過ぎない、労働力不足による最近の有効求人倍率の高さが若者層の保守化を生み出している等々というのが、取り上げられる大方の理由である。しかし、本当に若者層や勤労現役世帯は現在の生活や労働に不満を感じていないのであろうか。これまで、コアータブック』等で格差の拡大、貧困の増大の実態を鮮明化することに努めてきたが、なぜ格差拡大や貧困に抗する闘いが盛りあがらないのか問い直されるべき課題である。

 格差は拡大している
 最近出版された『新・日本の階級社会』(橋本健二/講談社新書)において、かなり詳細な格差拡大と貧困の実態、そしてそれに対する意識状況が分析されている。そこでは、今日私たちが学ぶに値する多くの実態が明らかにされている。少し長くなるが引用する(以下要旨)。
 まず、戦後初期からの格差の推移が、ジニ係数、規模別・産業別・男女別賃金格差に関する指標、生活保護率の面で分析されている。戦後直後の格差の拡大は、復興が大企業と都市部で始まり、中小企業と地方は取り残された(遅れる)から起こった。そして高度経済成長期を経て七五年から80年にかけて格差は縮小する。そして、そこから反転上昇が始まる。「そこではもはや「格差社会」などという生ぬるい言葉で形容すべきものではない。それは明らかに「階級社会」なのである」と。
 そして、意識構造においても階級帰属意識は高まっているという。階級帰属意識に影響を与える四つの要因(年齢、教育年数、個人収入、職業)の決定係数は、戦後直後には0.365であり、わずか4つの要因が階級帰属意識に与える影響は非常に大きい値だった。しかし高度経済成長を経て75年には0.040に大きく低下した。
 では今はどうか。75年が底であり、以降は再び高まり始める。九95には0.095、2015年には0.206となっている。私たちが『テーゼ』で分析している、高度経済成長の終焉、さらにグローバリズムと新自由主義の深化の過程に符合する。

 自己責任論の浸透と重圧
 それにもかかわらず、怒りが広がりアメリカや欧州諸国のように反貧困の闘いが盛り上がらないのはなぜか。橋本氏は、「自己責任論」にもとづく格差容認の意識が拡大しているからだという。自己責任論に関しては、2015年のSSM調査、「チャンスが平等に与えられるなら、競争で貧富の差がついても仕方ない」という設問にたいして賛否を問うものである。全体の過半数52.9%が自己責任論に肯定的で、男性は60.8%が肯定的、否定的なのはわずか17.2%である。女性は否定的なのはやや多く18.6%である。これを所得別にみても、肯定的な回答は豊かな(特別の富裕層ではない)階層ほど高く、低所得者層では低い。だが、貧困層でも肯定的な回答が44.1%と高く、否定的な回答は21.6%に過ぎないという。
 以下、階級分布や労働者階級内部の格差拡大、階層固定(貧困の連鎖)、そして若者世代の自民党支持の拡大等々丁寧に分析がおこなわれている。もっとも、若者層の自民党支持の拡大というのは、趨勢的に高い年齢層の支持率が低下してきたのに若者の支持率の低下が止まったためと言っている。さらに、「ネット右翼」も低賃金で満たされない生活を送っている層の歪んだ意識層だというように思われているが、大卒の正規労働者が多い(樋口直人氏の引用)と言っている。なかなかに示唆に富む指摘が随所でなされている。
 橋本氏は、格差縮小政策として、均等待遇、最低賃金の引き上げ、労働時間短縮とワークシェアリング、所得再分配、資産税の導入、生活保護制度の実効性に確保、ベイシックインカム等を挙げている。

 社会を変革する主体は誰か
 橋本氏のかつて見解では、変革の主体は新中間階級に求めるしかないというものであった。ここでいう新中間階級とは、専門職、管理職等の資本主義の発展にともなって拡大してきた階級のことを指している。正規の労働者層は格差の現状には不満でも政治への関心は低く、投票率も低い。アンダークラスは一部に戦闘的な労働運動や社会運動を展開する動きがあるものの全体として生活に余裕がなく、正規労働者と同様に政治意識が低いというデータ分析から引き出されたものである。この見解、橋本氏の「階級論」を巡ってはかつて大きな論争があったところであるが、本書では最新のデータを分析すると新中間層が格差拡大に否定的な階級だとはいいがたいゆえに修正する必要があるという。つまり、そこまで自己責任論が浸透させられているということである。分析結果から見ると、格差社会克服の担い手となりうるのは、資本主義社会のメインストリームから外れた人々であるようだ。
 橋本氏は結論として、「自民党にも弱点はある。それは他の選択肢がないために、いまのところ選挙で票を集めることができるが、…排外主義と軍備重視に凝り固まった特殊な人々しか強固な支持基盤になっていないことである。     格差社会の克服という一点で、弱者とリベラル派を結集する政治勢力の形成。格差社会の克服は、したがって日本社会の未来はここにかかっているのである」という。
 ずいぶん長く紹介したが、橋本氏の見解に賛成か反対かは別としても、格差の拡大がどうしようもないほどに進んでいること、にもかかわらず自己責任論の重圧の下で怒ることさえ奪われ、苦悩している国民の実態は十分に暴露されている。
 81年の臨調・行革以降、国労潰しに始まる労働運動解体、福祉や医療、教育分野での新自由主義的改革(り攻撃)の過程でずるずると後退を余儀なくされてきた私たちには、自己責任論の思想が徹底的に叩きこまれてきたということだ。他方でのソ連解体に始まる社会主義思想に対する信頼の揺らぎにともなう対抗思想の揺ぎも大きな原因であることはいうまでもない。

 身のまわりからの反撃を
 私たちは、大きく後退しているところから反撃の戦線を構築しようとしていることになる。なんだ、階級性のない話ではないかと思われる人もいるかもしれないが、私は今「子ども食堂」の運動に、というよりそれをやっている近くの人たちに大変感銘を受けている。大きなことは言わず、交代で子供に居場所を提供し、解体された地域コミュニティーの再構築に(意識しているかどうかは別として)携わっている。この人たちは自己責任論は克服している。
 職場ではどうか。いくつかの若い人たちの学習会に携わっているが、職場での諸問題を相談しあい、条件あるところでは要求にして交渉してみたり、組合に持ち込んでみたり…結構やっている。もちろん、ふつうはあまり条件がないとよく言われている職場のことである。そして強い信頼関係を築けた場合であろうが、学習会に仲間を誘ってきている。これら多くの若者は、臨調・行革のことはおそらく知らない。また社会主義のことはさらさら知らない、そういう世代である。しかしマルクスが、無視できないひとかどの人物であることは結構知っているので、マルクス経済学の学習会は嫌がらない。遠くを望もうとするものは、まず足元からとりかかるであろう。団結づくり、活動家づくり、それに全国で一斉に取り掛かったら、数年後に気が付けばかなり大きな戦線となっているのではないか、そう思うと愉しい。

 反貧困闘争の強化による共同戦線強化
 改憲を許さないための全国3000万人署名の取り組みなど、政治的課題での運動は広がりを見せている。しかし、橋本氏のいうように格差問題、貧困問題に対する闘いは、「自己責任論」(イデオロギー)の重圧によって、アメリカや欧州と異なり日本ではなかなか盛り上がらず、これが安倍政権の延命につなかっている。「市民と野党の共闘」にまで高めることができている共同戦線が、反貧困、格差拡大反対の闘いの前進によって強化されるならば一段と支持層を広げることが可能になる。
 反貧困の運動が弱いから自己責任論に負けているのか、自己責任論が浸透しているから反貧困運動か盛り上がらないのか。丁度、下からの反撃が弱いから労働運動がどうしようもなくなっているのか、「連合」が悪いから下からの運動もやりにくいのかという問いと同じである。ようは、実践的に回答を出していくしかない。すでにそうして闘っている人たちがいる。
 「森友問題」での財務省の文書偽造疑惑が再び国会を空転させ、安倍政権が揺らぎ始めている。また、南北会話の進展にともない、米朝会話も日程に上っている。安倍政権の政策はいたるところで破綻の兆しを見せている。安倍政権打倒、改憲阻止の共同戦線強化に向けて奮闘しよう。     (つの きみお)


●月刊「科学的社会主義」No.238 2018年2月号
  人間! 人間! 人間!
                          社会主義協会代表   今村 稔

 国民の政治意識に弛緩
 はやいものですでに3月余が経過したが、昨年10月の第48回総選挙は、私たちに多くの問題を投げかけている。選挙の結果は大方のところ、安倍政権側の圧勝と報ぜられ、その評価は定着したかのようである。それは政権側かあらかじめ描いたシナリオでもあったであろう。なぜなら「民意を問う」としながらも、民意を屠るかのような違憲的奇襲が策され、公示前から「政権側の圧勝」を空気化するような情勢報道が垂れ流されたからである。
 これらの評価が、綿密な検討・分析を抜きにしてさしたる国民の抵抗もなく受け入れられた根拠の一つには、政権・与党が占めた議席(自・公で70%)の数があるであろう。維新、希望が隠れ与党という動きをすることになれば、その数はさらに大きなものとなる。改憲を呼号する自民党の中に勝負を決める管制高地の一つや二つは制えたという驕った態度がでてくることも無理からぬことかもしれない。このような評価を錯覚と断ずるのはいい過ぎかも知れないが、疑問符を必要とする数字がでていることも見ておかなければならない。
 選挙直前と直後の各勢力の増減(定数は10減)は、自・公で318から313へと5減である。準与党?の維新・希望を加えてみれば、389から374へと15の減である。一方、立憲・共産・社民は、38から69へと31の増である。さらに、投票直後の朝日新聞の世論調査がある。安倍政権については「支持する32%、支持しない40%」、自公の獲得議席については「よい32%、多過ぎる51%」、安倍政権の今後について「期待する29%、不安54%」となっている。このように議席の増減や調査の数字を見れば、国民の安倍政権支持の流れは大きく高まったとはいえないのである。勿論、森友・加計の棘は刺さったままである。
 「安倍政権の圧勝」という相場めいたものと、実際の分析、検討との間に生じているズレ、隔たりは何を語っているのだろうか。調査につきものの誤差やブレもありうるであろうが、背景に社会の中に淀んでいる政治をとりまいている緊張の欠如、意識の弛緩などがあることも看過できないであろう。 衆院選挙における小選挙区制は、光線の屈折により実像よりも大きな虚像を認識させる凹レンズと同じ働きをする。意識的に日常的な政治闘争(地方選挙なども含めて)や大衆的な政治行動を組織し取り組むことを怠れば、眼に映じているものが虚像であることを忘れ、実像と錯覚してしまう。われわれはつねに虚実とり混ぜたもとにおかれ、その中で選挙を考えなければならないのである。

 革命を理解できず革命を絶叫
 安倍首相の反動性を支えている柱に、儒教がどれはどの大きさを占めているのかは知らないが、論語に「巧言令色鮮矣仁」というのがある。口舌のうまい人(巧言)、見てくれをとりつくろおうとする人(令色)は、まことの心(仁)が鮮い、という意味であるが、古来しばしば人物評に用いられた。
 しかし、2千5百年の時を隔てて、今、この言葉がこれほどに生々しくなろうとは、孔子様もびっくりであろう。
 わが国で任期最長の内閣総理大臣になりたい、自らの業績を光り輝かせたいという思いからか、安倍首相の飾り言葉の粗製乱造は呆れるばかりである。曰く「一億総活躍」、「人づくり革命」「生産性革命」「働き方改革」…。歴史を知らないのは幸いであるが、戦前ならば、これほど「革命」をやかましく繰り返せば、間違いなく治安維持法の対象である。
 今年は、明治維新150年でさまざまな記念行事が行われるであろう。歴史学の科学的な定義にしたがえば、革命とは支配階級から被支配階級へと権力が移り、社会組織が急激に変化(封建社会から資本主義社会へ)することであるから明治維新の内実は革命である。革命を革命と理解させず、人民の力を排除した万世一系の天皇のもとですすんだありかたい世変わりとして理解させるために、革命を曲げて維新としたのである。「革命」が好きな安倍首相が、明治維新を正しく明治革命に改称することを提起するならば、「人づくり革命」はうたかたと消えても、明治革命と安倍首相の名は燦然として歴史に残るでありましよう。いかがかな安倍晋三殿。
 安倍首相の「巧言勝負」は、かつては「異次元」を乱発したように今にはじまったことではないが、使う言葉の騒々しさと増す頻度は、さながら安倍政治の劣化測定器である。成功の保証もなく、人を驚すことが眼目であるから、賞味期限は短い。すぐに次をさらに誇大に繰りださなければならない。それらに共通するものは「人間とは何か」という観点の欠如である。社会をつくり、発展させ、人々の連帯を生みだし、富をつくり、美を創造し、生きる喜びを求める人間の営みこそ土台であるということに思いがいたってないことである。
 生まれ、育つことを資本主義生産の労働力の問題としか考えず、高齢者の年金や介護の問題を今日までの社会を築き、支えてきた人々の生甲斐の問題として捉えることができず、厄介者の「よりよい処理問題」としてしか扱えないのである。「子どものいじめの問題」も大人の産業社会に蔓延している問題の反映としてはとらえられないのである。「働き方改革」にいたっては、8時間労働問題が「8時間は人間のために」という人間らしい要求であったことは考慮外に放りだされている。第4次産業革命という言葉が幅をきかせだすと、大学教育では、人間の人間らしい発展のために必要不可欠な社会科学、人文科学の不要が取沙汰される。

 社会は腐乱の悲鳴?
 総選挙が闘われていた時期に、日産自動車、スバル、神戸製鋼匸三菱マテリアル、東レなどの製品に対する検査の不正がつぎつぎと発覚した。いずれもわが国を代表する超巨大企業である。しかも素材産業であり、その上に成りたっている種々の製造業、土木建設業、運輸業などを考えればその影響ははかりしれない。それら企業の代表者(たとえば東レの榊原経団連会長など)は、わが国経済団体の、あるいは業界団体のリーダーである。例外的存在として見逃されうるような人物たちではない。金融業界でさえ、また外国進出企業であっても検査の不正を免れうるものは皆無かもしれない。かつてロッキード事件で元首相が逮捕され政界が大揺れに揺れた際、時の日経連会長は日本の屋台骨を背負っているのは財界(と企業の末端)と官僚であると豪語したが、今や経団連は今回の企業や電力などその誇りを担う矜持を失っている。官界は官邸にひれ伏し、森友・加計問題で顔をあげて歩ける状態ではない。40年前にはあった自浄能力さえ疑われている。
 はたせるかなJR西日本の新幹線台車ヒビ割れ問題である。台車に今回の素材検査不正が関係しているかどうかの精査は発表されていないが、この時もうすでにリニア談合汚職が進行している。談合汚職と安全問題は将来裏腹の問題となる蓋然性をもち、社会的責任としては悪質である。1963年の三池炭塵爆発の時のように全労働者の怒りが企業責任を追及した面影は今や薄れている。
 第48回総選挙は、政治面ではいうに及ばずこのように社会の全方面で社会の腐敗・劣化がすすむ中で行われたのである。選挙総括を狭い意味の総括で終わらせず、瓦解せんばかりの社会の劣化衰退に立ち向かう活動を土台に据えてなされるべきであろう。

 解き放とう「人間」の力
 かつて中世の暗黒を突き破って、人間の力に目覚め、それを解放し、花開かせたのはルネサンスであった。 しかし今、あくことのない利潤追求の土壇場資本主義、人間性を蹂躙する競争を最上の価値とする新自由主義によって、人間の力、すなわちみずみずしい感性も、思考し創造する力も、連帯を求める熱情も、窒息させられ、削りとられ、切断され、社会は壊死寸前に追いこまれている。乗りこえる力は「われわれは人間だ」という自覚によって再生される人間の力しかない。21世紀のルネサンスが必要である。
 半ば休眠状態かもしれない身体を動かそう。いつの間にか曇らされた感性、怒る力、考える力を磨き直そう。学習に取り組み、その営みを連帯を求める意欲と合致させよう。この半世紀を振り返ってみよう。われわれの間にかつてあった人と語り合う、人に訴え・訴えられるということがいかに削ぎとられてしまっているか。
 個々に人間性の甦りを強めていくことは実践的な組織活動とのキャッチボールであり、いずれが先かという問題ではないが、実践的な活動の活発化は、人間らしさを求める意識を強める。「はじめに行いありき」である。
 たたかう意欲の源となる「人間の自覚」は、「人間」を求めて展開された広い文化や歴史を裾野としている。活動にスケール。
  *****
 NHKの大河ドラマが西郷隆盛を主人公にしたこともあり、「西郷隆盛論」が賑やかである。私は喫茶店でコーヒーを飲みながら向坂さんの「西郷隆盛論」をしばしば聞いた。
 向坂さんの評価は、西郷に低く、大久保に高かったように思う。西郷よりも大久保の評価が高くなれば、日本の国民の歴史理解のレベルも高くなるのに、というのが向坂さんの説であった(と思う)。歴史の進歩に沿ったのは、西郷ではなく大久保であったというのである。大久保利通の何代目かの孫にあたる大久保利鎌という歴史学者と親しかったので、いろいろ話を聞いていたのであろう。
 ついでにいえば、毛沢東の評価について、「日本でいえば西郷みたいなところがあったのではないか」というのを聞いたことがある。      (いまむら みのる)


●月刊「科学的社会主義」No.237 2018年1月号
  18年・19年を展望し、
    準備し、安倍政治を終わらせよう!

                          社会主義協会事務局長   福田 実

 はじめに
 17年11月3日の国会前集会の4万人に向け、立憲民主党の枝野代表は訴えていた。「立憲主義を取り戻そう」「国民は9条改憲を白紙委任していない」「憲法を守るために内向きにならないで、外に向かって大きな輪を広げよう」と、この発言は、心強い限りである。
 他方、衆議院選挙の開票日翌日の10月23日に「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」は「第48回衆議院議員選挙に関する見解」を発表し、次の言葉で閉めている。「衆議院で与党が3分の2を確保したことにより、安倍政権・自民党は近い将来、憲法改正の発議を企てることが予想されます。もちろん、現在の国民投票法は、運動に関する規制があいまいで、資金の豊富な陣営がテレビコマーシャルなどを通して民意を動かすことができるなど大きな欠陥があり、市民連合は現行制度のままでの改憲発議に反対します。しかし、万一、与党が数を頼んで改憲発議を行った場合、市民連合は国民投票において、安倍政権の進める憲法改正に反対するための大きな運動をつくるために、立憲野党とともにさらに努力を進めていきたいと考えます」と。
 今後、安倍政治と対峙する立憲野党の先頭に立って欲しいと多くの人が期待する野党第一党の枝野代表と、この間、野党共闘を進めてきた「市民連合」の動きを紹介した。既に、共産党・社民党・新社会党等は、次の闘いに向け「市民と野党の共闘」を打ち出している。私たちは左翼を強化しながら、立憲民主党を野党共闘側にしっかり寄せなければならない。

 1、自公政権の議席は「虚構の3分の2」
 17年10月の衆議院選挙で、自公は再び改憲発議に必要な3分の2の議席を得た。しかし、この議席は、小選挙区制という民意を反映しない、非民主的な選挙制度によるものである。民意をより正しく反映するブロック比例の各党の得票率を議席に反映させる試算を津和崇氏が行っているが(本誌17年12月号)、自公の議席は過半数の232議席に達しない213議席に留まるのである。
 新社会党の機関紙(週刊新社会11月7日号)」でも、有権者の意向を示す比例区の自民党の絶対得票率は17.89%で全有権者の100人に18人弱の支持に過ぎないことを記述している。自民党は相対的に強いかもしれないが、有権者の信頼は弱い。議席占有3分の2の虚構は、小選挙区制と、公明党のゲタ(公明党比例区698万票、一選挙区当り
2万4000票余)で支えられているにすぎない。

 2、有権者の関心の高い、社会保障・雇用の実態を見る
 選挙の投票の際、有権者が重視する「年金や医療等の社会保障」「景気こ雇用対策」を考えて見たい。
 まず、「社会保障」の推移を見る。サンデー毎日(17年7月9日)で次の様に紹介されている。「総務省の2016年調査によると、勤労者世帯が払う年金や医療、介護保険料の月平均額は約5万6000円で、10年前より9000円近く増え、実収入に対する割合は9%から11%に上昇し、家計を圧迫する」と。この月平均を年平均にすれば67万2000円にもなる。
 次に国保料に焦点を当て、「80年代に50%を超えていた国保の総収入に占める国庫支出金の割合は25%に下げられている」と指摘。掲載の「市町村国保の保険料、加入世帯の平均所得(厚労省資料より)」の図表を読むと、20年前1995年の加入世帯の平均所得が230万8000円の時、被保険者一人当たり保険料は7万620円であったものが、2015年の所得は139万6000円と低下しているのに、国保料は9万2124円に上昇しているのが解る。
 また、65歳以上が払う介護保険料(全国平均・月額)は介護保険が発足した2000~2002年が2911円(*年額3万4932円)だったものが2015年~16年には5514円(同6万6168円)である。
 つまり、所得は急激に低下しているのに社会保険料は上昇を続けているのである。これでは、実際に使える可処分所得は減るばかりで、負担感を重く感じるのは当たり前であるし、内需拡大による景気回復にも逆行する。以上は保険料負担の視点で見てきたが若干、制度等の変更も見てみたい。
 消費税は社会保障を充実するものと、考えられているが、消費税導入直前の1988年度と2015年現在を比較すると、そうでないことが次のように明確になる。
 医療では、サラリーマンの窓口負担一割→3割。高齢者の窓口負担(外来)定額800円→1~3割。年金では、厚生年金の支給開始年齢60歳→歳。福祉では、障害者福祉の自己負担(応能負担、9割は無料)→定率1割負担などである。加えて、安倍政権下では「年金支給額の引下げ」「入院給食費月18,000円の値上げ」「介護の利用者負担1割→(一定所得以上)2割」「要支援1・2の介護保険からの除外」「介護施設の食費・居住費値上げ」「生活保護の生活扶助・冬季加算・住宅扶助の削減」等々が行われている。つまり、消費税は社会保障の充実になっていないのである。
 雇用に若干触れれば、正規は2002年3489万人→15年3304万人、非正規は1451万人→1980万人で不安定雇用が増大している。正規の実質賃金指数も97年と比較すると14.9%下落している。なお、非正規の賃金は正規と比較して大企業で57%、大・中・小企業合わせて男女計63.9%である(データブック2017より)。このような事態の中で、いま安倍首相のエセ「働き方改革」が出されている。
 つまり、生活に直結する社会保障は改悪に次ぐ改悪で生存権が脅かされている。同様に雇用も働く者の権利が破壊され続けているのである。有権者の投票行動の背景をきちんと見る必要がある。

 3、これからの闘いを選挙結果から学ぶ
 本誌の17年12月号では、《特集「国難突破」解散・総選挙と野党共闘》として6名が執筆している。加えて、「週刊新社会」には高知の野党共同候補の闘い等も報告されている。この経験と総括を、自分の選挙区の経験を踏まえ比較し、総括し、前進したい。私は次のように受け止めた。
 ①自民党への信頼は大きくなく、小さいこと(前述したが自民党の絶対得票率は18%弱であ亘。だから、打倒できないことはない。
 ②野党と市民の共闘を「名実共に」成功させ、「候補者の一本化」を成功させること。そのためには、各立憲野党が地力を高めながら、選挙においても、日常活動においても「共闘の実績と信頼関係」をつくり、第二自民党的な「介入」(今回は希望の党)を許さない体制をつくること。
 ③右記により、野党が共闘すれば「勝てる」という「選択枝」を提供すれば、無党派層が投票に向かい、投票率が上がり、安倍政治に期待しない(事実そうである)無党派層の支持を得ること(新潟では一四年選挙に比較し、投票率が10%上昇し、6選挙区の内、1選挙区を除き無党派層の65~71%が野党統一候補に入れたとの出口調査結果を紹介している。各野党支持票の足し算を上回る票が可能になる)。
 ④客観的にある全国的な争点、地域的な争点を、自らの力で一層明確にすること。つまり、客観的にはある対立点を主体的な努力で有権者に対して可視化すること、と思う。

 4、18・19年を「共闘と新社会党」強化で迎えよう
 冒頭で、枝野立憲民主党の11・3集会での発言を紹介した。しかし、連合との関係もあり危惧する所は多々ある。市民連合の声明も紹介した。しかし、もっと大きく成長させていかなければならない。
 18年、19年は、安倍の9条改憲発議、国民投票、消費税増税、エセ「働き方改革」、原発推進、社会保障切捨て、軍備増強等々新自由主義の政策と対峙する2年間になる。
 いまの彼我の力関係の中で立憲民主党を反安倍・反9条改憲で対峙させ続ける必要がある。そのための日常的な行動を野党共闘として積み上げる必要があるし、そのためにも、各地区の市民連合を大きく育てたい。
 自民党や希望の党などの消極的支持者、9条改憲に否定的な公明党の支持者、そして何よりも5割近い無党派層に大胆に呼びかけ巨大な国民戦線を構築したい。その手立ての一つが3000万人署名であり、大衆の心を掴むために知恵と力を注ぎたいと思う。
 「仏に説教」になるが私たちが活動している新社会党の中で、次の事を努力したいと思う。
 ①選挙は国政も、地方選挙も、権力闘争であることを共有化し、その政治が体制側の保持に手を貸すのか、変革するための力として発揮させるのかの議会闘争である意義を共有化したい。
 ②そのために、統一地方選などで地方議員を積極的に擁立したいものである。闘わなければ、その行政区での「市民権」「影響力」も得られないし、そもそも組織は前進しない。
 ③日常活動を一段と強化しよう。日常的に新社会党の旗が見えずして、国政選挙や地方選挙を、闘い、勝利する展望は拓けない。その際、「(末端組織は)原則として、全ての党員が決定にも行動にも参加する」(山川均氏。社会主義への道)作風を確立したい。
 ④大衆を私たちの側に獲得するために、大衆が何を求めているのかしつかり把握しなければならない。いま、新社会党内で議論がされている中期政策補強案(含・BI)に関して、自由に、かつ積極的に議論し、新社会党の政策を大衆が歓迎するものにする努力をしよう。大衆が私たちを理解し、私たちの側に獲得しなければ、前進はあり得ない。




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