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展望

科学的社会主義の展望  2020年7月~12月


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2018年7月~12月  2018年1月~6月

●月刊「科学的社会主義」No.270 2020年10月号
    安倍退陣と野党に問われるもの
                               社会主義協会代表  石河康国

 本稿締め切り時に安倍首相辞任と菅政権発足が確実となった。安倍辞任表明の冒頭で、感染症法の見直しによるコロナ対策の「生命軽視」への転換と、「敵基地攻撃能力」検討を次期政権への置き土産として公言したことは、象徴的である。しかし9月初の段階では自民党支持率は上昇し、野党は停滞している。8年近い長期の悪政を許したのは、ひとえに野党が弱体であったからだ。
 菅政権の先行きは、年内の可能性が大きい解散総選挙の結果に左右されるだろう。野党の態勢立て直しが急務だ。
 そういう中で野党の合流「新党」が結成される。社会民主党は合流の是非を決めていない。
 「新党」のルーツは旧民主党である。それは社会党・総評ブロック解体と小選挙区制導入のなかから、「連合」の介在で生まれた。この党は離合集散をくりかえしつつも、固定した中道」路線を継承する勢力として続いてきた。他方共産党が一定の勢力を維持し、社会民主党がその間に存続してきた。かくて国会における「立憲野党」は、長年「三極」の構造にあった。この「三極」が「二極」に統合されるか否かは、野党勢力の今後をどのように左右するだろうか。
 「新党綱領案」の要点をみてみよう。いつもながら情勢分析はない。勢い「基本理念」には、「自由」「多様性」「共生社会」「国際協調」「未来への責任」などのいかようにも解釈できる言葉がならぶだけである。
 具体的な政策スタンスがわかるのは以下のような個所だ。
 ①「象徴天皇制の下、日本国憲法が掲げる「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を堅持します。私たちは、立憲主義を深化させる観点から未来志向の憲法議論を真摯に行います。②「公平に開かれた市場」、「過度な自己責任論に陥らず、公正な配分により格差を解消」。③「持続可能で安心できる社会保障制度を確立」、「生涯を通じた学びと挑戦の機会を確保」。④「原発ゼ囗社会を一日も早く実現」。⑤「健全な日米同盟を軸に、アジア太平洋地域とりわけ近隣諸国をはじめとする世界の国々との連携を強化」。
 この中に民主党発足時から長年変わらぬものが二つある。まず①憲法である。民主党結党時の98年「基本理念」には憲法三原則を「さらに具現化します」とされていたのだが、2013年の正式綱領では「未来志向の憲法論議」になり、18年の立憲民主党綱領にも継承され、そして今回もほぼ同じ表現で入った。次が⑤の安全保障で、98年には「日米同盟」を「深化」とあったのが今回は「軸に」と微妙に変化したが、日米安保条約を基軸とする態度に変わりはない。ただ民主党綱領にあった「自衛力を着実に整備」という表現は消えた。しかし「軍縮」は長年掲げていない。
 世界に先駆けて「非武装」を掲げた現行憲法こそ未来志向であり、「論議」でなく完全実施こそ必要なはずである。98年の「さらに具現化」を、あえて「論議」に変えたのは、「日米同盟」とならび強固なDNAと化しているのであろう。
 また米中対立や朝鮮半島の和平などで、非武装憲法をもつ日本が重要な役割を果たすべき今日、「日米同盟」基軸では、「未来」どころか現下の課題にも応えられない。
   
 一方、客観情勢の変化を反映して、変わった面もある。民主党結党から今日まで、リーマンショック、原発事故、そして新型コロナ禍があった。都度、市場原理・利潤追求と公的セクターの削減、民衆への「自己責任」と緊縮強制を旨とした新自由主義の弊害がつきつけられた。そこで民主党結党「基本理念」にあった「市場原理主義を徹底する一方で…公平な機会均等」から「市場原理主義を徹底」なる表現が消え、「新党綱領案」では②のような「過度な自己責任論」の否定と「格差解消」に落ち着いた。さらに「原発ゼロ」も明示された。
 ただ、機会は平等だけれども結果の平等は含意しない「公正な配分」に限定され、消費税の是非と階級間の所得再分配には言及しないなど、反省は不徹底である。
 なお「新党綱領案」には、「災害や感染症などの社会的危機に際しても、確実に機能する実効力のある政府を実現します」とある。コロナ禍などへの無策批判だろうが、行革や消費増税、雇用破壊が民衆生活の体力と命を守るすべを奪った現実の改革こそが掲げられるべきである。「非常事態条項」新設をにおわせる「実効力ある政府」ではないはずだ。
   
 「新党」は小選挙区での共産党も含めた野党協力は維持するようだ。あとで紹介するが、枝野氏も消費税減税の検討を表明し、「原発ゼ囗」については連合産別議員の不参加があっても堅持した。大衆運動を通じて「新党」の個々の政策に民衆の声が反映されるべく努めたい。だが共産党や社民党、新社会党など多様な声を代表する政治勢力の存在抜きに、「新党」が前進するとは考えにくい。綱領の問題だけではない。「新党」は共産党、社民党、新社会党などとは組織の性格が異質であって、事実上国会議員中心の「議員政党」だからである。「新党規約案」に党の組織性格は一目瞭然だ。
 3年前、小池旋風で民進党が解体した。民進党両院議員総会は全会一致で「希望の党」への合流を確認した。幸い女帝から「排除」された議員が立憲民主党をたちあげ、市民活動家の期待も受けて大きくなった。しかし立憲民主党も議員政党を脱することなく「新党」になった。議員個人はいかに志操堅固でも、大衆的な党組織に支えられなければもろい。小選挙区制度は、そのもろさを極度に拡大する。
 「新党」はこのもろさをかかえたまま、荒海にのりだす。半端な荒海ではない。世界は米中対立の激化で不安定な新時代を迎える。国際的役割が大となる日本は9条にたってそれを引受けるか、「先制攻撃能力保持」を視野に軍事力強化で乗り出すか、根本的な選択を迫られる。「財政逼迫」を前に、大資本への課税によるラディカルな所得再配分政策と社会保障の拡充に向かうのか、コロナ禍を放置して経済「弱者」の淘汰を促進し、デジタル分野などに財政投融資する構造改革路線で行くのか。菅政権は後者の路線を突き進むだろう。
 「新党」があいまいでは、右翼ポピュリズムに民衆は簒奪され、「新党」はまた難破しかねない。幸い、枝野氏はコロナ対策と限定しながらも「消費税の減税、中間層以下所得税の免除、現金給付の制度化」を検討するとした。野田元首相が失敗した緊縮路線を完全に払拭できないと、消費税減税を目玉とする維新にも勝てないだろう。
   
 「新党」への合流の是非をめぐって社民党は重大な局面にあるようだ。社民党には「新党」ではカバーできない客観的な存在意義があるから、議論が沸騰するのは健全だ。
 同党の綱領である「社会民主党宣言」(2006年2月大会採択)にはこうある。
 「戦争を放棄し戦力を保持しないとした憲法を変え、日本を再び『戦争の出来る国』へと回帰させることを否定します」。
 「私たちは目指します。憲法の理念が実現された社会を。それは、戦争の放棄を明確に決意した憲法が…位置づけた平和的生存権を尊重し、誰もが平和な環境の中で暮らすことの出来る社会です」。「私たちは目指します。格差を是正した生活優先の社会を。それは、競争こそ万能として規制緩和をやみくもに進め、『小さな政府』と称して福祉や医療、教育などの公共サービスを切り捨てていく社会ではありません」。
 (税制には)「所得を再分配させていく機能こそ必要です。逆進性の高い消費税を基幹税に位置づけて安易に税率を引き上げることは、低所得者層に一層の負担を強いるだけです。所得税・住民税の最高税率の引き上げや累進性の強化、企業に応分の社会的責任を求めた法人税の見直しに取り組みます」。「税と応能負担を原則とした保険料拠出によって、…新しい年金制度、…公的医療、…介護制度を実現するため、社会保険制度の抜本的改革を図ります」。
 「現状、明らかに違憲状態にある自衛隊は縮小を図り、国境警備・災害救助・国際協力などの任務別組織に改編・解消して非武装の日本を目指します。日米安保条約は、最終的に平和友好条約へと転換させ、在日米軍基地の整理・縮小・撤去を進めます」。「小選挙区制度ではなく、比例得票数を議席配分の中心に据えた選挙制度への改革が不可欠です」。
 (自社連立による社民党の)「日米安保条約・自衛隊・消費税などを容認し、小選挙区制や介護の保険化推進などの重大な過ち」(新社会党『21世紀宣言』)と指摘してきたことが一定反省されたものと考えられる。自衛隊の「現状…違憲状態」という規定は余計だが、それ以外は当面の政策として妥当だし、「新党綱領案」とは根本的なへだたりがある。
 自民などの改憲と、「新党」の「憲法論議」は、時機・内容とも同じわけではない。改憲勢力が北海道に行こうとするのに反し「新党」は新潟に向っているかもしれぬ。場合によってはそこから日本海ルートで北海道に行かぬ保証はない。一方、博多に向かう護憲派と社民党は同行できるはずである。東海道を南下する一行が活気にあふれて道中隊列が拡大すれば、新潟にいた人々も北陸ルートで大阪に向かうかも知れぬ。
 「憲法完全実施」は、共産党だけでは実現し難い。「新党」と共産党をつなぎ、また「新党」を南下させるためにも「第三極」政治勢力が大きくなることが必要である。
 憲法を生かした先にどう進むかは博多に着いてから考えるしかないが、まずは東海道を南下する仲間を増やさねば何も始まらない。
 社民党が「新党」に併呑されない道を選択するならば、護憲「第三極」の大事な核として、憲法を生かそうとする人々から歓迎されるのではなかろうか。

【付記】 各種世論調査は軒並み自民党支持率の急上昇と、合流「新党」系の低迷を示している。菅政権は権力補強のためには維新系との連携を探るだろう。危うい混沌の中で年内には実施濃厚な総選挙に、社民党として挑むことを、少なからぬ人びとが期待しているのではないか。

    (9月5日/いしこ やすくに)


●月刊「科学的社会主義」No.269 2020年9月号
   じわり地域に広がる「アイラブ憲法」活動
                              社会主義協会代表   河村洋二

 増えてきた。まなびあえる経験談
 コロナ大流行の間隙を縫って7月11日「9条の会徳島」第15回総会が開催された。コロナ禍ではあったが7地域、3職域の9条の会、プラス3地区労から約40人の世話人や市民が集まり活発な討論が行われた。
 最近の総会の特徴は、憲法9条を守る「アイラブ憲法」活動が、地域に滲みこみ、じわりと定着してきたことを感じさせる取り組みや経験談が増えてきたことである。特に「地域9条の会」の活動は、一発大講演会方式から日常的なアンケート調査や署名活動などを通じて、学生や住民に憲法9条の意義を伝える活動へと豊富化され、それそれぞれの「9条の会」ごとの創意工夫が、まなびあえる魅力的なものが多くなった。ここではその一端を照会し、読者の参考に供したいと思う。

 「9条が危ない」が野党の共通認識
 「9条の会徳島」は、2005年11月3日に1000名の世話人を集めて結成された。「護憲野党(文化人含む) の総結集をはかろう」ということで社民党T氏と筆者(新社会)で申し合わせ、民主党副代表I氏に呼び掛けた。断られることも想定されたが、一緒に選挙をやり、闘ってきたこともあって案ずるより産むがやすしでI氏から快諾を得ることができて会の結成に弾みがついた。共産党は全国的に「9条の会」を進めていたので賛同を疑わなかったが、それより心配されたのは共産党との共闘を連合系労働組合が拒否することだった。そこで、労働組合には組織加盟でなく、組織代表が個人の資格で「9条の会幹事」として参加していただくことで、労組の組織の選択の幅を広くし、ガチンコ共闘からやんわり共闘のイメージづくりに心がけた。
 また、この種の組織で一番の問題になる「幅広感をどう出すか」、「この会のまとめ役を誰にするか」でも工夫が必要だった。県内の学者、文化人、宗教家、労働運動、農業団体などが気持ちよく協力してくれる人材が求められるからである。そしてその任にふさわしい人として衆目の一致するところは、当時「吉野川第十堰可動堰化問題」や農業問題で活躍中のN氏(徳島大学教授)であった。要請には同行したものの「超多忙」を理由にすぐ断られるのではないかと内心ヒヤヒヤドキドキだった。しかし、N教授は「9条がなくなれば大変なことになります」と「9条の会徳島」の呼びかけ人づくりも含めてまとめ役(事務局長)を引き受けてくれた。こうして元・参議院議員乾晴美、徳大教授中嶋信、岸積徳島新聞論説委員、一番札所霊山寺住職など徳島の学者、文化人、宗教家28氏が呼び掛け人となり、野党が総結集した「9条の会徳島」が結成された。
 総会は「憲法を県民の暮らしの中に、若者の心の中に広げよう」と県民にアピールした。メーデーさえ統一できない中で、9条の会が結成できた背景には当時の世論調査で改憲論が過半数を占めることが多くなり「憲法が危ない、9条が危ない」という危機感が野党の共通認識として生まれていたことである。

 憲法9条の誕生祝う「9条祭り」
 あれから15年、「9条の会徳島」の活動は、5月3日の憲法講演会、11月3日の「9条祭り」を基軸に「憲法9条を県民に、県民とともに、若者の心に」を基調に取り組まれてきた。憲法9条の意義を県民に知らせ、県民に参加してもらい、そして9条の未来を担い、背負っていく若者に関心をもってもらうための取り組みが、試行錯誤しながら積み重ねられてきた。
 *「憲法街角トーク」(2007年開始)は、5月3日、反核憲法フォーラム(新社会系)など護憲4団体が、JR徳島駅前で憲法9条への県民の関心を高めるための共同アピール行動として企画され、マスコミに注目された。
 *「映画上映会運動」は憲法9条に関係する映画を上映し、県民に理解を深めてもらう取り組みであった。「日本の青空」(2007年、日本国憲法誕生秘話)、「陸に上がった軍艦」(2008年、軍隊の非人道性を告発)、「ジョン・ラーベ(南京のシンドラー)」(2015年、日本軍の皆殺し作戦からからの北京市民救出劇)、「コスタリカの奇跡」(2018年、中米の非武装国家コスタリカの進歩や発展そして国民意識の記録)、映画自体がメジャーでないため、観客動員には難があるが参加した市民、労働者への説得力は群を抜いているから教育宣伝には欠かせないものとなった。
 *「9条まつり」は2010年11月3日に始まり、以後毎年11月3日に開催してきた。護憲運動に参加する人の高齢化、活動家、マニア家が進み、若者や学生、女性の参加が少ない。どう克服するか?事務局ではいつも議論になった。ある時、収穫や大漁を祝うために世間では「祭り」をしている。憲法9条は世界の宝だ。にもかかわらずその誕生や収穫がどこにも誰にも祝福されていない。「憲法や9条誕生を祝う祭り」があっしてもおかしくないのではないか、ということで始められた。ゴジラやオスプレイの大看板や模型の展示、歌、踊り、バンド演奏、戦跡巡り、模擬店、寸劇、オークション、大喜利、手品等々面白おかしく、時々ピリリと辛い憲法論が効果的な祭りとなっている。まだ、400~500人の集まりだが、毎年実行委員会をつくり、出し物から、資金作りまで侃々諤々の議論が積み上げられて決行される。出演者の家族や友人、ゲストや模擬店の魅力にひきつけられた通行人など一般参加者が増えつつある。今年は10回目の節目だが、コロナでどうなるか?。
 *「9の日行動」とは毎月9の日に行う9条アピール行動である。「アイラブ憲法」とか「9条守れ」のプラカードや横断幕をもって通勤時間帯(8時前後)に街角でスタンディングするパフォーマンスである。県内では毎月15ヶ所ぐらいで取り組まれている。1ヶ所平均6~7名の参加だから全体では100名近い仲間が行動していることになる。安倍政権が安保関連法を強行採決した2015年ころから地域9条の会や地区労の取り組みとして広がりはじめ、いまや地域の平和活動の柱として定着してきた感がある。

 じわり地域に「アイラブ憲法」活動 ―第15回総会の報告、経験交流から―
 Kさん(西部みんなの9条の会)「未来を担う子供たちに憲法9条の意義を知ってもらうために6年前から『日本国憲法等についての高校生アンケート調査』をしています。学校帰りのJRの駅や待合室、塾の入り囗などで時間待ちをしている生徒が対象です。毎年500名ほどアンケートが集まります。高校生のアンケート調査するのは高校生が『アンケートを必ず読む』からです。憲法9条は読まなくてもアンケートなら読む。これは案外重要だと思います。アンケートの内容は『一、戦後75年間、日本が一度も戦争しなかったのは、日本国憲法第9条が存在していたからである』等、憲法に関する8項目の質問に『そう思う、そう思わない、わからない』の三択で答えてもらっている。
 今年のアンケート結果の特徴は、①60%の高校生が『9条守れ』、『戦争反対』、『紛争は話し合いで解決する』と答えたこと。これは過去4年間変わりません。②安倍政権が改憲しようとしていることを『知っている』高校生が45%いたことでした。6年前から高校生アンケートを続けてきました。9条の意義を知る生徒(2015年調査、11%)が一人でも多くなればと思っています」
 Mさん(阿波9条の会)「のぼり旗立てて9の日行動しています。また、平和写真展(7月~8月)を市内公民館で巡回開催しています。市の文化祭でも展示します。今年は会社、事業所に協力を呼びかけました。」
 Hさん(9条の会阿南)「地元の会社を回って9条改憲NOの署名をもらった。オスプレイの騒音がひどいので市長交渉を行った。徳島県に申し入れることとなった」
 Yさん(小松島市民アクション)「9の日行動を9日、19日、29日と行っている。市内で開催されるイベントを調査し、署名活動につなげたい」
 Tさん(鳴板9条の会)「高校生アンケートをどう活用するか討論したが結論出ていない。改憲NO!3000万署名を進めるためネームプレートをつくった。うまくいっている。というのは地域で署名に入ると、訪問先の人に不信がられて「早く帰ってほしい」と露骨に嫌がられる。そこでネームプレートを付け、こういう者ですと断って訪問すると安心して話を聞いてくれ、署名につなかった、からです。お勧めしたい」
 Nさん(弁護士9条の会)「徴用工判決の学習会をした。歴史認識の学習が必要だ。憲法カフェを開催したいと思っている」
 Tさん(美馬地区労)「9の日行動や反核餅つき大会などに取り組んできた。『平和の夕べ』もコロナでやめようとの声もあったが、平和のアピールを発信する取り組みとして何とか続けようということになった。」
 以上のように「アイラブ憲法」活動は、「9の日行動」や「高校生アンケート」、「会社や家庭訪問しての署名活動」、「平和の夕べ」、「憲法カフェ」などとして派手ではないが、じわりと地域に根を下ろそうとしている。われわれはこうした地域9条の会の取り組みを、発展させなければならない。ともすれば大輪の9条花火で、ヤッター感を味わい満足しがちだが、地域住民の中へ9条を守る運動を持ち込み、地域に根を張った運動として広げ、老若男女の地域住民とともに9条のある社会を祝えるものにしていきたいと思っている。
  (かわむら ようじ)


●月刊「科学的社会主義」No.268 2020年8月号
   リーマンショックからパンデミックへ
                              社会主義協会代表   石河康国

 パンデミックは、新型感染症への社会の無防備さをさらけだし、世界中でさまざまな対処方が模索されている。その当否は、十余年前のリーマンショックが見せた「百年に一度の危機」と、それに伴う世界の階級対立の変容をふまえて判定される。十数年間の資本主義の構造と政治の二重の変容のうえにたった新型コロナ禍だからである。対処を誤れば、パンデミックが収束しても、民衆の生存の不安定さはさらに進行する。

 リーマンショック後の世界経済
 リーマンショックから今日までの経済の変容の特徴として、格差と貧困の拡大の一方で、公的資金で救済された金融関係が強化されたことがあげられる。「コロナ恐慌」下でも大手銀の財務状態はリーマン時と比べ格段に良好だ。また、とくに日本では大企業の内部留保は280兆円近くへと3倍に増えた。増加の要因は賃金の抑制と法人税率引き下げだ。デフレ不況下で企業の利益の「使い道」は設備投資でなく、金融投資、自社株買い、企業合併、株主配当に回され、雇用や賃金にはまわらない。
 リーマンショックでは製造業の雇用が減り、以降IT化かそれを加速した。それをサービス業など第三次産業が受け皿となって辛うじて大量失業の顕現は世界的に抑えられてきた。パンデミックはサービス産業を直撃し、米国などでは世界大恐慌以来といわれる失業増大をもたらしている。
 大企業が活性化しても雇用破壊、賃金切り下げ、福祉削減が進めば消費需要はおのずから減退し、ここ数年世界はデフレ不況に陥ってきた。特に日本は二度にわたる消費増税がこれを促進した。逆所得再分配である消費税は小売価格に転嫁できない零細業者を淘汰してきた。
 経済のグローバル化で、この間世界経済のけん引力とされてきた中国だけが成長し続けられるはずはない。米中対立もからみ中国経済は停滞し始めていた。
 こうした世界と日本を、パンデミックは痛打したのである。
 世界の為政者と諸階級の政治勢力は、この事態をどう打開するか根本的な方策を迫られている。それが左への転換か、それとも右への転換か。米国大統領選挙の異様な様相はこうした選択のラディカルさを物語っている。

 階級対立激化する世界
 こうした事態が、政治過程にどう反映しているだろうか。5月20日付『日経』社説はこう指摘した。コロナ関係の財政出動で、「欧米が従業員に配慮する」のは、リーマン危機時に公的資金によって金融機関だけ救済されたが「中間層の雇用や所得は打撃を受けたままで、蓄積した不満がその後、世界的なポピュリズム台頭の下地になった」からというのである。体制側の危機感がうかがえる。
 労働者への「配慮」が十分であるかどうかは別として、各国の財政出動では、日本にくらべれば労働者への直接休業補償から一律現金給付にいたるまで、民衆への支給がはるかに手厚くかつ素早い。米国では従業員の雇用を守る中小企業給付金は54兆円を突破し支援枠8割消化済なのに反して、日本は6月下旬で申請受理がやっと10万件、支給決定にいたっては4万9千件(183億円)だ。
 日本とはことなり、欧米の場合ただちに民衆の反乱として選挙やデモで示されてきたからである。
 欧米では、リーマン・ショック以降、緊縮財政・「小さな政府」、公的セクターの民営化、福祉の削減で荒廃した社会への不満は爆発した。けれどもEUと主要国は金融資本救済に巨額の公費を注入し、債務に苦しむギリシヤなどには冷酷な「緊縮」措置を強いた。民衆の反抗は従前とは異なった様相を呈した。内容的には労働者階級と一握りの資本家階級の対立ではあるが、その形態は左右の対極をとってあらわれた。いわゆる「反緊縮左翼」と「右翼ポピュリズム」であり、そのはざまで伝統的な資本家階級の政治勢力と、時にはそれと連立を組んだ旧型の社会民主主義勢力は凋落した。米国では民主党主流はサンダース派に追い上げられ、一方トランプ大統領という怪物が登場した。
 英国のEU離脱をめぐりコービン労働党党首が退陣し、米国大統領選でサンダースが撤退するなど、反緊縮左翼は一時のように目立ってはいない。しかしフランスの統一地方選でマクロン与党が惨敗し緑の党や左傾化した社会党がのびるなど、底流には変化はない。デマゴギーで支持者を固め、武装右翼集団をも利用するトランプに勝つためには、バイデンもサンダースや民主社会主義集団の力を無視はできない。

 変化を見せる世界の税財政政策
 左右の反抗が欧州諸国の政権をゆさぶっていることは、新型コロナへの対応にも反映した。
 『日経』(3・28)によれば、ECB(欧州中央銀行)が、10月までユーロ圏内の銀行に配当の実施中止、自社株買い中止などを要請し、株主還元より家計・企業支援を優先するよう求めた。同紙(4・1)によれば、英国大手銀も2020年中の配当見合わせを発表。コロナ対策で銀行は資金供給の拡大など援助を受けているので、株主還元は政治的に許されないからという。株主至上主義からの転換に向かう動きである。大企業支援もなされているが、航空会社や自動車会社の救済条件にCO2排出減を求めるなど、環境対策を条件とするのが欧州でひろがっているようだ。
 さらに、所得税累進制強化にとどまらず、金融所得課税や資産課税の新設・強化、労働者の職を奪うAI化への対応として大手IT企業の超過利益への課税(デジタル課税)等が検討されている。民衆の反乱の効果である。
 こうした動向の基調として重要なのは、ドイツやEUの緊縮路線の転換だ。財政均衡に拘泥せず必要な資金を国債発行でまかなうことが、コロナ禍のなかで一般化しはじめた。生活破たんを食い止め命を守ることが政治の優先課題だからである。新型感染症だけでなく、デフレ不況の長期化への対応としても、まっとうな認識である。
 借金は次世代への負担になるからと国債発行を一般的に忌避する俗論は、破壊された生活と社会を次世代に継承するわけにいかないという現実を体験して克服されつつある。
 EU諸国はドイツを先頭に国債発行で大規模な財政出動をおこない、消費税の一時減税を実施する国もある。EUとしても南欧などに緊縮を求めるのでなく、基金を新設しそこから財政困難国への財政移転を可能にすることにした。こうした緊縮方針の転換に際して「多額の債務を負う」ことに、ドイツの世論調査では73%が賛成したと報じられる。
 とはいえこの転換が、税・財政政策として欧米に定着するかどうかはわからない。ただマクロン与党の敗退以降のフランス、メルケル後のドイツ、米国大統領選挙の帰趨などが、階級対立が右翼ポピュリズムに包摂されず左翼的に組織されるか否かを決するであろう。欧米の経済思想界で排斥されてきたケインズ政策やMMTなどの議論が、真面目な議論の対象となってきた。その理論的是非はともかく、「財政再建」を錦の御旗にした民衆の「自粛」「自助努力」の呪縛が世界的に解けはじめたことは、民衆を勇気づけ闘いを活性化し、歴史を前進させるであろう。

 日本はどうか
 日本ではリーマンショック以降、民主党政権の挫折を経て野党の混迷と停滞はむしろ強まり、代わって維新や小池百合子的存在が伸長する様相が続き、都知事選はコロナ禍がそれを促進したことを示した。体制側は民衆無視の政策を続々と俎上にのせている。二度にわたる補正予算も、それと一体の日銀の産業誘導策も、民衆の苦境をあざ笑っている。米国はコロナ対策の事業規模220兆円(4月段階)の約4割が民衆向け給付(個人給付25%、失業給付12.5%)なのに反し、日本の補正予算はテレワーク拡大、行政迅速化、遠隔教育に乗じたデジタル化など産業構造改革にかなりをさいている。また大企業資金繰りのために日本政策投資銀行に5兆円の融資枠を確保。ANA・JAL・日産・マツダなどが要請し、はやくもリーマンショック時(3.3兆円)を越えそうだという。自民党は融資だけでなく大企業への数十兆円の資本注入制度の創設を提言している。日銀は新規国債引き受けだけでなく、株の買い支えに数十兆円を投入する。
 国と日銀の膨大な資金の向かう先の多くが、コロナ対策でも民衆の生活防衛でもなく、産業構造改革の促進である。世界の「反省」とは真逆の方向だ。
 ただ安倍政権が世論に推されて転換したものもある。それは所得制限なしの10万円個人単位給付だ。世帯主の所得制限を付して世帯単位で30万円給付という閣議決定予算案が反発をくらい変更になった。公明党は下部から突き上げられ、総体的な貧困化の中で所得制限の「線引き」がいかに困難かを思い知らされた。しかし、野党も所得制限なしの個人単位給付を求めたものの実生活におされてであって、それを所得再分配強化にたつ財源と一体で国民にアピールしえたとはいえない。とはいえ民衆が一回体験したことは将来のステップになる。
 立憲野党の決意が見えない最大の理由は、消費税減税で結束できてない点にある。「財政赤字」で脅し「財政再建」「福祉切り捨て」とコロナ大衆増税を迫る体制に対し、消費税見直しと法人税率引き上げ、累進制の強化、更には内部留保や資産への課税を真正面からかかげられるかどうか、政治の最大争点となろう。識者からは、企業の内部留保463兆円を償還原資としたコロナ国債発行という案もある。
 東京都知事選挙結果がうかがわせた自民・維新・小池連合のような勢力に対し、新自由主義政策の転換と所得再分配を旗印にした立憲野党連合が形成されるかどうか、憲法の命運をはじめ「コロナ後」の日本を左右する。
   (いしこ やすくに)


●月刊「科学的社会主義」No.267 2020年7月号
   スペイン・インフルエンザと革命ロシア
                              社会主義協会理論部長  野崎佳伸

 速水融の仕事
 新型コロナウイルスの世界的広がりで改めて注目を集めているひとつが、百年ほど前に大流行した「スベイン・インフルエンザ」である。当時の光学顕微鏡ではついにその病原のウイルスを発見できなかった。そして時と共に忘れられていった。戦後、その研究に取り組んだのが米国の歴史家A・W・クロスビーで、彼は1976年に『史上最悪のインフルエンザ―忘れられたパンデミック』を発表した。ところがこの書の日本語訳は2004年にようやく発刊された。それはこの頃、SARSや鳥インフルエンザの脅威があったからである。
 またこの年、歴史人口学者の速水融(はやみ あきら)氏が出版したある著作の中でスペイン・インフルエンザについて触れたところ、「邦語で書かれたほとんど唯一の文献」という指摘があり、氏はがぜん資料収集と分析にあたり、06年に『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』を刊行した。速水氏は日本に歴史人口学を紹介し、またこれを武器に江戸期以降の人口の推移を検証し、「勤勉革命」という概念を提唱、世界的に注目された。その経歴が認められ、1999年には国際人口学研究連合より表彰、また2000年には「文化功労者」として顕彰され、2001年日本学士院会員に選定されている(その後文化勲章も受章されている)。いわば功名を博した後に、これまでの研究内容とはかなり異なる分野にのめりこんでいったのだから、敬服に値する。
 氏は昨年12月に亡くなったのだが、もし存命であれば新型コロナとの戦いに有益な助言を発せられたことだろうと惜
しまれる。

 革命囗シアヘの伝播
 ところでこの速水融氏の著作の第二章の中に次の記述が見られる(57頁)。すなわち「混乱したロシアへは、(1918年)6月にムルマンスクに向け、インフルエンザ病原体を持った将兵が出発し、上陸後インフルエンザ・ウイルスを撒き散らしながら内陸に向かって行進した」。(氏はまた、シベリアに8月から出兵した日本軍が秋には早くも大量に罹患した記事を挙げているがここでは立ち入らない。)
 たったこれだけであるが、筆者にはロシア革命への列強の干渉戦争が彼の地にウイルスを持ち込んだことを確信させた。つまり、新たに第一次世界大戦に参戦した米軍が欧州にもちこんだ可能性が高いこのウイルスは、ドイツ対仏英間の西部戦線の両軍に大混乱をもたらしていたのだが、少なくとも3月のブレスト講和までは東部戦線や新制ロシアに到達していなかったはずで、その後ロシアにとっては短い小康の時期さえあった。
 しかし、これまで目を通したロシア革命史でスペイン・インフルエンザにふれた文献は見たことが無い。それで1919年に亡くなったスヴェルドロフ(享年33歳)と、翌年亡くなったイネッサ・アルマンド(享年46歳)について、もしやと思い調べてみた。すると果たして、ウィキベディアの「スヴェルドロフ」項に、「3月16日、オリョールで流行していたインフルエンザ(スベインかぜ)に罹り、死去した」とある。しかし、彼の死因についての記述は、著者が確かめたなかでは今のところこれだけだ。イネッサについては手元にある文献にあたってみると、1月に感染していたが、死亡は9月で原因はコレラだったようだ。
 内戦期のロシアとスベイン・インフルエンザの関連については先述のとおり資料がほとんど見つけられなかった。レーニン全集の事項索引にも「スベイン・インフルエンザ」または「スベインかぜ」はない。以下、スヴェルド囗フとイネッサ・アルマンドについて偲ぶため、何点かの資料を紹介するに止めざるをえない。大げさな見出しと釣り合うものでないがご容赦を。

 Y・M・スヴェルド囗フ
 ヤーコフ・ミハイロヴィチ・スヴェルドロフ(1885年~1919年3月16日)は、結成当初からボルシェヴィキに所属。1905年革命以降の反動期には流刑と逃亡を繰返した。よって亡命の経験も無かったようで、レーニンらの亡命幹部との面識もなかったはずだ(05年にはまだ20歳)。17年2月革命により流刑先よりペトログラードに戻り、「封印列車」でロシアに戻っていたレーニンらと合流。十月革命後、全露ソヴィエト中央執行委員会議長。ロシア共和国憲法作成委員会議長も兼ねた。だが早世のためもあってか、彼についての本格的な伝記は無いようで、幾人かの思い出が残されているのみである。また、彼の著作も見たことがない。
 レーニンが彼の死を受けて2日後に行った演説の速記が残されている(レーニン全集第29巻78頁)。この演説で彼は、スヴェルド囗フの「革命的献身性」と並んで、「組織者としての卓抜した能力」を称賛している。レーニンは翌年夏に『共産主義における左翼小児病』を出版。この書にはスヴェルドロフの名はないけれども、「ニ ボルシェヴィキが成功した一つの重要な条件」で「プ囗レタリアートの革命党の規律」についての有名な三要件を記す際に、レーニンの脳裏のうちの一人にスヴェルドロフがあったことは疑いない。また、レーニンはこの演説の中で次のように述べた。「革命的暴力が、革命の発展の一定の時期にだけ、一定の特殊な条件がある場合にだけ、必要かつ正当な革命の手段であるということ、これに反して、プロレタリア大衆の組織、勤労者の組織は、この革命のはるかに根深い、恒常的な本性であり、この革命の勝利の条件であったし、いまでもやはりそうである」と。
 A・ルナチャルスキー(1875~1933)の『革命のシルエット/1923年版』(邦訳筑摩書房。1973年)には生存中のレーニンやトロツキーら4人(スターリンの名はない)とは別に、十月革命以降に没した革命家6人の追憶があり、その一人がスヴェルド囗フである(他の5人の死因は別の病気、または暗殺)。また、トロツキーは『レーニン』(1924年。邦訳光文社。2007年など)、及びスヴェルドロフの回想録への寄稿(1925年。邦訳『ニーチェからスターリンへ』所収「スヴェルドロフの思い出」 光文社。2010年)を書き残している。それらによると、スヴェルド囗フという人は大層記憶力が良かったようで、特に無数の活動家の特徴をつかんでおり、十月革命後の適材適所への配置を的確に為したようなのである。
 例えばルナチャルスキーはこう記す。「彼は地下工作の中から、おそらく地下でしか習得できないような、二つの驚くべき資質を身につけたのだった。第一は、党全体についての完璧にして無限の知識であった。そしてこの党を構成していた何万という人びとは、彼によって研究し尽くされているように思われた。まるで党員人名録のようなものを頭の中に記憶していたのである。…第二は、疑う余地のない組織の才能である。…スヴェルドロフをしてわれわれの憲法の作成者たらしめ、誰にも尊敬される全ロシア中央執行委員会の議長、しかも党中央の書記局の主要な指導をもその手中に結合させた議長たらしめるに、十分であったように思われる」。ちなみにこの書はルナチャルスキーの死後、ご多分に漏れず、ずたずたに改ざんされた。
 スヴェルドロフが長生きしておれば、スターリンは決して書記長になれなかったかもしれない、とはある学者の述懐である。

 イネッサ・アルマンド
 イネッサ・アルマンド(1874年~1920年9月24日)はパリで生まれ、幼い時期にはモスクワの祖母宅で育った。レーニンより4歳下。つまり今年はイネッサ没後100年、レーニン生誕150周年なのである。イネッサはレーニンを慕い、愛情を交わしていた関係から、今では日本語で読める文献も多い。但し、ソ連崩壊後の話であり、ソ連時代にはレーニンとの関係は極力、秘匿されていた。レーニン全集の書簡集には含まれない手紙等がソ連崩壊後公表されるようになり(イネッサの日記も)研究が飛躍的に進んだ。彼女はロシア語、フランス語、英語に堪能だったから、活動家としても重宝された。二月革命後にはレーニンと合流し「封印列車」でペトログラードに戻った。
 イネッサは20年1月にスベイン・インフルエンザに罹った。この時のレーニンの一連の手紙(全集未掲載)のひとつに「ひどい時代です。発疹チフス、インフルエンザ、スベインかぜ、コレラ。…」とあり、別の手紙では「現在、スベインかぜが猛威をふるっています。」とある。
 一旦回復したイネッサには、この夏の共産主義インタナショナル第2回大会を前にコロンタイが重病を患ったため、負担が増すことになった。この時、不適切な休養先(カフカス)を指定したレーニンの判断には後世、批判が強い。それでもイネッサは旅先でレーニンの『左翼小児病』について熱く語ったという。結局彼女は9月24日にコレラで死亡。モスクワに遺体が到着したのは10月11日で、翌日葬儀が行われた。この時のひどく狼狽したレーニンを目撃した何人かの証言がある。その証言者はまた、葬儀後レーニンが瞬時にして仕事に戻ったことも記している。(以上、主として『レーニンが愛した女(ひと)』メリニチェンコ著 新読書社 2005年による)。
 革命から内戦へ、そしてクロンシュタット水兵の反乱に至るまで、たくさんの人たちが病死、戦死、餓死する中で、その死因についていちいち強調され記憶されることはなかったのだろう。ソ連でもその後、スベイン・インフルエンザの影響は忘れられ、今またロシアでも新型コロナウイルスで多くの死者を出している。
(のざき よしのぶ)




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