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展望

科学的社会主義の展望  2021年1月~6月


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●月刊「科学的社会主義」No.276 2021年4月号
   土屋喬雄先生について
                           社会主義協会理論部長   野崎佳伸

 NHKの大河ドラマの主人公になったり、数年後には一万円札の顔になるというので、今ちょっとした渋沢栄一ブームである。そんな中、労農派マルクス経済学者の一人、土屋喬雄氏が生涯に二度も渋沢栄一の伝記を出版したことが改めて注目される。ここでは近年あまり振り返られることのない土屋先生の人となりについて語りたい(以下、文中敬称略)。
 大内兵衛はその著『経済学五十年』の中で土屋と櫛田民蔵について「この二人は政治的には労農派ではなかったが、理論的にはこの派と共通の地盤に立っていた」と評している。また戦後出版された『日本資本主義研究』(黄土社。後に河出新書)について「この本でも向坂君やぼくの発言は比較的に少なくないが、資料の提供および事実についての知識に関しては何といっても土屋喬雄君の蓄積が絶対的であった」と評価している。
 土屋については幸い、簡便な自伝が残されている。日本経済新聞社によるシリーズ「私の履歴書」に土屋は1967年4月、70歳のときに寄稿しており、後に『私の履歴書 文化人編17』として他の6人のそれと併せて出版されている。ここでは主としてそれに依って土屋の経歴を紹介しよう。
 土屋は1896年、大原鎌三郎・八重夫妻の三男として東京市牛込区に生まれた。父は徳川の旗本の出であり、明治維新ののち貧乏したが、勝海舟の世話で第一期生として東京大学法学部を卒業した。卒業時に20歳に至らなかったというのは、高校を卒業するまでに、成績優秀により何度か飛び級をしたからである。ところがこの父・鎌三郎は喬雄が9歳の時、一家で移住していた秋田市で、4男3女を残して病没してしまう。以後たびたび喬雄は貧乏の憂き目にあうことになる。父亡き後しばらくして、上の男児3名は上京し、困窮しながら学んでいたが、喬雄は望まれて14歳のとき、土屋家に養子にいくことになった。この土屋家は昔、甲斐武田氏の重臣で、武田家滅亡の後は恵林寺の寺侍となったという。喬雄の養子先の土屋は仙台で弁護士をしており、養父母には一人娘の忠子かおり、後に喬雄・忠子は夫婦となる。養父はその後市会議員、県会議員を務め、政友会の高橋是清とも親交があったが、喬雄によればお人好しで蓄財に乏しく、衆議院議員選挙にば出られなかった。
 さて喬雄は実父を亡くした時、何としても父と同じ東京大学に入ろうと決意した。そして仙台第一中学校に3年時に編入し、1915年に仙台第二高等学校に進学し、猛勉強に励み、成績は常にトップであった。この時の土屋には二つの逸話が目を引く。一つは「予習の『貯金』をためる」こと。先々までの予習をしておくのは、最初は病気等の差しさわりに備えるためだったそうであるが、病気しないのでかなり貯まったのだという。二つには中学生のとき通学を共にした友人がひどい吃音で、土屋がつい真似をしていると自分も吃音になり、大学に進学してから矯正学校に2か月通ってようやく全快したのだという。
 さて仙台二高には渋沢栄一の嫡孫、渋沢敬三が同期で入学しており、二人は揃って18年9月に東京帝国大学経済学科に入学する(経済学部の独立は翌19年)。経済学科を選んだのには、吉野作造らによる大正デモクラシーの思潮の広がり、社会問題研究への関心の高まり。河上肇による「貧乏物語」の影響もあった。そして養父の希望する、弁護士から政治家への転身路線を好まず「学問研究を一生の仕事にしたかった」こと、その道に失敗したら養父の希望を容れようと考えた。また労働運動や社会主義への関心もあった。17年にはロシア革命も起きていた。土屋は「自分の貧苦の生活経験と時代の流れに動かされたものらしい」と回顧する。
 さて土屋の進んだ東京帝大経済学科の同期には渋沢敬三のほかに向坂逸郎、宇野弘蔵らがいた。土屋が学んだ先生は、新渡戸稲造、山崎覚次郎、高野岩三郎、河合栄治郎、法学部では美濃部達吉らの諸教授らで、土屋と渋沢は山崎の演習に参加し日本銀行の歴史などを研究した。土屋は中でも山崎、高野の厳密性・科学性の高い学風にひかれた。また、助教授または講師には大内兵衛、森戸辰男、舞出長五郎、櫛田民蔵らかおり、櫛田には原書により経済学を学んだ。
 ところで土屋が東大在学中に実家の2人の兄が相次いで死亡するという事件が起きた。土屋は、長兄は肺結核、次兄は流行性感冒が死因と記すが、2人ともスベイン・インフルエンザであった可能性もある。そして8歳年下の弟が実家の跡継ぎになった。土屋はこの弟を大学まで通わせるため、英文の翻訳などをしながら彼の学費をかせいだ。弟が29年に大学を卒業するまで、土屋は自身卒業後の約10年間にもわたり「非常な辛苦をなめつづけた」という。
 21年4月、卒業後土屋は東京帝大の助手となり経済学部に勤務し、日本経済史を専攻した。同期の助手には諸井貫一、向坂、宇野がいた。諸井は実家の秩父セメントの手伝いで転出したが、土屋はこの諸井を経営者として高く評価している。向坂は経済学史、宇野は経済原論を専攻したがそれぞれ九州大学、東北大学に転出した。土屋はこの二人を、その「役割の重要さは長く後世に伝えられるものであろう」と記す。両人は土屋に先んじて亡くなったが、概して長命ではあった。翌22年の卒業生には有沢広巳、大森義太郎、23年には脇村義太郎、山田盛太郎、高橋正雄、美濃部亮吉らも助手となった。
 さて土屋は佐野学や福本和夫らの論考にも刺激を受けて「徳川幕藩封建社会の崩壊過程とその原因について、実証的に把握する必要を感じた」。そして「実証主義で凝り固まっていた私は、まず代表的な諸大藩の史料を調べようと決心し・・・加賀藩、島津藩、仙台藩と、上位の三大藩をつぎつぎに調べた」。これは1922年から25年のことであった。そしてその成果を随時学会に発表していった。この功績により土屋は学会に「相当名を知られた」。そしてその成果をまとめて27年に『封建社会崩壊過程の研究』を出版し、戦後に経済学博士の学位を得る。その後土屋はベルリンに留学し29年7月に帰国するが、その間、彼は科学的方法論についてじっくり思考を重ねた。これらのことが土屋をして日本資本主義論争で活躍する土台を形成した。
 日本資本主義論争に関する書籍は戦後も繰返し出版されている。青木孝平による『天皇制国家の透視』は比較的新しいものだが、私の大学在学中では大内力や鎌倉孝夫ら、つまり宇野三段階論に学ぶところが多かった。それは私か日本の被差別部落を単なる「封建遺制」とする学説に強い違和感を持つたからで、それなりに真面目に勉強したつもりである。青木の本は解説とブックガイドが有益である。
 それはともかく、日本資本主義論争について、先述の大内兵衛の著作によれば「地代論はもちろん封建論争でもあった。ここでは山田、平野(義太郎)両君の亜流、いわゆる封建派がうようよしていた。・・・何しろ現代日本は絶対王政下における封建制だということをいえば、それが科学としての歴史だというようなことになっていた。・・・それで土屋君が確実な資料を以てその非科学性を実証した。また現代の小作については櫛田君がその論理的な構想によって反封建派の代表的な見解を出した」とある。
 土屋に戻ろう。土屋は自ら実証主義で凝り固まっていたと述べるが、決して資料偏重ではなかった。むしろ資本主義論争に先立ち京都大学の本庄栄治郎教授の学風を資料偏重であり、経済史方法論が希薄であるとして論争を挑んだ。本庄博士は反論しなかったようだが、次いで土屋は本庄門下の黒正巌博士に江戸百姓一揆に関する論争を挑んだ。結果的にこれらが彼の日本資本主義論争への助走となった。
 そしてこの日本資本主義論争は土屋にとって「大いに勉強になった」。土屋が最初に標的としたのは講座派の服部之総であった。但し土屋は「私はあくまでも『研究者』として直接に『政治』のためでなく『歴史の真実』のために戦ったのである」という。そしてその後も対講座派の論文を次々に発表するが、「私としては非常に勉強になるので、5年でも10年でもあらゆる問題で論争文を書くつもりであったが、・・・とくに日華戦争勃発後には論争はできなくなってしまった」。「『労農派』で論争に参加した歴史専門家は私一人であり、相手は多数であったから、第三者から見れば土屋は『袋だたき』にあっているように見えたかも知れない。しかし私自身は『たたきのめされている』とは、少しも考えなかった。『われ正し』との確信にみちていた」。この間の発表論文は8点あり、37年に『日本資本主義史論集』にまとめて出版された。
 ところで土屋の東大在職時代は余り幸福なものでなかった。「私か長年勤務した東大経済学部は、創立から太平洋戦争中まで、思想の対立もからまった派閥争い、人事のゴタゴタが絶えなかった・・・『万年助教授』にとめおかれ、教授に昇進できたのは・・・昭和14年のことであった。その後職をやめさせられたり、復職させられたりした」。
 さて土屋と渋沢栄一の関係性であるが、それは戦前、渋沢敬三から伝記資料の編纂を持ち掛けられたことが大きい。土屋はすでに31年に最初の栄一伝を改造社から出版しており、敬三とは旧知の友人でもあり、この大事業は戦後にわたり延々と推進された。敬三(63年逝去)は大資本家の出身であるが、教養は広くまた篤志家で、戦争中に向坂が生活に困窮していた際には土屋を通じて2千円を寄せた。そのことは後に向坂自身が明らかにしている。「2千円は私にとっては1年間の現金支出をまかなって余りあるものであった」(『向坂逸郎評伝』石河康国著)。
 土屋は2度目の渋沢栄一伝を書き上げ、吉川弘文館に原稿を渡した後に健康を害し、1988年に91歳で死去した。その前書きにはもっと詳細な渋沢伝を書きたいとある。
     (のざき よしのぶ)



●月刊「科学的社会主義」No.275 2021年3月号
   コロナ対策で必要なのは休業補償、生活保障だ
                              社会主義協会事務局次長  津野公男

 罰則先行の「改正コロナ関連法」
 2月3日、「改正コロナ関連法」が成立した。
 「改正特措法」がこれまでの特措法と異なる点は、緊急事態宣言の前段階として、「蔓延防止等重点措置」が新設されたこと、知事の命令を拒んだ事業者に対して過料を科すことが可能になったことである。これまでの「要請・指示」から、「命令」を出すことも可能になった、従わなかった事業者には、「緊急事態宣言」下では30万円以下、「蔓延防止等重点措置」下では20万以下の過料が科せられる。さらに、事業者が立ち入り調査を拒否した場合には、いずれの場合でも20万円以下の過料が科せられる。
 また、「改正感染症法」は、入院拒否者対して50万円以下の過料、疫学調査拒否者には30万円以下の過料を科すというものである。
 もともとこの改正案での罰則は、刑事罰をともなう極めて強権的なものであった。反対運動、国会議論、そして罰則を科すと息巻く当の自民党の議員や公明党の議員が深夜のキャバレー・ナイトクラブなどを徘徊する不祥事も重なり、刑事罰でなく行政罰に変更された経緯がある。
 また、事業者を罰するというなら、休業や時短に十分な補償がセットで行われなければならないこと、疫学調査拒否者を罰するまえに希望者のPCR検査、陽性が判明した感染者のための医療宿泊施設や軽症者の入るホテル、そして重症者に対するケア体制の確立などの体制が整っていることが前提であるとの世論に突き上げられた結果でもある。

 やはり命第一
 いま、新たな感染者は減少傾向にある。だが、感染拡大の波に遅れてやってくる重症者数は高止まりしたままである。また周知のように、コロナ重症者だけでなく、他の病気でも治療を受けられないような、まさに命の選択(トリアージ)といった状況が続いている。気を緩めることなく、手を抜くことなく、またワクチンの接種などを進めて集団免疫(ワクチン接種も含めて全人口の6割程度)が獲得できるまで戦い続けるしかない。
 そしてコロナ疲れから、楽観論に与したがるがそれも禁物である。
 COVID-19の蔓延の抑え込みに成功しつつあるとみられたドイツでは急激な感染拡大が再び進んでいる。イギリスで見られた変異種による感染である。したがって日本でも感染者数の減少傾向が見られたとしても気を抜くことはできない。もちろん、イギリス系変異種や南アフリカ系の変異種に対してもワクチンが効くというのは救いではあるが。集団免疫が達成すればとはいうが、グローバリゼーションの進んでいる現在では世界的規模での収束に進まない限り、感染は変異種の増大をともなってつづく。パンデミックは、一つの文明を破壊するとはよく言ったものだと思う。
 関西外の人以外にはなかなか理解してもらえないが、関西の政治をかき回し破壊しているのは「大阪維新」である。大阪の吉村知事、松井市長は「やっている感」を演出するのが巧みで、大阪の感染対策が最も進んでいると思わされていた人が多い。「イソジン」を特効薬のごとく宣伝したあたりから化けの皮が剥げてきていたが、感染者の死亡率が東京の2倍を超えるという事実が伝わると一挙に信頼を失っている。その吉村・松井が、感染者が300人を切ったことで、医療逼迫が緩和すれば大阪は緊急事態宣言を解除する、経済も大切だ、などと勝手なことを言い始めている。GOTOキャンペーンを強行した菅政権に類似した思考である。緊急事態宣言の安易な解除は、また大きな感染の波を生み出し、今度こそ医療逼迫ではなく医療崩壊を引き起こすことになる。
 命第一という点では、生活保障の拡大も急務である。
 女性の自殺が(割合として)男性の2倍となっている。女性の比重の高い旅行(旅館)、飲食、接待などの職種がコロナで大きな打撃を受けているからだという。より手厚い支援が急務である。
 懸案となっていた大企業のアルバイト等の非正規労働者に対してもやっと休業補償が実施されるようになった。しかし、今回の緊急事態宣言後に限られており、中堅企業以上の雇用調整制度に基づく支給、中小零細企業労働者への休業補償と同じ時期にさかのぼっての支給を要求しなければならない。生活保護に関しても、昨年11月の申請件数が2.7%増えている。現在の危機的状況では、もっと増えていて当たり前である。いま、申請をためらわせる大きな原因として、家族等への「扶養紹介」がある。「扶養紹介」廃止の署名活動が行われているが、憲法25条に基づく権利としての生活保護申請を支援して行かねばならない。

 もうたくさん・レベルが低すぎる
 あまりにもレベルが低すぎる。
 安倍内閣以降どれほど多くの閣僚や議員が不祥事を起こしてきたのだろうか。あまりにも低レベルなものが多く、いちいち取り上げることさえむなしい。
 とどめの一撃は、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森会長の女性蔑視発言だ。いまや日本は世界の笑い者になっている。もちろん失言などはなく、本音が出ただけなのであるが、これこそ自民党に内在する古い体質に他ならない。
 悔しいことに日本の保守政権は、未だ政策上の対立によってはなかなか危機に陥らない強さをもっているが、スキャンダルには弱い。現に、菅内閣の支持率は下かっているし、最近行われた北九州市の市議会議員選挙では惨敗している。もちろん、もともと、菅政権のコロナ対策に関しては圧倒的多くの国民が批判的であり、菅政権自体に対する不支持率が支持率を上回って久しい。
 秋までには実施される衆議院選挙では、全野党共闘の進み具合によっては自公政権を追い詰めることも可能である。関西で見る限り、野党共闘の態勢づくりは大幅に遅れている。奮闘が求められる。

 不安定性増す世界
 世界がパンデミックヘの対応に忙殺され、アメリカ政治の混迷がつづく中、ミャンマーで軍事クーデターが起こった。クーデターにたいする、国民の反対闘争は始まったばかりであるが、やがて大闘争に発展するのは必定である。軍事政権に反対するタイ、長期独裁政権打倒を掲げるベラルーシ、野党指導者ナワリヌイ氏に対する毒殺疑惑と拘束に多くの逮捕者を出しながらも闘いが続くロシアなど、世界の民主主義を求める運動の高まりは止めることは出来ない。
 ミャンマーでは周知のように、軍事政権の長期支配を、弾圧を恐れない民衆の大規模な決起で打倒し、スーチーさんを中心とする民主勢力が政権を樹立した。軍事政権が打倒されたのは、民衆の蜂起が主要なファクターであったことはいうまでもないが、軍部にとっては経済制裁をともなう国際的圧力の高まりによって深まる孤立のなかでのしぶしぶの選択でもあった。また、軍事政権崩壊後につくられた「憲法」でも選挙を経ずして、軍部には国会議席の4分の1が与えられるという妥協の産物であった。軍部の支配する企業などを通じた膨大な利権窓には手を付けられることはなかった。ようするに軍部と民主化を進めてきた勢力の間の力関係は微妙かつ不安定であった。昨年11月8日の総選挙(上院、下院ともに一斉選挙)では、当初の後退の予想を裏切って、与党スーチー氏率いるNLD(国民民主連盟)が議席を伸ばした(前回選挙時と議席定数が変化しているので議席数は表示しない)。軍部が、選挙違反があったといちやもんを付けていることに一役買っている。しかし、さらに民主化を推し進めようとする国民の多数意思は明確である。そして、憲法をより民主的に改正しようとする要求もさらに力をつけることになる。
 しかし、その圧勝が軍部内に焦りを拡大し、クーデターに走ったといわれている。また、国連のロヒンギャ虐殺事件に関する調査団から訴追要求されているものの中に軍高官が含まれており、それも引き金になったとも言われている。もちろん誰が見ても軍部や治安部隊の暗黙の承認なしにあれだけ大規模な虐殺事件が起りようはなかったのであるが。
 すべてを「地政学」的に語る傾向は厳に慎まなければならないが、この地域の地図を見てもわかるように、中国の側から見ればミャンマーを通じて直接にインド洋とつながることができる。「一帯一路」戦略の、海を通じてアフリカ、ヨーロッパとつながる「帯」の要衝である。もともと、軍事支配下にあったとき、ミャンマーの軍部と、民主主義などややこしいことを言わない中国との結びつきは強かった。他方、日本もアメリカや欧州諸国が厳しい態度を示している中で、ミャンマーとの結びつきは維持してきた。もともと、ミャンマー(かつてはビルマと呼ばれていた)は比較的、日本(人?)に対して友好的であったこととも関連している。
 クーデターに対する国連安保理事会の非難決議は、中ロの反対で「非難」の表現を「懸念」に変え、拘束された人々の解放を要求している。またG7(先進7か国)の外相会議は非難声明を出したが、日本は柔らかい表現を主張し、最終的に他国の「非難」の表現に譲ったといわれている。
 G7の中では日本が一番ミャンマーとのチャンネルは強いし、安価な賃金を求める企業も経済特区へ多く進出し始めている。またキリンビールが提携している会社がロヒンギャ虐殺に関連する軍部の資金源だと指摘され、契約破棄に追い込まれる事態も起きている。日本の支配層にとっては、経済制裁を進めようとするアメリカや軍事政権に厳しいG7諸国、そしてこれを機にさらに存在感を強めようとする中国への対抗など難しい選択が求められている。


●月刊「科学的社会主義」No.274 2021年2月号
   「日刊社会主義」から学ぶ
                              社会主義協会代表  河村洋二

 三池闘争60年に「日刊社会主義」を読む
 「日刊社会主義」(B4版、ガリ刷り)は、三池闘争の最中1960年4月)に発行され、11月に200号をもって終刊となった。社会主義協会九州支局の発行、終刊のことばを向坂逸郎が寄せている。
 昨年は三池闘争60年、三池ものを何か読もうと、目についたのが「日刊社会主義」(復刻版)であった。読み進むと、大闘争の現場で起こっていることがその場で書かれ、組合員やピケ隊に配布されたものだけに臨場感があり、現場にいるような感覚にさせられた。これは、協会員や党員にもぜひ味わっていただきたいと思った次第である。
 「2020四国連鎖社会主義講演会」実行委員会は、講演会のテーマを「三池闘争60年、三池を語る映画と講演の夕べ」(講師に協会前代表の今村稔さん、元三池労働者の川野房雄さん)とし、多くの参加者の感動とやる気を引き出すことができ充実した講演会になった、と思う。

 獅子奮迅の三池労組員
 三池闘争は、1959年12月会社側の三池労組員1297名指名解雇に始まる。60年1月7日労使交渉は決裂し、会社はロックアウトを宣言(1月25日)、三池労組は全面無期限ストに突入する。それからその年の11月25日中央交渉が妥結し、12月1日三池労組員が一斉就労して決着をみたたたかいである。
 この間、213日。中労委斡旋案をめぐる攻防、3月29日久保清さん刺殺事件(ちなみにこの年、安保闘争で6月に樺美智子さんが虐殺され、10月には浅沼稲次郎社会党委員長が刺殺された)、安保闘争、三鉱連・炭労・総評などの現地臨時大会、九州拠点集会、ホッパー10万人集会等々、三池闘争に関係する主な会議、出来事、事件、ニュースは100件(三池炭鉱労働組合年表)を超えている。つまり3日に一度は大事件、大騒動かあった。
 さらに現場では学習会、職場討議、脱退者オルグ、会社・第二組合への抗議行動、子どもの教育・保護対策など様々なとりくみがあったであろう。それを、上中末端の役員、活動家が組合員とともに駆け回って準備したに違いない。この時の三池労組員の獅子奮迅の働きがなければ三池闘争の輝きは今日、おそらく半減していたのではないだろうか。
 それを可能にした力は何か? それは、非人間的な炭鉱の労働実態に対する怒りと、その変革を目指した三池炭鉱労働組合の「学習闘争や生活革命闘争など職場闘争で鍛えあげられた団結である」「学習に裏打ちされた自立した労働者(活動家)の団結である」と「日刊社会主義」紙面は私たちに語りかけている。

 若き編集委員の面々
 「日刊社会主義」の発行目的が、三池闘争を理論面から支えることにあったことは想像に難くない。「この新聞をピケ隊の皆さんに贈ります」とあるように、ピケ隊に動員された組合員、全国から参加した総評系労組員などのために発行された。
 紙面は毎号1~3本の記事で構成されており、カットや漫画はなく、ときおり詩が掲載される程度で、99%が活字で埋められている。難しいと思うかもしれないが、読んだ感じはそうでもなかった。取り上げられているテーマがその時々の話題、課題、論争、たたかいの意義(例えば、「たたかいの弁証法」とか「マスコミの暴力」「警察の中立性」、「三池と安保闘争」「第二組合の論理」、「石炭から石油へ・エネルギー政策転換の意味」「毛沢東の実践論」…)等々で、問題意識を持ったピケ隊の皆さんにはマッチしていたのではないか。またそれぞれの課題について協会(員)理論が縦横無尽に展開されているから興味深かっだのではないかと思われる。
 さらに同紙の編集委員が、ほかならぬ60年前の向坂逸郎、川口武彦、奥田八二、近江谷左馬ノ介、西井竜生、本吉敬冶、児島恒久、島崎譲、小林栄三郎の各氏であり、決して読者を退屈させることはなかったのではないだろうか。少なくとも筆者は大いに参考になり勉強になった。

 『怒り』の弁証法
 「8・10中労委あっせん案」の諾否をめぐる討論で明らかにされた“怒りの弁証法”(124号、8・19)に強く引き付けられた。その要旨は、
 「今回のあっせん案に対しロックアウト以来200日も闘ってきた我々としては、だれしも不満とか厳しいとかいうものではなく、全く人を馬鹿にしている、という激しい『怒り』にかられたことは人間として極めて自然な気持ちであります。幾多の苦しいたたかいと毎日の苦しい生活が培ってきた労働者としての魂のこの自然な『怒り』の反応は、常に我々の組織を強め、われわれの方向を前向きにしてきました。
 3月29日の久保さんの虐殺(刺殺)に対する我々の怒りは、まず直接的に『第二組合はただじゃ置かないぞ』という『怒り』で始まりましたが、その怒りはついに4月の炭労大会で藤林あっせん案を蹴る(拒否)という前向きの方向に結集しました。それは総評―炭労―三池の結束の強化になり、会社をして第二組合や警察権力、裁判所を前面に押し出さざるを得なくしました。われわれは第二組合、警察、裁判所の挑発、弾圧に激しい『怒り』の気持ちを味わい、その頂点にホッパーを死守するという決意を固め、10万人集会を成功させました。そこで8・10あっせん案が現れるわけですが、われわれはここでさらに断じて『怒る』べきなのです。その怒りが組織を強くし、われわれを前向きにするのです。これは怒りの弁証法とでもいえるたたかいによる組織強化の教訓であります。炭労大会でこの『怒り』=拒否の態度を最大限に主張し、一本貫きとおすこと、この努力が、たとえ大会が受諾の線を出そうとも、拒否の線を出そうとも組織強化の正道であると信じます。そのような怒りの路線をつらぬくことが我々の組織を一層高い次元で強化しうるのだということを確認し合いましよう」と。
 なるほど確かにそうである。怒りがたたかいを呼び、闘いが怒りを高め、組織をより固め強くし、さらに闘いを発展させていくという「怒りの弁証法」を読みながら、また争議戦術について「戦術というものはどこからか湧いてくるものではない。総評、炭労といえども頭の中では作り出せない。三池はたたかいの中から、闘いの自己批判の中から幾多の戦術を生み出してきた。労働者に袋小路はないといえる。しかしそれは渾身の力で闘う労働者にしか当てはまらない。」などの表現に触れ、三池労組の強さ、協会の存在価値を今更ながら確信した次第である。

 原則論に終わらせず具体的に
 三池労組は「8・10中労委斡旋案」に対して8月13日、斡旋案受諾拒否を決定し、炭労の臨時大会に臨んだ。炭労の臨時大会は休会となった。臨時大会の職場討議方針を受けて、三池労組は再討議し8月25日、斡旋案受諾拒否を再確認した。あまりにひどいあっせん内容だから当然の成り行きであった。ただ討論が繰り返されるうちに内容が深められ豊富化されていくところが実に素晴らしいと思った
 「日刊社会主義」の紙面では、「あっせん案に対する驚き、感情的な怒り」、「あっせん案の分析、中労委非難」、「あっせん案拒否を決定」、「怒りの弁証法、労働者を馬鹿にするな」と、怒りが大衆的に広かっていったことがわかる。そしてあっせん案の狙い、背景を受けて「炭労の仲間を信じよう」と労組はたたかう体制づくりに向かっている。そこで「あっせん案の諾否をめぐる諸情勢について徹底的な討議が提起され、①あっせん案受諾とはたたかいを続けることであり、たたかいをやめることではないこと、②組合員、主婦会の自己犠牲の覚悟、エネルギーはどうか、③国民的支持をどうとりつけるか、④我々に第二組合を潰す力はあるのか、⑤総評、炭労を前向きにできるか、⑥炭労の統一闘争は可能か」と、組織力の分析を行い、情勢分析を深めている。「さらに前向きの闘争体制を確立するために、というテーマで討論を深め、⑦あっせん案諾否いずれにしても我々はたたかう以外ない、たたかいは炭労の統一闘争がカギ、⑧政府、資本、会社、第二組合はエネルギー政策の転換が目的、⑨炭鉱11万人合理化は必至であること、したがってたたかいに終わりはないこと、⑩最悪の事態になってもメソメソしない、第二組合には頭を下げない、脱落者を出さない」といったことが意思統一されていっている。
 そして「あっせん案拒否は当然のこととして問題はいまや我々の組織の状況いかん、強さいかんにかかっている。われわれは、『拒否することが労働者の使命である』といった調子の原則論でなく、その原則をしっかり踏まえて、組織論としてどんなたたかいをやるべきかという議論をしなければならない。活動家が組織論を忘れて単純な原則論だけ振りかざす場合には、かえって運動にマイナス作用をすることもあるということを考えなければならない」と、闘う決意が深く、強靭化されていっていることが見て取れるのである。
 三池労組の討論は、ともすれば大雑把になりやすい討論の課題が具体的に提起され、また抽象的になりやすい原則論に終わらせず、具体的に何をたたかうか、何を準備しなければならないかを明確にして議論している。それが議論を深め、理解を早めることを教えている。「三池の討論は本音である」、「三池の討論は、深く、仲間を成長させる」が、それは「三池の討論が具体的である」ことに起因していることを学ばされた「日刊社会主義」であった。
     (かわむら ようじ)


●月刊「科学的社会主義」No.273 2021年1月号
   生命こそ第一、政府は財政支援を怠るな
                              社会主義協会事務局次長  津野公男

 コロナ禍は今や人災
 2020年はコロナに明け、コロナに暮れた。
 2021年も20年暮れ以降のコロナ蔓延の第三波に襲われており、医療崩壊の危機に曝される、不安のなかで新年を迎えることになる。
 世界の感染者は6530万人超、死者は150万人強、日本では感染者は16万人超、死者は2300人強(20年12月5日現在)に上っている。日本では、20年夏のいわゆる「夜の街」対策の遅れによる若者の感染拡大が進みだしたときに、「普通の人」なら悪い予感を持つ状況が生まれていた。しかし、若者中心だから重症者は少ない、たいしたことではないというような「楽観主義的見通し」が意図的に流布された。菅首相や自民党の二階幹事長との太いパイプを持つといわれている観光業向けの「GO TOキャンペーン」が強行された。結果、人の流れの拡大が日本中に一気に感染を広げることになった。その後、感染も60歳代以上に増え始め、病院や介護施設でのクラスターも多数発生し、重傷者、死者数ともに増加しだし、事実上の医療崩壊におちいった。
 このような危機的状況にもかかわらず、「GO TOキャンペーンでコロナが広がったというエビデンスはない、三密を避けて、マスクをつけて・・・」とオウムのように繰り返してきた菅首相と加藤官房長官の責任は大である。

 コロナ禍が浮き彫りにした社会的格差
 コロナ禍は、現代の歪んだ社会の姿を浮き彫りにしている。同じ労働者であってもリモートワークで働き続けることのできる正規の労働者と、直ちに仕事を失う非正規労働者、フリーランサー、外国人労働者。あるいは感染の危険と隣り合わせにいながら低賃金・低労働条件を強いられている清掃業や介護職などのエッセンシャルワーカー。
 また、時ならぬ株高によって高額な所得を手に入れることになった富裕層、高額所得者たち。ある新聞記事によると、軽井沢に東京から逃れてきた富裕層が集合し、軽井沢は今や東京北麻布化している。一方の極では、生活保護申請が前年同月比18%増と急増している。
 まだ、自殺が急増している。とくに女性が多く、女性には非正規労鵆者が多いからだという。コロナを理由に退職した女性労働者は74万人で男性32万人の2倍になっている。医療や介護、飲食、接待など、女性が多く雇用されている業種がコロナ禍の最も大きな影響を受けているからでもある。この危機の時代にも、あるいは危機の時代だからこそというべきか、格差はさらに拡大しているのである。
 当たり前の話であるが、大震災やパンデミックなどの自然災害(本当は自然破壊も原因であるが)には階級性があるわけではないので、何も低所得者や不安定雇用者、弱者をねらい撃ちするわけではない。しかし、そのもたらせる被害は、明白に低所得者、弱者に集中している。
 医療体制がここまで逼迫し始めたのも、新自由主義的改革によって医療費を削り、病院や保健所の統廃合を進めてきた結果である。コロナ禍は新自由主義のもたらせた厄災を浮き彫りにしている。

 命と生活を守るための財政出動を躊躇してはならない
 国と地方合わせてGDPの200%超の日本の累積財政赤字は世界ワースト1位として、一貫して問題とされてきた。世界もリーマンショック後の景気対策や反緊縮運動の高まりのなかで国家財政の赤字は膨らんできていた。そしていまのコロナ危機によって一挙に財政赤字は拡大している。IMFの試算では、日本の財政収支赤字は19年が2.5%、20年は7.3%、アメリカはそれぞれ5.5%、15.4%、ユーロ圏0.7%、7.5%となっており、先進国の政府債務残高も122%に上昇する。
 いまやコロナ禍のもとでは、財政赤字も仕方ないというのが世界の常識となっている。日本も乏しいながらもコロナ対策の財政出動をしている。財界、自民党、財務官僚がこれまでなら容認しなかったであろう。所得制限がなく、子どもも含めた全国民に一律10万円直接支給というベーシックインカム的手法も採用された。今までの財政規律重視派なら反対していたようなこのような手法の採用は、アメリカなど諸外国も採用しているということもあるが、コロナ危機の深さに支配層が(その一部かも知れないが)統治の危機を感じ取っているからだと見ることができる。
 これに悪乗りした竹中平蔵の、一人当たり7万円を配り、そのかわりに生活保護や年金は削れというペーシックインカム論は、フリードマンなどの新自由主義者の小さな政府論の流れに沿ったもので、当然、それはベーシックインカムでないという反論もなされている。また、北欧諸国の場合には医療費や教育費は基本的に無料で、つまり現金支給ではなく現物支給(ベーシックサービスという言い方もあるようだが)が手厚いことは頭に入れておかなければならない。
 政府の新型インフルエンザ・基本的対処方針等諮問委員会のメンバーでもある小林慶一郎(東京財団政策研究所研究主幹)氏は、一度ぽっきりの10万円では不十分ですべての希望者に毎月10万円を支給のベーシックインカムが必要、生活を再建できたときに所得税に上乗せして課税し回収する(最近は低所得者への五万円給付、ただ所得調査をしていると間に合わないので希望者には全員支給し、事後的に所得税で・・・と言っている)という提案をしている。
 政府は、被雇用者には雇用調整助成金等での雇用継続、休業・失業で生活資金に悩んでいるもの資金援助(事業者に対する支援は割愛)等を行ってきたが、コロナ禍が終息するまで継続、あるいは拡充、さらにペーシックインカム手法の採用など、国民の命と生活を守るための財政支出の拡大に躊躇があってはならない。

 緊縮財政に反対の金融理論の高まり
 いま、主流派の主張、これまでの常識的な財政・金融論にたいして、公然と反旗を翻す理論が高まってきた。
 松尾匡氏は「そろそろ左派は経済を語ろう」というよびかけをおこなった。そのなかでは憲法や平和問題、民主主義的問題では実は野党側が勝っているか拮抗している、しかし年齢が下がるごとに自民党の支持が高まるのは、政府や自民党が雇用や子育て支援などでやっている感をつくりだすことに成功しているからだ。野党側も、もっと経済政策を強めて行かなければならいのではないかと言われている。積極的な(反緊縮の)財政政策によって、子育て関連、教育関連支出を拡大する政策を提起することが喫緊の課題だということである。そしてそのための赤字国債発行を躊躇してはならない。インフレの拡大(2%ぐらい)の動きが出れば政策を切り替えればよいという(以上、骨子の紹介、経済成長等の理論的部分は割愛)。松尾氏の主張を大きく取り入れたのが、れいわ新選組であり、赤バラ運動である。
 アメリカでは、ケルトン氏などによるMMT(理論)が、似た主張をしている。赤字国債発行を恐れず、雇用や医療費、福祉、教育に多くの財政を投入せよという主張で、民主党の左派的部分、オカシオ・コルテス氏などが支持している。国債を発行してもそれが国内で消化できれば問題はない。あの日本を見よと。さらに関連しては、国家は通貨発行権を握っていることや中央銀行との関連などの議論もある。
 私たちが理解してきた理論では理解できないという読者も多いと思われるかも知れないが、「ヘリコプターマネー論」をも含めてこれらの積極的な赤字国債発行理論に対する反論としては、ハイパーインフレの危険があり、彼らはインフレが高まれば緊縮、あるいは利上げに切り替えるというが、そううまくはいかないよというものが多数である。
 このような理論が高まっている背景には、現在の資本主義経済が、雇用危機や格差と貧困の拡大の傾向にたいして国家財政投入を避けられないところに陥っていること、デフレ状態が先進資本主義国では続いていることがあり、いうまでもなく金本位制からの離脱にともない、金保有に縛られずに通貨発行できるところにある。ハイパーインフレという点では、1970年代にアメリカの金本位制からの離脱によって膨れ上がったドルが世界中にばらまかれた結果ハイパーインフレが世界を襲った記憶がある。ただ、これらの金融理論をめぐる論争は別として、今は財政赤字を恐れる時期ではない。

 資本と政府は成長がお好き?
 菅内閣はともかく、経済回復を急いでいる。追加予算では脱炭素社会の実現のために2兆円、デジタル化推進のために1兆円が目玉のようだ。SDGsは今や企業を駆り立てるスローガンである。地球の温暖化に歯止めをかける脱炭素社会は、企業の戦略的課題となっている。地球環境を守る運動が企業の利潤拡大の戦略として取り込まれている。これに関しては、斎藤幸平氏らによる、SDGsはグリーン・ケインズ主義であり、これ以上の成長は地球資源を破壊するものであるとの批判もある。
 斎藤氏らとは理論的組み立てに違いがあると思われるが、これまでもたびたび取り上げてきたように、浜矩子氏や水野和夫氏らはもはや高成長は不可能だ、今ある(生み出される)所得の社会的再配分こそ課題であると言ってきた。
 成長戦略に踊らされることとなく、所得税や法人税の見直しによる社会的再配分の強化によって、「公助」を拡大する戦略への転換を求めていかなければならない。
  (つの きみお)






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