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展望

科学的社会主義の展望  2019年1月~6月


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●月刊「科学的社会主義」No.254 2019年6月号
  自治体選挙から党建設を考える
                       社会主義協会事務局次長  津野公男

  自治体選挙の結果のなかに見える厳しさ
 自治体選挙の結果は、新社会党にとっては厳しいものになっている。もちろん現職の方はほとんど議席を守っているし、新人でも徳島の春田さんのようにトップ当選した方もいる。議席数の上では、左派政党が苦戦しているなかでは善戦ではないかという見方をする人がいるかもしれない。しかし、党の今後を考えるとき、新人の多くが苦杯をなめていることに現在のわが党の実態があると思われる。
 結党当初、5人の国会議員でもって政党要件を満たし、衆議院選挙を闘い、政党要件を失ったのちの参議院選挙は、確認団体方式で闘かうことになったが、そこで新社会党に所属する国会議員を失った。以降さまざまな厳しい条件にもかかわらず果敢に候補者を立てながらも小選挙区制度の壁を前にして国政の場における議席確保には至らなかった。その現実を前にして、新社会党が発展していく道は、新自由主義のもたらせる様々な厄災に対する闘いをリードし、その過程で党員を増やし機関紙を拡大し、力と影響力をつけることであった。他方、国会に議席を持たないゆえに、自治体議員の拡大も容易ではなかったが、地方特有の一定の条件に恵まれるならば、つまり議席数が多く、その分当選に要する得票率が低く、また政党の要素の他に候補者の持っているつながりが勝敗を決める程度が大きいために、全力で取り組むならば、かなりの成果を上げることが可能であった。また自治体議員が増えることはその地域の「党の顔」ができ、党に対する住民の信頼性を高めることにもつながり、自治体議員が存在しないときに数倍する影響力を行使することができるようになる。このような大筋の確認の下に新社会党の組織建設は進めてこられたのではなかろうか。しかし今日、党員拡大にしても機関紙拡大にしても、そして自治体議員拡大にしても予期したほどの成果を上げることにはなっていない。その結果が、新人議員を当選させられない新社会党の現実となって表れている。決して、議員候補者個人の問題ではありえないのである。

  足元を直視しよう
 遠くをめざすものはまず第一歩を、足元を大事にしなければならない。厳しい現実から目をそらすことなく、自分の所属する県や地域で結党以来いったい何人の自治体議員をつくりだすことができたのか、何人の党員を拡大できたのかこそが反省、討論されなくてはならない。自治体議員を増やすことも党員を増やすこともできなければ国政に復帰する展望などない。個々の党員、個々の機関が足元を直視し、なにをつくってきたか、何ができるか、何を為さねばならないかを置かれた実態から目をそらさず、真剣に議論をすべき時である。
 政党要件を持たない党とはいえ、その厳しい現実を理解したうえで未来を担う若者が入党している。ここに新社会党の展望がある。あまりにも早い情勢の展開、闘わなければならない課題の続出に比べてこつこつ増やしていくことに、焦燥感をもつ方々もいるかもしれないが、結党以降それが一貫して取り組まれていたら、現在はわれわれにとってずいぷんと違った景色のなかにあるはずだ。そして政治は「算術よりも、むしろ代数に似ており、さらにまた初等数学よりも高等数学に似ている」(レーニン『共産主義における左翼小児病』より)のであり、一定の政治情勢の下では大きく花開く。前回の衆議院選挙、参議院選挙において、全野党共闘がつくられたときには多くの県で新社会党は立派に共闘の一翼を担うことができたのであるが、さらにもっと多くの自治体議員、党員がいたなら局面は異なっていた可能性もある。

  誰にでも分かっている当たり前のこと=組織量の弱さ
 当選できなかった方々もずいぷんとは善戦していてあと一歩届かなかった場合が多い。全くの勝手な持論であるが、新人は前職の「票田」をもらえた場合でも現職の2~3倍のエネルギー、活動量、宣伝力、資金が必要だと思っている。いろいろな選挙を担ってきたが、新人候補で闘った際の私なりの経験だ。惜敗に終わった新人の方々は、零から出発し、今回の選挙で獲得した票(=実は、固い支持者名簿や選挙を共に担ってきた支持者)を大切にして、直ちに4年先を視野に置いた活動に着手していただきたい。
 選挙通と称される人々の間で、よく知名度が低かったなどと分かったような、分からないような結果分析がなされるが公明党は創価学会、共産党は党と周辺の医療生協や各種の民主団体によって選挙に関係のない、日常的に一定の組織力を持っており、そこに自党の候補者を連れまわせば一定の必要票は確保できる。公明党ほどではないが共産党の場合にもそれに少しプラスすれば当選に必要な票を獲得できる。
 しかし、今の新社会党の力量は特定の地域的でなければ到底公明や共産党の日常的に築き上げている組織力に対抗はできない。したがって、より長期的にはやはり第一には労働組合のなかに党組織を拡大する、さらにこの近年、NPOやアソシエ論が高まっているが、勤労大衆あるいは市民(ここではどちらでもよい)とともに様々な課題での運動体をつくりあげ、大衆=住民との接点を拡大することが求められている。新社会党に限らず、左翼自体が後退させられている厳しい情勢ではあるが、これを追求する以外にはないのである。現職が選挙に強いのは、かりに新社会党としてのチャンネルが弱くても、議員活動を通じてこの接点、チャンネルが多数できているからである。新人は、これまで他の候補者の名前を書いていた選挙民に異なる名前を書けということ自体が大変なことであるうえに、チャンネルが決定的に少なく弱い。だとすればどうするのか。4年先をめざした党組織と候補者による組織づくり、そして運動に取り組まなければならない。せっかくの積み上げた成果を無にしてはならない。

  私たちは、労働者政党・組織政党
 「プロレタリートの革命党の規律は何によっても保たれるのか? それは何によって点検されたのか、何によってうちかためられるのか、それは第一にプロレタリア前衛の意識、革命に対する献身、その忍耐、自己犠牲、英雄主義によってである。第二に、彼がきわめて広範な勤労大衆、まず第一にプロレタリア勤労大衆と、だがまた非プロレタリア的勤労大衆とも結びつき、彼らに接近し、必要とあればある程度までとけあう能力によってである。第三に、これらの前衛がおこなう政治的指導のただしさによって、彼らの政治的戦略と戦術のただしさによってである。ただし、これはもっとも広い大衆が自分の経験にもとづいて指導のただしさを納得するという条件のもとでである」(レーニン 『共産主義における左翼小児病』より)。『共産主義における左翼小児病』でレーニンが述べていることは、ツアリーの厳しい弾圧化のロシアという条件、議会を通じた平和革命の可能性の可否、あるいは「前衛」という概念・存在が今にふさわしいものなのか等、そのままに現在の運動に適用できるものではない。しかし、その底流としての労働者階級の労働組合と並ぶ政治組織=政党の必要性とその強化については誰も異議をさしはさまないであろう。労働組合とともに、社会変革という究極の目標だけでなく主として政治闘争を担うために社会主義政党=労働者政党は生まれてきた。旧来社会民主主義政党も含めての労働者政党は、とりわけ資本主義の支配的なイデオロギーと闘うために独自組織を発展させ、独自に思想宣伝をすることを迫られてきた。支配的イデオロギーは、労働者を資本主義的秩序の枠内にとどめようとするからだ。とりわけ、小選挙区制度と政党法に基づく助成金のもとで、小政党でかつブルジョアマスコミから受けの悪い新社会党は、自前の影響力のある組織と自前の宣伝力を持だなければ広範な大衆の支持を集めることはできない。レーニンには時代的な、そしてロシア的な特殊性があり、レーニンの理論を実際の運動において教条的に適用することは誤っているが、労働者のなかに社会主義思想を広げる、労働者を組織するという点においてはもっとも卓越した能力をもっだ革命家であり、私たちが学ぶべきものは多い。社青同時代に学んだ方々も多いはずである。
 「広範な大衆と結びつくこと」、「必要とあればある程度までとけあう能力である」という言葉に学ばなければならない。偶々、私か兵庫の新社会党の党員であるため、手元に『県本部大会議案』があるが、そこでは「一回り大きい党建設の推進」が課題として挙げられ、「周囲の仲間を学習会に組織する」ことが取り上げられている。
 読者のなかには立憲民主党に対して期待する方も多いかもしれない。リベラル、立憲主義を掲げているこの党は今日の自公勢力、維新の跋扈などに対決していくために重要な役割を果たしている。反安倍、改憲反対では私たちも統一戦線を組むことのできる政党である。しかし、立憲民主党は思想的にはリベラルを自称し、資本主義を前提とした党である。もちろん今日の自公政権の進める改憲攻撃に対抗する戦線構築という側面からは違いを強調するのは間違っているが…。したがって、マスコミの一定の支持の範囲で選挙闘争ができ、私たちが言うところの「浮動票」をかき集めることができる。この点で私たちとは大きく異なっている。さらに組織形態においても、この党は典型的な議員政党であり、新社会党や社民党、共産党などの伝統的左翼政党とは趣の異なる組織論をもっている。立憲民主党の党員の大半は、議員か候補者であり、多くの入党希望者はパートナーと呼ばれ、立憲民主党に期待する比較的若い層が結構多く登録しているようである。
 一方、私たちは、立憲民主党のような運動を追求しようとしても不可能であり、決して楽な道ではないが、労働者党にふさわしい活動と組織づくりの王道を進むしかない。     (つの きみお)


●月刊「科学的社会主義」No.253 2019年5月号
  『共産党宣言』とハロルド・ラスキ
                        社会主義協会理論部長  野崎佳伸

 本年3月に『共産党宣言』(以下『宣言』)を解説する機会を得たので、色々と準備をするなかで、新しい知見を得ることができた。これについてはいずれ本誌で報告をしてみたいが、今回はこぼれ話として、ユダヤ系英国人ハロルド・J・ラスキ(1893~1950)について記してみる。
 4年ほど前、高校時代の同級生から「戦前、左翼思想の持ち主だった父の遺品を整理することにしたので、必要なものがあったらどうぞ」とのお話があり、ご自宅におもむき、ラスキの『共産党宣言への歴史的序説』(山村喬訳 1950年刊 法政大学出版局。以下『序説』)と『労働農民党第2回全国大会速記録』(28年刊)の2冊をいただいた。そのときまでラス牛のものは読んだことはなく、人物についてもほとんど知らなかったのだが、『序説』を読んで意外に出来が良いので感心した。それで彼の『カール・マルクス』(原著は22年出)の角川文庫版を入手して読んでみたが、これは余り感心できずその後遠ざかっていた。
 ところが昨年、石河康国氏の『向坂逸郎評伝』上・下が相次いで出版され、上巻では一か所、下巻では二頁にわたり、ラスキの名が出てくる。すなわち上巻では向坂が『改造』51年10月号に寄せた評論で「このごろラスキとスイージーの諸著作を読んでみました。難点はあっても…彼らがマルクシズムをよくもあれほど理解したということに感心しています」云々とある。また下巻でのひとつは向坂が『社会主義』創刊号(51年6月刊)によせたラスキ著『現代革命の考察』の好意的「書評」(「現代革命論~ラスキの『現代革命の考察』にふれて」)であり、いま一つは『改造』52年新年号によせた評論のなかでラスキを好意的に引き合いにだしたという石河氏の指摘である。筆者は向坂がラスキをかくも高く評価していたことを全く知らなかった。
 そして今回の『宣言』解説の下準備の中で、岩波文庫版の解説(51年11月12日付)の末尾に、向坂が自分の論説『「共産党宣言」百年』(『唯物史観』(旧版)第四号目=共産党寫言特集号 48年12月刊。復刻版あり)と並んでラスキの『序説』を推奨しているのを見て、いよいよ自分の不明を恥じることになった次第である。なお、戦後の10年間ほど、日本ではラスキがブームとなり、彼の主著はほとんど全部が訳されたとされるが、その後急速に忘れられていったようである。
 ここまで挙げた資料については現在入手しにくいものが多いのだが、向坂によるラスキ評で最も詳細なのは「現代革命論~ラスキの『現代革命の考察』にふれて」であり、これが掲載された『社会主義』創刊号は30年後に『労農』『前進』創刊号などと共に復刻版がセット販売されている。また『序説』は76年に新装版が『共産党宣言小史』と書名を変えて出版されている。漢字仮名遣いを変えて読みやすくなり、何より紙質が格段に良くなった。内容的に変わるところはない。
 以下では向坂の書評を要約して紹介し、次いで『序説』を中心にラスキについて、筆者の感想を記す。

 向坂逸郎によるラスキの「書評」
 向坂の「現代革命論」は厳密な意味では書評ではなく、評論である。ラスキの死の直後に書かれた。書き出しに「すぐれた政治学者にして政治家である彼の死は、イギリス労働党だけの大きな損失ではなくて、世界の進歩的な思想にとって惜しみても余りあるものであった」とある。そして「彼は常にその理論を実践の用に供し、実践の中で鍛錬した」と続けるが、この評価はいかにも向坂らしい。向坂はまたラスキがロシア革命の意義を高く評価し、スターリンをヒトラー・ドイツの方に追いやり、スターリン政権が独裁を強化しているのも、「主としてファシズム及び英米のこれに対する確固たる方針のなさ」がそうさせているのだと指摘していることを紹介する。背景には山川均が一時ソ連を「国家資本主義」と規定したことがあったように、当時の労農派知識人のあいだにソ連評価に関して意見の相違が少なからずあったことがあろう。本「書評」の中にも、「近頃生まれたソ連恐怖病者連」という言葉が出てくる。但し向坂はラスキが「スターリン時代を極めて鋭く批判する」と述べつつも、その具体的内容はスルーしている。これについては後述する。
 一方、向坂は苦言も呈する。ラスキは「重要な生産手段が直接に社会全体の利益のために社会全体によって所有され支配され」ることを通して「計画的民主主義」の実現を説くのだが、「しかしそれは英国の現実にとらわれすぎた議論に見える」と。向坂によればラスキは「イギリスの政治学者としてはマルクシズムに深い理解を示している」が、「それはなお基本的なマルクスの諸理論について重要な誤解を含んでいる。たとえば、唯物史観と唯物論との関係の如き、また『資本論』の粗雑なる理解の如きである」。ここで指摘される少なくとも後者については、筆者も意見を同じくする。またラス牛の説く「同意による革命」は「資本家が説得と教育とによって社会主義者になるということを信ずる」しかなく、「階級の対立が存する限り、革命を遂行せんとする階級がその組織的な力(これもある意味で『暴力』)」を用いずして、または、その威力を示さずして、社会的変革が行われるということは信じがたい」と記す。これまたいかにも向坂らしい注文である。ただ、「同意による革命」論は「個人の自由」の尊重と並んでラスキ思想の中心をなす。後者は政治学者ラスキが早くから到達した思想であるが、前者は第二次大戦中に進化を続けた、おそらく未完の概念であるので、その言うところは丁寧に追跡されるべきものである。また、背景には当時英国内で発表され、熱狂的に国民によって支持された「ベヴァリッジ報告」の存在があっただろう。階層をこえた熱狂は、ラスキの「同意による革命」論に力を与えたはずだ。「ゆりかごから墓場まで」と言われたこの報告書は、ラスキとそりの合わなかったベヴァリッジの名が付いているが、公表直後にラスキは彼に激励の手紙をしたためた。なお、ベヴァリッジ報告は社会保険>公的扶助>自助努力の推奨からなり、今日からみれば限界はあるものの、当時としては画期的なものであった。またケインズはその財政裏付けの可能性を確認したうえで、賛意を表したという。ラスキはその早急な実施を求めたが、挙国一致政府の容れるところとはならず、戦後にもちこされた。

 ラスキの『共産党宣言への歴史的序説』
 この一文は『共産党宣言』刊行百周年を記念して、当時政権を担っていたイギリス労働党が発刊した『宣言』及び序文を収録した書にラスキが寄せたものである。『序説』は全9項からなるが、著者が自らの見解を、しばしば『宣言』以外のマルクス、エングルスの文献にも拠って表明しているのは第7・8項であるので、その部分の特徴的な主張のみを追ってみる。
 7項では『宣言』で「共産主義者は彼ら自身の別個の党を結成しない」とされていることを強調し、「一つの別個の共産党という考えはロシア革命の時に始まっている」と主張するが、これは『宣言』の拡大解釈のしすぎだろう。マルクスは、労働者階級はブルジョア政党に依拠するのではなく、条件が許せば独自の政党を結成すべきだと考えていたし、ドイツでこれを達成したラッサールを高く評価してもいた。また、ラファルグを通じてフランス社会党の結成にも関与していた。そしてその指導理念は正にマルクス主義に一本化されるべきものであった。付け加えれば、マルクスやエングルスは「加入戦術」を主張したことは一度も無かった。それはコミンテルンの時代に、ソ連の祖国防衛概念の浸透ともあいまって常態化されていったと思われる。
 8項ではエングルスによる著名な『フランスにおける階級闘争』序文(1895年)が重視される。バリケード戦は軍事技術の革新によって困難となったこと、普通選挙の活用のほうがはるかに有益である、と。だがレーニンの『左翼小児病』による警告にもかかわらず(とはいえ、責任の一端はレーニンにもあるとラスキは言うのだが)その後共産主義者は別個の党、別個の労働組合を結成することを急いだことを、ラスキは批判する。そしてヒトラーの危険性を軽視し社会民主主義者を「社会ファシスト」と批判していた時期をこえ、一旦は人民戦線の思想をとりいれたのだが、大戦勃発直前には独ソ不可侵条約が突然締結された。ラスキは言う。何物にもまして奇怪なのは戦争が始まってから41年6月にドイツがソヴィエト・ロシアを攻撃するに至るまでの期間に西欧の共産党がなした頭脳の旋回である。39年10月から彼らの主張は転換し、今次大戦は帝国主義間の戦争であり、イギリス共産党は挙国一致内閣に参加した労働党を非難し、軍事工場でのストライキを奨励さえした、と。そしてドイツのソ連攻撃が始まると一夜にして「戦争は帝国主義戦争から自由のための十字軍へと変化した」。
 戦後、イギリス労働党は冷戦の深化とともにNATOに参加、政権も51年にはチャーチルに再度明け渡す。二度の大
戦を通じてイギリスの世界的地位低下は隠しようもなく、サッチャー政権下では福祉政策も切り詰められていく。そもそもラスキの思想が労働党の中で多数を占めたことは一度もなかったし、労働党は路線転換を繰返すのだが、現在ではジェレミー・コービンが党首をつとめる。イギリス労働党左派はしたたかである。  (のざき よしのぶ)


●月刊「科学的社会主義」No.252 2019年4月号
  「労農派」のアイデンティティーと現代
                          社会主義協会代表  石河康国

 「労農派」のアイデンティティーとは何だろうか。堺利彦、山川均から向坂逸郎に至る流れは日本の社会主義運動において明らかに独自の流れであるが、その「独自」性は、他潮流にくらべ殊更に「独自ではない」ところに見いだされる。であるから山川は労農「派」という物言いは嫌った。
 『共産党宣言』第二章「プロレタリアと共産主義者」はこう謳っている。「共産主義者は、他の労働者党にくらべて、特殊な党ではない。かれらはプロレタリア階級全体の利益から離れた利益を持っていない。かれらは、特別な原則を掲げてプロレタリア運動をその型にはめようとするものではない。」「共産主義者は…理論的には、プロレタリア運動の条件、進行、および一般的結果を見抜く力をもっている」。
 労農派はここに謳われた精神を誠実に実践してきたと言って良い。
 「特別な原則を掲げてプロレタリア運動をその型にはめない」ということは、常に一般論だけを語つたという意味ではない。「運動の条件、進行、および一般的結果」を洞察し、それにもとづいてどういう階級闘争の形態がふさわしいか、常に具体的に考えたのである。
 マルクス・エングルスは、まずは少数の札付き初期「革命家」集団の中心に座り雑然たる思想を淘汰し高めることに努め、近代的労働運動が台頭するや直ちに経済闘争を基底に置いた第一インタナショナルに飛びこみ領導し、さらに各国内で労働者政党が独自の発展をはじめるや、歴史的役割を終えた第一インタナショナルを終焉させ、国毎の大衆的な労働者政党の育成と理論指導に傾注し第ニインタナショナルの礎をきづいた。彼らの足跡をたどると、まさに『共産党宣言』で誓ったことを誠実に実践したと言う他ない。

 『共産党宣言』の精神を地で行く
 わが労農派の先達も、これに見習った。山川は小さな日本社会党から冬の時代と売文社にかけての雑多な思想の「主義者」集団の経験を経、欧州の社会主義運動、労働組合運動の研究、ロシア革命の研究を引っ提げて無産階級の政治運動の諸条件を見定め、大胆な「方向転換」から単一無産政党=共同戦線党の指針を示した。その理論は宗派的な作為や権威で労働者・農民の運動に受け入れられたのでなく、透徹した見通しの力で自然と受け入れられていった。その過程で山川はある種の「型」にはめる傾向と衝突した。コミンテルンの指導である。ロシア革命を成功させ、世界革命の展開をめざしたコミンテルンの指導は大いなる権威であった。世界で最初の労働者と農民の国家を実現させた方法は、ロシアに特殊の形態ではあったが、その圧倒的な影響力はどの国においても同様の政治闘争の形態で革命に接近できると思わせるのに充分であった。社会主義政党を非合法であっても作り出そうという機運に、孤立しても対抗した山川は科学的であった。
 今にして思えば、山川の探求した日本的諸条件に適応した政治運動が大きく育っていれば、帝国主義戦争を阻止できたとまでは言えないが、少なくとも太平洋戦争後の民主化はきわめて力強い充実したものとなったであろうし、「上から与えられた憲法」ではない、人民の血肉となった憲法が定着したであろう。
 山川と向坂は、第二次大戦後の世界の諸条件のもとで、「平和革命」が可能であると見定めた。武力革命方式か平和革命方式かはそれを成功させる社会主義運動のあり方も左右する。そこで彼らは敗戦直後には、社会主義政党ではなくして民主人民戦線と言う形態で、まず与えられた民主主義を民衆自身の運動で血肉化する仕事に挑んだ。それが不成功に終わるや、片山内閣の失敗などで民衆の強い不信を買った日本社会党とは別個に、労働組合活動家に依拠した独自の社会主義政党の結成を模索した。しかし日本社会党左派が伸長するや直ちに社会党に合流し、左右社会党の分裂で左派社会党強化に尽力し、左右合同には反対したが合同されたら割りきって統一社会党内の思想闘争に全力をあげた。その思想闘争は、社会党や総評の運動の先頭に立ち、人々の実践的な信頼を得ることと一体であった。以降60年代~70年代にかけ社会主義協会は日本社会党の階級的強化にまい進した。こうして、「型」通りの日本共産党とは別個の社会主義政党の育成を目指したのであった。日本社会党は実体的に共同戦線党であったのであって、それだからこそ党内に社会主義協会を組織し、社会党の大衆性を最大限生かしつつ社会主義政党をめざそうとしたのである。

 ソ連型社会主義との向き合い方
 だが、それでもソ連をはじめとする社会主義体制の前進に影響されたある種の「型」であったことは否めない。
 ソ連が崩壊した今日、この努力を批判的に論評するのは後知恵であって、評論家ではなく運動家たろうと努める者にとってはあまり意味がない。「平和革命論」自体が、社会主義体制の伸長なくしてリアルではなかった。そして、労働貴族層の存在に禍された西欧社会民主主義の存立条件は、日本の労働者階級の状態では考えにくく、組織労働者の多数派に支えられた社会主義政党形成は可能であると見定められたのも、社会主義体制の急速な発展が大事な与件とされていた。戦後もしばらくはソ連社会主義に不信を抱いていた山川も、山川ほどではないが一抹の不安を感じていたらしい向坂も、スターリン批判以降はソ連社会主義の順当な発展に期待し、60年代のソ連の発展は、社会主義協会のみならず社会党・総評の大勢が信頼をよせるところとなった。
 山川も向坂も数百万、数千万の労働者階級自身の運動の前進をこころがけた。スターリン批判以降も東欧への抑圧などソ連型社会主義がはらむ深刻な問題はうかがえたのであるが、社会主義体制の存在は、社会党・総評の基盤である労働者階級にとって社会主義のリアルさを感じさせるものであり続けた。また資本家階級も、体制の維持のために「福祉国家」的譲歩をせざるを得ず、それがまた社会党・総評の改良闘争前進の国際的な条件となった。
 それでも山川は晩年までソ連型社会主義のはらむ問題を意識して、日本でどうすべきかを考究しつづけた。『社会主義への道は一つではない』と『社会主義への道』は一体で読まれるべきである。後者は「原則綱領」と「行動綱領」の対比ばかりが注目されがちであったが、実は「中間的原則綱領」と言うものが考究されている事、そして社会主義は数百万の民衆が改良闘争で組織的に訓練され、社会主義建設に参加する主体として形成されることを重視していることを、読みとらねばならない。「温故知新」である。ある時代の必要に応じて古典を理解したつもりになるのでなく、新しい時代には古典から別の側面が新たな知恵としてくみとれるのである。
 山川ほどソ連に不信を抱いてはいなかった向坂にとっては、ソ連社会主義の諸問題を究明するよりも、それが日本の階級闘争の前進と民衆の心理におよぼす積極的な要素こそ重視すべきことだった。60年代から70年代にかけての時代における実践的な態度であった。
 後年、ソ連社会主義の問題が顕在化したことをわれわれ直視しえなかったのは、向坂の後を継ぐ我々の責任であった。直視をしても、それが極端であって「ソ連型」を否定するあまり、社会党・総評の解体の先鞭をつける方向に向かったことは残念であった。調子のいい時は社会党江田派すらソ連賛美であっだのに、いざソ連の評判が悪化すると手のひらかえしたように批判する。この極端さが新興左翼が伸長している欧州に比し、階級闘争の根の浅い日本の弱点であったと考えられる。

 理論と実践の統一
 社会主義体制の崩壊から30年ほどたった。ロシア革命から第2次大戦まで30年弱。終戦から30年で高度成長の終焉、それから30年の間に社会主義体制の崩壊とリーマンショックと言う資本主義の百年に一度の危機、そして今がある。
 世界の階級闘争は、社会主義体制の不在と資本主義の未曾有の危機と言う、かつての社会主義運動最盛期とはまったくことなった歴史的諸条件のもとで、新たな形態を見せはじめている。山川が戦前の諸条件で共同戦線党を提唱したように、向坂が戦後の諸条件で社会党の階級的強化を提唱したように、われわれも与えられた歴史的条件にどう適応するか自分の頭で考えなければならない。失敗を恐れず様々な実際運動に挑みながら、世界と日本の現状分析を深化させながら、そしてマルクス主義の古典を咀嚼しながら、頭を柔らかくして考究しなければならない。諸外国の活発な左翼運動の優れたところは、大胆な政策を打ち出し選挙によって民衆の支持を点検し、議会でその実現に努め、その是非を国民的規模で検証することだ。これに反し日本では一握りの左翼内部で「高度」な論争は盛んだが、実践の検証ができない。だから「世界最高水準のマルクス主義」を誇った日本の学界において、ソ連崩壊とともにマルクス主義が絶滅危惧種に転じたのである。
 くりかえすが、マルクスもエングルスもレーニンも、圧倒的多数の民衆の実践、政治的経験と訓練を通じて、自らの理論を検証した。そのために民衆が参加し政治闘争を闘える組織の形態はどうあるべきかを常に合わせて考究したのである。それこそが理論と実践の統一である。

 世界の新興左翼と日本
 リーマンショック以降の新自由主義の矛盾の噴出で、『資本論』の世界が再現した。社会主義体制の崩壊で歴史は終焉したのではなかった。あらたな姿で歴史の歯車は回り始めた。我々もソ連崩壊以降、新たな姿で歴史の歯車を始動させようと志した。新社会党の「21世紀宣言」は冒頭に「ソ連・東欧型社会主義とも、大資本の支配を前提にして軍事力の行使を是認する社会民主主義」とも異なった「民主的な新しい社会主義」をめざすと謳った。この志は万国共通のものであって、欧州や米国では、旧コミンフォルム系統の共産党でもなく、フレアのニューレイバーやドイツのシュレーダー連立路線で民衆の不評を買った旧来型の社会民主主義でもない、新たな左翼の形成が模索され、リーマンショック以降それが一斉に実り始めている。欧州各国の「反緊縮」左翼と総称される運動、社会民主主義者を自称するサンダース系統の運動などである。その多くはなお政府反対派であり、右翼ポピュリズムと競合している。だが、ポルトガルやメキシコでは諸派との統一戦線を組み政権につき、コービンのイギリス労働党政権を視野に入れている。これらの国々では右翼ポピュリスム勢力とナショナリズムの跋扈を阻み、民衆生活の向上の試行を追求している。これらの試みが成功するか、新しい民主的な社会主義に向けどう接近していけるかなどは未知数だ。ギリシャのティプラス政権はEUの圧力に大きな後退を強いられ苦境にある。前例のない政治の試行であるから、容易に進むと考える方がまちかっている。
 レーニンはカウツキーら教条派の硬直した観念では考えられない大胆な試行錯誤でロシア革命をなしとげ、社会主義建設に挑んだ。「革命的理論なくして革命的実践はない」と言う信念とともに「理論は灰色、実践は緑なす命の樹」もレーニンの座右の言葉であった。社会主義が大衆自身の事業である以上、そのあり様は真実にはやってみなければわからないし、大衆的実践の成功からも失敗からも学んで次を考えるほかないのである。
 さて日本では我々の志は実現の目途もたっていない。資本の支配への対抗勢力が弱体だから、右翼ポピュリスムも橋下や小池のように支配階級主流が民衆の不満のはけ口として使いこなす存在に終始し、結局安倍長期政権が続いた。野党がこのままだと安倍の次もさらにろくでもない政権が登場するだろう。せめてわれわれの初志の糸口を急ぎ掴まないといけない。労働運動や市民運動の分野では、さまざまな新たな形態が模索されているが、それを政治的に集約する水路が形成されていない。
 欧州や米国のまねをできるわけではない。しかし、階級闘争が万国共通の内容である以上、その内容を日本の諸条件に合わせてどういう形態で実現していくかは、考究すべき課題である。世界と日本の情勢の分析も、政策の検討も、各国の社会主義運動の研究も、過去の運動の総括も、すべてがこの課題に与し、民衆の政治的実践を通した検証ができるようにすべきである。労農派の伝統を生かすとはそういうことであると思う。   (いしこ やすくに)


●月刊「科学的社会主義」No.251 2019年3月号
  安倍政権を倒せる経済政策とは
                          社会主義協会理論部長  野崎佳伸

 改ざんと忖度のアペノミクス
 厚生労働省の毎月勤労統計の不適切処理をめぐって、通常国会は冒頭から火が付いた。本号が読者の手元に届くころには、他の統計についても、他の省庁についても疑念が広かっているかも知れない。政府・与党は官僚に責任を負わせて逃げ切るつもりだが、そうはさせまい。
 安倍首相がこの件の報告を受けたのは昨年12月28日であったとするが、これも極めて怪しい。毎月勤労統計のいかがわしさは既に昨年9月ころから報道され始めていたからだ(『テータブック2019』労働問題研究委員会編 5頁参照)。
 第二次安倍内閣発足後、官僚の政権への忖度は目に余るものがあるが、それには2014年の「内閣人事局」の発足が決定的であった。それ以前にも白川日銀総裁の事実上の更迭や経済産業省出身者の重用などの事例を見せつけられてきた官僚たちは、安倍政権への服従の姿勢を強めていく。そして日銀審議委員やGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)のトップに至るまで、安倍内閣へのイエスマンで置きかえられていった。こうした人事と論功行賞を見た官僚たちは、その一部は転職(逃散)という消極的抵抗を示したものの、大部分は脱力感にとらわれたまま、政権や上司の顔色を伺いつつその意向に沿う姿勢を強めてきた。
 こんな空気が蔓延する中で、安倍の発する大言壮語、「名目3%、実質2%の成長を実現」だの「2020年頃までにGDP6百兆円の達成」「財政のプライマリーバランス(PB)の黒字化実現」などの夢物語について、政界・官界内に忖度の雰囲気が広がる。一例が経済財政諮問会議において内閣府官僚が毎年1月と7月頃に公表する「中長期の経済財政に関する試算」である。本年は1月30日に開催された第2回諮問会議で提出された。
 この試算は第二次安倍内閣発足以降では13年中からスタートした。そして毎回、安倍におもねる「成長実現ケース」と、近年の実績をふまえた「ベースラインケース」が併記されている。今回の「成長実現ケース」では「経済成長率は緩やかに上昇していき、20年代前半に実質2%、名目3%以上の経済成長を実現する。…結果として、20年度頃に名目GDPは概ね6百兆円に達する」「消費者物価上昇率は、成長実現ケースでは、22年度以降2%程度に達すると見込まれる」「PB黒字化の時期は26年度となる」としている。「ベースラインケース」では、これらはいずれも達成されない。
 ところで周知のとおり、内閣府は16年12月にGDPの算出方法を変更し、従来の計算方法では5百兆円程度であったGDPを532兆円にまでかさ上げした。無論この変更は過去にさかのぼって適応され、過去の分もそうされたのだが、第二次安倍内閣発足後のかさあげ率はそれ以前に比べて大きい数字となっている。この事実を指摘したのが、今回、「実質賃金上昇率」について野党の求めに応じて試算を加え、18年のそれがマイナスになっていることを提示した明石順平氏の『アベノミクスによろしく』(17年10月刊)であった。
 それはおいても、経済の実績は当然ながら「成長実現ケース」よりも「ベースラインケース」に近い。戦後最長を達成?とされる今回の景気回復期間の年実質成長率は1.2%に過ぎない。従って内閣府の試算では毎回のように変更が加えられ、目標達成時期はその都度、先延ばしされてきた。安倍のメンツを潰さぬよう、空しい試算を繰返す内閣府の役人に矜持というものはないのだろうか。

 安倍政権を倒せる経済政策とは?
 こんな安倍内閣だが、支持率は下がっていない。国会開催中は支持率を下げるが、休会中には支持率を回復させると言われてきた。だが今回の通常国会が開催された直後とは言え、世論調査では内閣支持率や自民党支持率は上がったとされる。なぜだろうか。「野党がだらしないから」とはよく指摘されることだが、本当にそれだけか。敵失につけこむだけでは支持は広がらないのではないか。
 16年秋に近畿の仲間たちの前でお話させてもらったことがあるが、その時、格差の問題とあわせて、若者の政治意識について意見交換がなされた。その時以来、この問題が私の脳裏に頻出するようになった。
 藤田孝典氏の『貧困クライシス』(17年3月刊)の第1章「若者の貧困」に元大手不動産会社に勤務していた24歳の男性の話が紹介されている。藤田氏が付き添って役所に生活保護の申請に行った時も彼は「すみません、すみません」と誰にともなく謝り続けていたという。藤田氏は本著で、がんばればみんなが豊かになった時代は過去のもの。高度成長期の復活はありえない、と言い切る。そうだとすれば「成功した者」と「失敗した者」、「逃げ切り世代」とそうでない世代の分断は避けられないのだろうか。そうとすれば、高度成長期に設計されたとされる社会的再配分の仕組みをどのように変更し、実現していくべきか。
 「自己責任論の克服」を強調するのが橋本健二氏である。氏はその『新・日本の階級社会』(18年1月刊)で現代日本の階級構成を「資本家階級」「新中間階級」「労働者階級」「旧中間階級」とし、更に「労働者階級」を「正規労働者」「パート主婦」「パート主婦以外の非正規労働者」に小分類している。そしてこの最後に挙げたものを「アンダークラス」と名付け、その数、およそ九30万人とみている。このような分類を一瞥しただけで「俺のとは違う」として放置する人はそうしていいが、この書の真意は別にあることは知っておきたい。
 本書は「正規労働者」と「アンダークラス」の間の意識差が少なからず存在することを指摘している。そして格差社会克服の担い手となりうるのは「アンダークラス」「パート主婦」「専業主婦」「旧中間階級」のようだとし、それに「新中間階級」の半数弱と一部の正規労働者の人々を加えても良いとし、これらを一応「リベラル派」とする。ところがこれらの人々には「支持政党なし」の比率が高い。自民党以外の政党を支持したくとも現実には存在しない、と見ているのである。そして17年秋の衆議院選挙での立憲民主党の躍進をふまえ、「格差社会の克服という一点で、弱者とリベラル派を結集する政治勢力の形成」を訴えている。
 橋本氏はその後の著作、『アンダークラス』(18年12月刊)において、「失業者・無業者」へと考察を広げている。20~59歳のその数はおよそ280万人と見る。そしてこの層に「アンダークラス」との政治的同質性を見て取っている。橋本氏は「アンダークラス」層は所得再分配を求めているが、環境保護や平和主義の指向は強くない。従って彼らを包み込みながら自民党に対抗する政治勢力を形成する最も有力な争点を、所得再分配による格差の縮小と貧困の解消に求めるべきであるとしている。
 橋本氏の立論に賛成するかどうかは議論があって良い。立憲野党間にも経済政策については、例えば10月の消費税増税について温度差があるように、その溝を埋めるのは容易ではない。最近「薔薇マークキャンペーン」が松尾匡教授らの呼びかけで立ち上がり、「4月の統一地方選挙と7月の参議院選挙で、99%の人々の生活を底上げする『反緊縮の経済政策』を掲げるよう、立候補予定者に呼びかけます」としている。藤田孝典氏のように「高度成長の再現はありえない」とする立場の人々が賛同することもすぐには見通せないが、目指すところが同じであれば一致点を見出してほしい。本年の新社会党本部の旗開きであいさつに立たれた来賓の清水雅彦日体大教授(千人委員会事務局長代行)は「自民党は色々あっても政権を守るときは団結する。対して、日本の左翼はすぐに分裂したがる」と皮肉を寄せられた。
 藤田孝典氏の主張に近い説をとなえるのは、社会学の泰斗、見田宗介氏である(『現代社会はどこに向かうのか』岩波新書)。発刊は昨年の6月であったが、私は不覚にも最近読み終えた。氏は生物学でいうところの「囗ジスティック曲線」になぞらえ、人類史もまた同じ傾向を示しており、「近代という壮大な人類の爆発期は…1回限りの過渡的な大増殖期であった」「現代社会の種々の矛盾に満ちた現象は、…高度成長をなお追求しつづける慣性の力線と、安定平衡期に軟着陸しようとする力線との、拮抗するダイナミズムの種々層として統一的に把握することができる」というのである。そしてNHK放送文化研究所が5年ごとに実施している「日本人の意識」調査の1973年のものと2013年のものから「20歳台の青年」の意識をとりあげ比較検討している。氏によれば「40年間の青年の精神の変化」で「もっともめざましい変化を示している領域」は、「近代家父長制家族のシステムとこれを支えるジェンダー関係の意識の解体というべき領域である」。更に驚かされるのは次の指摘である。「つづいて注目される変化は、『生活満足度の増大』ということである」。
 氏は続いて「世界価値観調査」での欧米の20~24歳の青年の意識層の変化も紹介し、日米欧の青年の間に大きく増大している価値が「寛容と他者の尊重」であることを指摘している。そして「分配の問題を根本的に変革しないで、いくら成長を続けても、富はそれ以上の富の不要な富裕層にぜい肉のように蓄積されるだけで、貧しい人びとは、いつまでたっても貧しいままである」と結論する。
 今後、資本主義は成長するのか、するとすればどの程度のスピードで成長するか。先進国では成長は鈍化するとしても、新興国や発展途上国にも成長する可能性と権利が与えられるべきではないか。野党は安倍政権を上回る成長戦略を打ち出すべきなのか、定常状態への積極的移行を主張すべきなのか。同志的な議論を左翼・リベラル陣営の中で醸成されることを期待したい。  (のざき よしのぶ) 


●月刊「科学的社会主義」No.250 2019年2月号
  2019年予算に見る安倍首相の改憲への執念
                          社会主義協会事務局次長  津野公男

 昨年12月21日に閣議決定され2019九年予算は、一般会計総額101兆4564億円、当初予算額で初めて100兆円を超え、昨年より3兆7437億円増加している。
 このような大幅な歳入増の予算を組め、かつ赤字国債の発行を前年並みに抑制できたのは、税外収入と法人税の大幅増収、そして10月から実施予定の消費税率引き上げを見込んだからである。そして、歳出面で突出するのは、防衛費の大幅な増額と消費税引き上げ後の景気後退を見込んだ様々なばらまき型刺激政策である。このような大型予算を組む背景は、夏に予定される参議院選挙である。ロシアと平和条約を結んで、衆参同時選挙に打って出るという悪い冗談もある。経済減速の可能性があるので、その場合は消費増税取りやめという「奇策」をもって、いずれの場合も「信を問う」という名目で選挙に臨むという説もある。解散などは考えたこともないと安倍首相は言うが、解散だけは本音をもらさなくても許されるという。同時選挙の確率は50%という説もある。要するに安倍首相には日本の未来に関する基本理念はなく、ともかく大型予算によるバラマキで民意を掴み、選挙に勝ち、改憲に持ち込みたいという、いわば執念しかないのである。

 強気の歳入見込みは望み薄
 歳人面での税外収入が増額されているからくりは、預金保険機構にたまっている剰余金から8000億円、国のNTT保有株売却1500億円か積み増しされている。要するに手元財産の切り売りである。
 また、バブル期を超える法人税の大幅な増加を見込んでいるが、このような強気の税収が実現される可能性は低い。
 昨年末から世界経済の減速予想を受けて、世界的に株価の大幅な下落が続いている。アメリカの対申強硬路線は、いまやトランプ大統領の、競争力を失った鉄鋼などのラストベルト地帯の支持を集める関税引き上げ政策の域を超えて進みつつある。5G(次世代通信規格)を巡る中国との覇権争いは、通信や情報等の安全保障問題につながるとの認識がアメリカに広がり、中国のファーウェイやZTE等数社との取引を制限し、なおかつ日本やオーストラリアやニュージランド等の「同盟国」にたいしても取引制限を強要している。深刻なのはアメリカの対中強硬政策が、トランプ大統領や側近、共和党のみならず民主党の大半が同調するようになっていることである。米中二大経済大国の貿易戦争による貿易の縮小が、多国籍企業のサプライチェーンを通じて世界市場の縮小をもたらせつつある。IMFなどが発表する経済予想も軒並み経済成長率の低下を示唆している。

 景気刺激・経済対策にほとんど消える消費増税
 10月から実施される消費増税引き上げにともなう経済対策費は2兆280億円と膨大だ。高齢者でキャッシュカードを保持していない者にとっては複雑怪奇な仕組みである。中小の小売店や飲食店でキャッシュレス決済をすると5%のポインド還元がある。2%の税率引き上げだから、消費や飲食をすれば3%分実は儲けてしまう。20年6月の東京オリンピック前まで続く。この分の財源措置は2798億円である。これで消費税率引き上げに対する不満をそらし且つ、消費税増税時の消費の落ち込みを防ごうというわけである。
 さらにこの制度には、中国などで大勢となっているキャッシュレス決済を、消費税引き上げに合わせて広げたいという思惑もある。ただ、安倍政権はキャッシュレスになじめない層の反発を恐れて、低所得者や2歳以下の子どものいる世帯にはプレミアム付き商品券も配る。この予算が1723億円。さらに「住まい給付金」などもある。もちろんこれだけでは景気の落ち込みに対応する下支えはできないので、結局インフラ整備の名目で公共事業を増やす。1兆3475億円である。ようするに、消費税導入前の駆け込み需要を急増させ、参議院選挙あるいは同時選挙時の景気をよくしておこうというわけだ。消費税を無理やり2%引き上げても社会保障や子育てには回らず、このようにばらまいてしまう。もちろん駆け込み需要の反動は大きいが、選挙は終わっている。
 「2019年予算批判」として、今後しかるべき執筆者が分析するであろうから、詳細は控えるが、公明党などが低所得者対策として押し切った軽減税率は決して低所得者が得するものではない。5万円の食品を消費する世帯と、15万円の食費を消費をする世帯ではどちらが得するか、小学校低学年算数レベルの問題である。低所得者が当面飢えないように保証する意味はあるが格差は実は拡大する。
 また、マスコミなどの巧妙な宣伝で日本の消費税が低いと思いこまされているが、税収全体に占める消費税の比率を比較するとまったく異なった景色が見えて来る。2015年のデータであるが、消費税8%のときに22.6%ですでにデンマークの20.3%を超えており、10%になると26.8%になり、イギリスの26.1%、フランスの24.3%を上回ることになる。日本より高いのはフィンランド、ノルウェー、ドイツの三力国である。ちなみに、消費税はスウェーデン25%(食品12%)、イギリス14.5%(15年当時)もちろん軽減税率もあるが、それでも北欧やヨーロッパは日本に比べて消費税が高いという主張は根拠がない。デマにさえ近い。

 5年連続の防衛費の増加
 防衛費は、5兆2574億円と5年連続で増額されている。
 12月18日に閣議決定された、「防衛大綱」、「中期防(2019年~23年)」には、より長期的な防衛政策と取得装備等が盛りこまれている。「大綱」で強調されているのは、「現在の戦闘様相は、陸・海・空のみならず、宇宙・サイバー・電磁波といった新たな領域を組み合わせたものとなっている」「各国は、ゲームチェンジャーとなり得る最先端技術を活用した兵器の開発に注力している。米国は、同盟国などに対して、責任分担の増加を求めている。中国は、軍事力の質・量を広範かつ急速に強化している」「すべての領域の能力を有機的に融合さするク囗スードメイン(領域横断)作戦でわが国の防衛を全うする」「宇宙空間の状況を常時継続的に監視する体制を構築する。相手方の指揮統制・情報通信を妨げる能力を含め、宇宙利用の優位を確保するための能力強化に取り組む」等々となっている。宇宙・サイバー・電磁波と云った新たな領域、あるいはクロスードメイン作戦がこれまでになく強調されているのが特徴である。アメリカが宇宙軍建設計画、中国が宇宙強国を打ち出しているのと軌を一にする戦略でもある。
 そして、中期防では、27兆4700億円と、現行中期防よりも2兆8000億円増額されている。大綱でも強調された、宇宙・サイバー・電磁波領域に関する能力を高めるための装備や人員配置、相手方の脅威圏外からの対処可能なスタッドオフミサイル(長距離ミサイル)の装備、「いずも」型ヘリコプター搭載護衛艦(DDH)(1万9500トン、全長248m、全通甲板)の改修によって、STOVL、F35B(短距離離陸、垂直着陸が可能)を搭載可能な空母に転換する(なお同型の後継艦としては「かが」がすでに就航しておりこれも改修すれば航空機搭載空母に転換できる)、地上型イージス、イージス・アショア2基の装備、そしてF35戦闘機45機(うちF35B-18機)、早期警戒機E2D-9機の導入などとなっている。2019年度防衛予算は、これら大綱、中期防に沿っての初年度の執行である。
 「いずも」の改修調査費として0.7億円か予算化されている。また、F35A戦闘機6機681億円やイージスーアショア2基1757億円、早期警戒機E2D-9機1940億円、その他高額なものは護衛艦2隻951億円、潜水艦1隻698億円等などがある。
 また中期防が膨れあかっている背景には、トランプ大統領の日本に対する防衛費拡大圧力、対米貿易黒字を多額の武器購入によって交わそうという魂胆があるからだ。
 防衛費に関しては、確かに現在世界では各国が競って軍事予算を増加させているし、お隣の中国の軍拡は経済成長に対応して拡大するという方針だから、当面軍拡を進めるであろうが、米朝会談の開催以来、日本周辺に差し迫った危機はない。それに朝鮮問題に限ってみれば日本を襲う危機などはそもそもなかったのだ。
 また、全体として地方交付金が増えているにもかかわらず沖縄県には前年並み、県の方針に逆らう自治体に「沖縄振興特定事業推進費」の名目で30億円を配っている。県知事選挙で大敗したことへの姑息な意趣返しと言えよう。
 反貧困、社会的再配分の強化を 貧困は着実に進んでいる。少予咼齢化対策、社会保障や子育て支援、教育等にはもっと多くの予算が振り向けられるべきである。財源は、富裕層や高額所得者、企業に対する所得税や法人税等の引き上げで十分確保できる。
 根拠なき歳入増見通しのうえに浪費される軍事費や景気対策などのバラマキ型予算を拡大するのは確実に日本社会を疲弊させる。
 夏に予定される参議院選挙では、野党共闘を成功させ、安倍政権の改憲の野望を打ち砕くとともに、反貧困の国民的声が少しでも反映されるような政治情勢をつくりだしていかなければならない。もちろん言うまでもないことであるが、その前に闘われる統一自治体選挙において、新社会党や改憲に反対し、社会保障の拡大や脱原発を政策として掲げる政党の候補者が少しでも多く当選できるよう頑張ろう。   (つの きみお)


●月刊「科学的社会主義」No.249 2019年1月号
  たたき起こそう人間の力
                          社会主義協会代表  今村 稔

 2019年と1919年
 新しい年・2019年を迎えた。亥年である。かつては亥年といえば、統一地方選挙と参議院選挙が同年内に行われるために政治が過熱する年といわれていた。
 年初より選挙事前ポスターが街中に賑やかに貼りだされ、年始の社寺には参詣客に向けて挨拶看板が林立していた。今ではその種のものが皆無になったとはいわないまでも、めっきり影をひそめている。
 年初の常として「今年はどうなるだろう」と思いめぐらす人も多いだろうが、政治や社会の動きへの関心よりも、科学、技術の発展、変化に寄せられる期待の方が多いのではないだろうか。AI、ロボット、8Kテレビ、ゲノム編集、自動運転自動車(上から読んでも…という言葉遊びのような)、品々、新知識が脳内をとびまわり、初詣客で込みあう電車内でも8割の人々の心と視線がスマホに吸い寄せられているだろう。人々が新知識、新技術に関心をもち、そのマスターに挑戦することはもちろん悪いことではない。
 しかし、そのために政治や社会、人間の問題への関心や意欲が次第に削りとられ、薄れ、片隅に追われていくとすればどうだろうか。
 ひるがえって、100年遡ってみよう。1919年の初頭は、規模においても、深刻さにおいても想像をすることさえできなかった世界大戦が終結したばかり(わずか50日)であった。戦争終結をもたらしたドイツ革命はその進行の真中
であった。革命ということでさらに1年遡れば、1918年初頭は世界史上初のロシア社会主義革命が成就していた。
 18年秋からの僅か400日足らずの間に生起した人類史上の数少ないモニュメントというべき超大事件の振動波を、人々は19年1月に感受していたのである。
 ドイツ革命(第一波18年11月8日~12月29日、第二波19年1月1日~13日)については、本誌18年11月号の小林勝論文に詳しいので、そちらをぜひお読みいただきたい。
 開戦4年を越えて18年秋を迎えると、ドイツでは軍事的にも社会的にも戦争に堪えられない綻びが現れた。休戦を求める声は高まり、ストライキは頻発した。
 10月28日、キール軍港の水兵が反乱を起こし、上陸、ストライキの労働者と合流し、労兵評議会(レーテ)を結成した。スパルタクス団(後の独共産党)等は、レーテを基礎とした社会主義共和国の樹立を要求した。一方政府から首相に指名された社民党のエーベルトは、臨時政府を組織し、事態を革命よりも議会主義的民主主義の方向に導くことを目指し、反動的な軍部と手を組もうとした。
 レーテの上に革命政権を考える左翼勢力と、革命を阻もうと謀るエーベルト政府の二重権力が、あいまいなまま実現した。
 12月6日、軍部の力を借りたエーベルト政府は、急進的であるが、まとまった戦略戦術を欠いた左翼を襲い、指導部逮捕の挙に出る。年が明け、国民議会選挙の日程が迫ってくるなかで共産党(スパルタクスが党結成)を中心とした勢力は、選挙ボイコット・プロレタリア独裁のための武装蜂起を決議・決行するが、挑発の準備を整えていた反革命軍部の勢力に鎮圧され、革命の動きは最終的に失敗に帰した(1月8日~12日)。
 ドイツにおいて輝かしい革命のシンボルであったローザールクセンブルクとカール・リープネヒトはこの中で、反革命軍部に捕えられ、惨殺された。

 ローザとリープネヒトを忘れるな
 ドイツ革命の失敗の主な理由は、1年前に成功したロシア革命に対比すればはっきりする。「すべての権力をソビエトに」という、労働者を、兵士を権力の奪取へと成長させ、導くスローガンも、複雑難解なプロセスを導く鍛えられた党も、動く階級的力関係を明晰に分析し、方針を析出させる指導者も存在しないに等しかった。階級的な力も、それを促す指導部も欠如していたのである。社会民主党も、独立社会民主党もスパルタクスも共産党も流動的で混沌状態であり、その上、反革命軍部は解体されず残存していたのである。
 よく知られているようにロシア10月革命を成功に導いたレーニンは、それを世界革命の点火に過ぎないと歴史的に意味づけていた。人類解放は全世界的な規模でのみ成就・貫徹しうると固く信じていたからである。ロシア革命が、ヨーロッパ革命(とくにドイツ、フランス)に継承・発展することを強く待ち望んでいた。それだけにドイツ革命の進展には眼を凝らし、胸をふくらませたであろう。
 しかし、レーニンのもとにもたらされたものは、革命の失敗のみならず、同志として深い信頼の情で結ばれていたローザ・ルクセンブルクとカール・リープネヒト惨殺の報であった。
 レーテの内においてさえ支持を得られずにすすめられた1月蜂起(ローザ・ルクセンブルク、カール・リープネヒトは批判的であったといわれている)が鎮圧された後、二人は、逮捕・拘引され、銃床で殴殺された(1月15日)。ローザの遺体は運河に投げ込まれたという。
 レーニンにとってローザは敬愛してやまない同志であり、しばしば厳しい論敵であった、彼女を評してつぎのように語ったことは有名である。ローザは鶏よりも低く飛ぶ(誤りを犯す)こともあるが、鷄には決して飛べないほど高く飛ぶ鷲(天才)である、と。
 いまひとつつけ加えると、向坂逸郎はローザが人を感動させることのできる女性であることを語っている。向坂はドイツ留学時、下宿の女主人に「ローテ・ファーネ」(ドイツ共産党機関紙)を購読したいといったところ、ふしだらな殺人女がかかわっでいる新聞は駄目だと峻拒されたという。向坂は、ローザとカウツキー夫人との往復書簡を女主人にすすめたところ、彼女はローザに対する印象を改めたという。
 時代は下って、ヒットラーの台頭時、ドイツ共産党は「社会ファシズム論」という致命的な誤りを犯すが、ローザありせばという思いは消えない。
 やがて、1月15日というローザ・ルクセンブルクとカール・リープネヒト没後100年が訪れる。規模の大小、形態の如何を問わず記念し、学習する催しをもちたいものである。

 沈没させねばならない安倍泥船
 1919年、ドイツ革命は挫折したとはいえ、ロシア革命がつくりだした波動は、なお変革の響きを奏でていた。以来100年、様々な景色を走りぬけ、今のキーワードは?と問われれば、多くの人は、かつての「変革」に替わって「崩壊」や「溶解」と答えるかもしれない。米トランプ大統領をはじめ政治にたずさわっている人々から「理想」や「未来」が語られることはたえてなくなっている。そういう中でわれわれは2019年を迎えている。
 天皇の存在と結びつけて使用が「強制」されている元号も、次が定まっていない年初である。足元がふらついて困惑している人々が、頭でっかちで「元号」と叫んでいる。漫画化していく現実政治がますます信用を失っていく。民族の”優秀性”を政治の糧にしつづけるため、移民政策をとらないと強弁する首相が、財界に労働力の緊急の供給を迫られている図は、見るも無惨な手品である。
 国民との緊張関係という頭脳の妙薬を服用しなくなった権力者の思考不能の腐敗は、不可逆の域を越えたことが暴露されている。「私は立法府の長」「ごちゃごちゃした審議」等、その職にある以上、言ってはいけないことを識別できない危険水域を示している。これに対して自民党議員には「殿御乱心」との諌声もない。昨年の国会では法案採決に際して与党が賛成演説辞退という国民への説得サボタージュということが数度起こった。たとえ与党とはいえ、提案者そのものではないのであるから、これは自民党の国民に対する任務放棄である。また政権の下僕そのものであることを自ら証明するものである。議会民主主義のもとで守られなければならない垣根が朽ちはてているのである。
 われわれが自らに対することを含めて警鐘乱打しなければ、再起不能なレベルに民主主義は陥るであろうというのが新年のX線の画像である。
 再三いうように、安倍政権と自民党がすすめた民主主義の腐敗腐食は、朽ち葉を払い病根を切りとり、剪定をすればよいという程度でおさまるものではない。
 さいわいわれわれは、4月に統一地方選挙、7月には参議院選挙を前にしている。全同志が全力で取り組むであろうが、その注力をかつでなかったほど倍加しよう。
 現在の民主主義の危機(大衆運動も含めて)をしっかり認識し、根っ子の根っ子からの取り組みと覚悟(革命運動をも組み立て直す)をもって、かつ、今の危機はわれわれの柔軟な大衆との接触の圧倒的不足の上にもたらされていることを反省し、足を踏み出そう。   (いまむら みのる) 




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